生麦の河岸  2004年10月24日


街中の道も貝殻で白い

 健ちゃんが横浜市の情報誌、「横濱」を呉れました。
 はは〜ん、どうやら「執筆者の素顔」の自分史だけでは飽き足らず、もう少し自分のルーツを紹介してよってことらしいぞ。この「横濱」誌には懐かしい町として「生麦」が挙げられています。その地元の代表として取り上げられているお祖母ちゃんこそが、健ちゃんのお祖母ちゃんらしいのだ。
この人です。


生麦の河岸 健ちゃんのお祖母さん 2004年10月24日

 んん〜ん。健ちゃんには似ていないなあ。あんなに眉毛が濃くないぞ。せっかくですから、お婆ちゃんのお話も参考に載せておきます。
 「明治45 年生まれの田辺ミキさんは、九十四歳。生麦で十二代続く家(屋号は「ごん鉄」)に生まれた。」
 生まれた家はノリの養殖をやっていました。大森から来た職人も沢山いたし、兄弟姉妹は十一人もいたから、それは賑やかでした。ノリの仕事は休みなしで、お正月には漁師さんはお休みだったけれど、私は近所の子たちが羽根つきしているのを横目で見ながら働きました。子どもでも海から採ってきたノリのゴミを取ったり、叩いて枠に広げて、日に干す仕事をしました。海に出ない時にも、ノリを広げる枠を作ったり、簾を作る仕事がありました。簾は畑に葦を取りに行って、それを編んで自分たちで作りました。葦を取りに行く荷車を後ろから押したこともあります。
(※これは以前に書きました神奈川独特の労働で、「おっぺし」って言われてたやつです。うさお注)

 昔は井戸水はありましたが、水道がなかった。井戸水は洗い物などに使って、飲み水は花月園の近くまで汲みに行きました。女の子はおはじき、男の子はコマ回しをして遊んでいたけれど、私は水汲みや家の手伝いがあって遊ぶ時間はありませんでした。
 大人が海に出ている間の留守番や病気だった母の世話も私の仕事だったから、学校に行けるのは、雨や風が吹いて潮時が悪くて家族が家にいる時だけ。
 でも、仕事が忙しくなって結局、小学四年生で学校は辞めてしまいました。小さな頃は家を出るとすぐそこが海で、舟に乗って海に出て、芝エビを捕ったり、アサリを掘ったりしました。
 昔は海がきれいだったから、シジミを養殖していた人もいました。シジミは身が大きかったし、カニやシャコもおいしかったですよ。
 終戦直後もこの海でアサリ、蛤、赤貝、平貝、みる貝がたくさん採れました。昭和三十年、四十年くらいまではいい漁場でした。その頃もアサリやシジミだけを扱う専門の店もあったし、売りに来る人もいました。
 軍艦がたくさんきた観艦式の時は、国道の向こうの見晴らしのいい場所まで行って見たものです。生麦からも舟が何艘も出て、太鼓を叩いて賑やかで、とてもきれいでした。
 娘時代は花月園の遊園地も賑やかでした。でも、きれいな女の人たちが踊っているとか、音丸さんや淡谷のり子が来ているって聞いただけで私は行ったことはありませんでした。 私が小さな頃には、まだちょんまげを結った人が何人かいました。」


生麦の昔を見ることが出来ます F.ベアト横浜開港資料館蔵 

 健ちゃんのうちは多産系なのね。
 貴重な風物史の残っている生麦の町です。生麦は昭和(いや、大正か?)を今に残している貴重な町です。町並みそのものは漁師町から徐々に普通の町並みに変わっていっています。少し川沿いの裏道に入ると貝殻で真っ白になった道が無数にあります。
 代替わりになったときには、見事に消失しているでしょうが、ジモッティでないけれどうさおは残して欲しいなあ。
 建ちゃんのお祖母ちゃんが幼少の時の生麦の河岸は、下図のようなものだったでしょう。


生麦の河岸 Things seen in japan Clive Holland より 東京湾運河 

生麦の河岸 貝殻で白い河原 2004年10月24日

生麦の河岸 川岸の護岸工事が進む 2004年10月24日

生麦の河岸 見事なばかりの貝殻の河岸 2004年10月24日

生麦の河岸 江戸時代から続く貝殻の岸 2004年10月24日

生麦の河岸 堆積された貝殻 2004年10月24日

生麦の河岸 待ちに続く道路にも敷かれている 2004年10月24日

生麦の河岸 だが工事が進むと無くなってしまうだろう 2004年10月24日

生麦の河岸 見事なまでに貝殻が敷き詰められている 2004年10月24日

生麦の河岸 ライ隊員も感慨しきりであった 2004年10月24日

 海難事故の無事を祈っているお神社さんや霊験あらたかそうなお寺さんと、この辺りは神社仏閣が住戸数に比して大変多い処です。


生麦の河岸 お風呂屋さん 鶴見温泉千代の湯 2004年10月24日

生麦の河岸 道念稲荷社 2004年10月24日

生麦の河岸 道念稲荷社 2004年10月24日

生麦の河岸 生麦水天宮 2004年10月24日

生麦の河岸 生麦水天宮 富士浅間大神 2004年10月24日

生麦の河岸 正泉寺入口の地蔵尊 2004年10月24日

生麦の河岸 正泉寺 2004年10月24日

 昔ながらの間口に、当時はモダンであっただろうトタン張りの外装の家々。トタン張の戸袋にもいろいろな意匠的な工夫を凝らして、下町風な情緒を醸し出している家並みが随所に見られます。網元さんのお宅かも知れませんね。


生麦の河岸 何だかレトロ 漁業長さんの家みたい 2004年10月24日

生麦の河岸 昔の佇まいを今に残しています 2004年10月24日

生麦の河岸 右側のおうち 一段高いのは大潮の水位を避けるためか 2004年10月24日

生麦の河岸 戸袋が銅板と鏝塗の仕上げです 2004年10月24日

生麦の河岸 前の家とそっくりだが戸袋は鏝塗仕上げ 2004年10月24日

生麦の河岸 何だか50年前に戻ったような街並みだ 2004年10月24日

生麦の河岸 ここで毎日の仕事されている感があるところ 2004年10月24日

 「生麦事件」の碑はこの地に欠かせないものですね。麒麟麦酒「ビアビレッジ」の入口脇にあります。意外に小さな祠のような感じで見落としてしまいそうです。


生麦の河岸 首都高の工事前はキリンの門の近くにあった 今は○のところ 2004年10月24日

生麦の河岸 生麦事件の碑 移設前の位置にある 2004年10月24日

生麦の河岸 生麦事件の碑 2004年10月24日

生麦の河岸 捨てられた時計 棄景だなあ 2004年10月24日

生麦の河岸 ENEOS本社近くの稲荷社 今は自動販売機に 2004年10月24日

生麦の河岸 楽しそうに泳いでいた鴨君 2004年10月24日