愛岐トンネル群  2017年12月2日、2018年5月4日



 caccoが朝日新聞に載った「愛岐トンネル群」の記事を見つけ、「るるぶ」の案内をlineで送ってきました。おや、うさおの大好きな煉瓦隧道だぞ。いいなあ、紅葉も綺麗だろうし、行ってみるか。
 このトンネルは永いこと、放置されていて藪の中にひっそりと隠れていたようです。
  
 このトンネルが発見された顛末は、当日のNPOのパンフレットに詳しく書かれています。
愛岐トンネル群とは
【開通と廃線までの歴史】
 1900(明治33)年、国鉄中央(西)線は名古屋~多治見間が開通しました。「殖産興業」が急務の時代から戦後の高度成長期まで、経済発展の大動脈として中部地方の発展と近代化に多大な貢献をしました。その鉄路も、戦後の高速・大量輸送時代に対応できなくなり、複線電化と長大トンネルによる新線が建設されて、高蔵寺~多治見間の8キロあまりの軌道敷と13基のトンネル群は1966(昭和41)年に廃線となりました。
 そして、いつしか廃線路は茂った薮の中に埋もれ、人々の記憶から忘れ去られてしまいました。
【発見のきっかけ】
 2005(平成17)年、JR勝川駅の高架化改修工事が行われ、明治の赤レンガプラットホームが撤去されました。その時、地元の古老のかすかな記憶を頼りに、トンネルの探索が始まりました。トンネル群にたどりつくまで半年を要し、40年間薮の中に眠っていたトンネルを見つけた時の震えるような感動は、今でも会員の語り章になっています。
【保存再生】
 2007(平成19)年、市民グループを結成し発掘と調査を開始。ヤブ漕ぎから始まった作業は、安全に歩けるようになるまで、多くの汗と時間と情熱が費やされました。2009年、NPO法人化して活動が本格化。トンネル群の価値はすぐに多方面に認められ、経済産業省「近代化産業遺産」認定など注目を浴びることとなりました。春と秋の公開時には全国20都府県や海外から延べ18万人もの多くの客様に訪れていただけるようになりました。2014年にはナショナルトラストにより敷地を取得。
 2016年には登録有形文化財に認定されるなど、発見後10年を経て愛岐トンネル群の歴史、文化的価値が認められつつあると言えるのかもしれません。」


 とあるように、有志の方の息の長いご努力の末、春と秋の2シーズンにこのトンネル群が見学できることになりました。


愛岐トンネル群散策マップ 当日配布のパンフレットより

秋のトンネル漫歩

春のトンネル漫歩