五大監獄 2009年12月20日、2015年11月15日、2016年9月9日、2017年7月17日
五大監獄と言うのをご存知でしょうか?明治五大監獄とも言われるようですが、山下啓次郎氏が設計をしたものを言います。
千葉監獄(現千葉刑務所)、金澤監獄(現金沢美術工芸大学)、奈良監獄(現奈良少年刑務所)、長崎監獄(正門のみ)、鹿児島監獄(正門のみ)を言います。
そのうち、金澤監獄は博物館明治村に正門・中央看守所・監房が移築されています。
山下啓次郎氏は柳家金語楼の息子さんではありません。あのかたは敬二郎さんで年代も合いません。山下啓次郎氏は 慶応3年12月18日(1868年1月12日)生まれで、建築家です。東京帝国大学工科大学を卒業後、司法省に勤めたことから、五大監獄を設計することになります。なお、ジャズピアニストの山下洋輔氏は孫になります。
実は奈良刑務所の保存活動を、建築学会の運営委員会の資料で知りました。保存活動は奈良地区では結構活発で、中世のお城のような煉瓦建物を保存する動きがありました。
その時の資料で五大監獄を知り、最も近いのが千葉刑務所であり、これを見に行くことにしました。 特に2015年11月15日は、千葉刑務所の矯正展が開催されており、普段は入れない刑務所内を見ることが出来ました。
また、千葉刑務所は革製品の出来が、他の刑務所より抜きん出て優れており、これを買うべきだと巷の噂が高いので、期待をして行きました。
2009年に、明治村に行ったと気には、フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルに気を取られていたので、そんな五大監獄を見てやろうという思い入れもなく、金沢監獄跡を見ていました。これもカウントすると、千葉刑務所から長崎刑務所までで4大監獄を制覇したことになります。
ちなみに、奈良刑務所は放射状に延びた獄舎も残されており、ホテルになったのでぜひ行きたいのですが、遠いなあ。
さて、2022年6月26日に、高森夫人から名古屋犬山の明治村に居るよとLINEが入りました。
2009年には碌な写真が撮れていなかったので、「金澤監獄」を撮って欲しいとお願いして、早速、写真を頂きました。
ここで、うさおたちは重大な過ちを起こしていたのに気が付きました。金澤監獄は門だけが残っていると思い込んでいたのです。送られた写真を見て気が付きました。獄舎も残されていることに。
まずは送られた写真を見てみましょう。
金澤監獄 高森夫妻とライトの帝国ホテル 2022年6月26日
高森てつ氏は、アリーナMC、コートDJ、テレビ実況、インターネット配信実況、番組・CMナレーション、スポーツエンターテインメント プロデュース・演出などをを手掛けている有名なマルチな人、東京2020オリンピック・パラリンピックではテコンドー競技にて会場・日本語アナウンサーを務めました。詳しくは以下のURLをご参照くださいね。
https://www.officeignition.co.jp/
金澤監獄 52番が正門で62番が獄舎 2022年6月26日
金澤監獄 説明書き 2022年6月26日
金澤監獄 正門 2022年6月26日
金澤監獄 通行人も明治っぽいぞ 2022年6月26日
流石、綺麗に撮れています。形はごつさが残っており、長崎監獄の門に近いデザインです。
金澤監獄 監房の説明書き 2022年6月26日
金澤監獄 獄舎外観 2022年6月26日
監視所の説明書きが間違いの原因、網走刑務所の監視所が設置してあったので、この獄舎は網走刑務所のものだと思い込んでいました。
明治村の公式サイトには以下のように書かれています。
「金沢監獄は明治5年(1872)制定の「監獄則並図式」に沿って造られた監獄。八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置でした。そのうち中央看守所と独居房として使用された監房の一部分が移築されました。
なお中央に置かれている監視室は網走監獄で使用されたものです。
監視室からは各監房棟の中廊下が一望に見渡せ、外部については看守所上部の見張り櫓から監獄全域の状況を把握できるため、管理上非常に効果的でした。」
紛らわしいよ~。
金澤監獄 監視所は網走刑務所のもの 2022年6月26日
また、公式サイトを引用すると
「中央看守所の中央には、直径3.3mの監視室が置かれ、ここから各舎房の廊下がひと目で見渡せるようになっていました。現在、明治村に置かれている監視室は金沢監獄のものではなく、網走監獄で使われていたものです。
中央看守所は柱のない八角形の造りで、直径14mの大広間。大広間の天井は、建物の八角形状に沿って天井板が張られています。中央を折り上げ、段差を利用した換気口が設けられています。」
金澤監獄 監房内部 2022年6月26日
「広い中廊下の左右には、独居監房の重い扉が整然と並びます。扉の上にある換気用の高窓から、独房内の衛生面への配慮がうかがえます。」
確かにこんな造りでした。
もう一度、2009年の写真ファイルを見てみると、あっ、あった、あった。
明治村の金澤監獄の門跡 2009年12月20日
明治村の金澤監獄の門跡 2009年12月20日
門跡はこんな写真しか残っていませんでした。
獄舎の外観はバッチし、撮れていました。
明治村の金澤監獄の外観 2009年12月20日
明治村の金澤監獄の東側より 2009年12月20日
明治村の金澤監獄の東側より 2009年12月20日
獄舎の屋根についているのは、見張櫓です。公式サイトの説明では、
「四角形の見張り櫓は、四方にガラスの建具をはめ、屋根は宝形で四辺の軒の中央を折り上げたもの。頂部の棟飾や腰壁のデザインなどに、工夫の跡が見られます。」
人一人で一杯、一杯な感じ、囚人も看守も結構厳しい環境に置かれていましたね。
明治村の金澤監獄の西側より 2009年12月20日
さて、監視所です。13年の年月を経ても、あまり変化はなさそうです。
明治村の金澤監獄の監視所 2009年12月20日
明治村の金澤監獄の監視所 2009年12月20日
これが5方向に分かれている廊下です。
明治村の金澤監獄の第四舎 2009年12月20日
明治村の金澤監獄の獄房 2009年12月20日
明治村の金澤監獄の囚人 2009年12月20日
明治村の金澤監獄の脱走を試みる囚人 2009年12月20日
ではほかの監獄をご紹介します。
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