春帆楼 2020年10月20日

 今日はM氏が河豚を食べようと誘ってくれました。わ~い。
 お昼の時間に待ち合わせ。春帆楼は永田町にあります。
 「永田町」って政治や企業の会食が行われるところなので、さぞやお店の敷居が高いのではと、びくびくしながら行きました。


春帆楼 地下鉄永田町駅 2020年10月20日

 有楽町線「永田町駅」で降りて、地上に出ると高速道路の向こうに、衆参両議院の議長公邸が緑の中に見えています。若い時にこの辺りによく来ていたのですが何の記憶もないなあ。


春帆楼 緑の奥が議長公邸 2020年10月20日

 田舎もんの所為で、どの方向に国会議事堂があるのか判りません。やはりね、建物の頭が見えないとね、ドローンなら簡単に自分の位置が判るんだろうな。
 砂防会館が目の前にあります。あれ、砂防会館ってこんなだったかな。


春帆楼 砂防会館、ここへはよく来たのだが、はて? 2020年10月20日

春帆楼 砂防会館 2020年10月20日

春帆楼 砂防会館の創始者 赤城正雄博士  2020年10月20日

 赤城正雄博士は、砂防会館の創始者です。新渡戸稲造と親交があったそうです。そういえば、じいさん(益田廣岱)の小伝の中にも新渡戸稲造は出てきたなあ。


春帆楼 博士の顕彰碑 2020年10月20日

 ともかくも貝坂通りを北に向かって、JA共済ビルを探します。JAが農業協同組合である事は知っていますが、Jはジャパンでしょうね、じゃあAは何なんだろう。 調べてみたら、Japan Agricultural Cooperatives ですと。成程。

 JA共済ビルは超高層のビルでした。てっきり、背の低いビルを想像していたのは何故だろう。農業って言葉に偏見を持っている訳じゃありませんよ。


春帆楼 JA共済ビル 2020年10月20日

春帆楼 JA共済ビルにあったモニュメント 2020年10月20日

 お店は1階にありました。小部屋に通されます。二人だけだからコロナ対策万全だね。
 残念ながら部屋や料理は写真に撮っていません。つい、何かね、何でも写真に撮る「おのぼりさん」に見られたくないので、見栄はっちゃうんだよな。でも典型的なおのぼりさんなんだから深く反省です。
 

春帆楼 JA共済ビルの中にある入口 2020年10月20日

春帆楼 外に面した入口 2020年10月20日

 残念なことに品書きが出てきていたのに、すっかり忘れて持ってきませんでした。記憶を頼りの食感なので多々間違えているかもしれません。
 先付として、「鯛わた」が出てきました。真鯛の酒盗ですね、あまり良く覚えていないけど、金箔も振りかけてあったような気もする。
 次が前菜で、季節の盛合わせだったかな、河豚だけでなくこの魚肉も味が美味しいです。
 で、造りはもちろん、とらふぐの薄造り皿で、量は兎も角、紅葉おろしで食べると美味しいね。大阪の「ずぼら屋」(コロナの影響で閉店しちゃいましたが)なら、大量の河豚の刺身が出てくるのでしょうが、この辺りが上品なのでしょうね。


春帆楼 ええい、自分で描いちゃえ!フグの刺身 2020年10月20日

 とらふぐの白子を焼いたものが出てきました。最初見たときは、ちょいとグロくて無理かなと思いましたが、口に入れると旨い!グロいけど旨い!少し明太子のような匂いもするが、旨い!癖になりそうな旨さだ。


春帆楼 ええい、自分で描いちゃえ!フグの白子 2020年10月20日

 焼とらふぐが出てきました。焼いた河豚は初めてです。おっ、旨いじゃん!

 とらふぐの唐揚です。身がほくほくして美味過ぎるじゃないか。箸が止まらんぞ。


春帆楼 ええい、自分で描いちゃえ!フグのから揚げ 2020年10月20日

 とらふぐの鍋です。王道ですね。旨し!ポン酢でいただきます。なんでもいただいちゃうのね。


春帆楼 ええい、自分で描いちゃえ!フグの鍋 2020年10月20日

 味噌椀と香の物にとらふぐの雑炊です。味噌汁にも身が入っているぞ。


春帆楼 ええい、自分で描いちゃえ!フグの雑炊 2020年10月20日

 お腹パンパン。最初少しづつ出てきたので、量が足らないじゃないかと思ったが、いやいや十分でしたね。
 最後はデザートで、水菓子(柿じゃなかったかな)が出ました。満足ですね。

 また、M氏に奢ってもっちゃいました。奢ってもらうのうさおの得意技ですね。少し後ろめたいけど、ご馳走様です。
 どうみても「ふくコース」の上のほうなので、お値段が張ります。う~む、なおさら美味です。
 お店の入り口には伊藤博文の額が掛かっていました。


春帆楼 伊藤博文の書状(コピー)本物は下関本店にある 2020年10月20日

※フグ料理は美味しいので、戦国武将がフグ毒に当たってバッタばったと倒れるものだから、豊臣秀吉が業を煮やして、フグの禁止令を出して以来、江戸時代も食べられていませんでした。伊藤博文は下関に赴いたときにフグを食べて、あまりの旨さにその禁止令を解いたそうで、それから庶民の間にもフグ料理が盛んになりました。(春帆楼のサイトより)



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