燈台もと暗し
「灯台下暗し」とは、何かを解決しようとして、深く考え過ぎて答えがもっと身近なことであるのを気が付かないさまを言います。うさおは、成程昔の人は巧いことを言うなあ、岬にある灯台は遠方の海上を照らすけど、灯台の直近の下は暗いものなあと感心をしていました。
しかし、これは大きな間違いで、明治以前の昔の人は、今の人より燈台を知らないし思い入れも無く、かつては燈明台(江戸の町の辻々に置いてあった常夜燈の大きなもの)が岬に建てられていたくらいです。例として千代ケ崎の燈明臺を示しておきます。
※117千代ケ崎砲台
千代ケ崎 燈明臺 復元されたもの 2015年10月24日
燈台 呉れるんだよね!それっ!
今回のテーマは「燈台」です。何故、燈台なのか、Cacco の探訪記のためです。 燈台の歴史は大変古いものだと思いますが、室町時代に篝火を焚いて合図にしたという話を、なにか読んだ記憶があります。これが燈台の始まりなのではないかと勝手に思っています。
燈光会の「あなたが選んだ日本の燈台 50 選」(100 選もある)には、明治時代以降に建てられた燈台が紹介されています。燈台好きの方には、この書は堪らないでしょう。なんと、「燈台」という雑誌もあった。
すげえ、すげえ。日本にこんなに燈台のファンがいるのか。あれ、出版社は「第三文明社」になっている。創価学会?日蓮さんは燈台にも造詣が深かったのか。すげえぞ!
燈台
あなたが選んだ日本の灯台 50選 燈光会版より
数少ない燈台の記録の中から( つい最近のことですから、caccoが桜井くんの撮影現場に行きたいと言うのが発端です。)幾つかお見せします。
トマソン隊でやるほどネタが無いのですが。
能取岬、納沙布岬は厳寒の2月に行きました。
ものすごい厚着だったものですから、Cacco 隊員ともども根室の人に笑われました。そんな厚着の人は北海道でもいません。行った中では、これが一番遠い燈台です。
千代ヶ崎燈明台は江戸時代に造られた燈台のはしりです。「
117 観音崎・千代ヶ崎探訪
」に詳細を載せました。大東埼燈台は、「
107 大東崎の電探
」に載っています。
燈台 能取岬の燈台
燈台 納沙布岬の燈台