田谷の洞窟  (2005年5月7日)


 いよいよ怪しくなってきた「ご近所トマソン隊」!想い出に浸り懐かしいものばっかりを追い求めているトマソン隊は、もはや老人クラブのそれのように渋茶を啜りながら「昔ゃ、良かったね〜!」って、ぼそっと呟いている。
(最近のご老人はこんな殊勝な方はほとんど居ないようで、豪快な笑いとともに甲高い声が飛び換わっています。うさおだけが老人か!)

 既出の補稿の項で高田渡さんのことを書きましたが、亡くなられちゃいましたね。今年の4月16 日のことで、なんと享年56 歳でした。うさおより若くして逝くなんて・・・
頓証菩提南無阿弥陀仏(あれ、家の宗旨は真言宗だったか・・・南無遍照金剛かな?)

 うさおは特に高田渡さんの「生活の柄」が大好きでした。当時は岡林信康や加川良が好きで、これらのライブに高田渡さんが参加されており、聴衆にワンフレーズづつ教えながら歌っておりました。
 この詩は山之内獏のものです。先般、TBS の「ニュース23」で筑紫哲也さんが高田渡さんの住居に訪れ、そこで山之内獏の秘蔵本を見せられると、筑紫さんも僕も獏のファンなんですと高田さんと酒を酌み交わしていました。高田渡さんは酒で寿命を縮めたのかな。


田谷の洞窟  (2005年5月8日) 何でこんなに眠いのか!ライ隊員 「きゅうきゅう!」

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 屏風ヶ浦の空と陸 鳥ではなく飛行機

 この「生活の柄」は若い時から心惹かれる歌なので、注釈ではなく本文に紹介しておきます。

「生活の柄」 詩:山之内獏 歌:高田渡

歩き疲れては、夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです。ところかまわず寝たのです
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが眠れないのです
近頃は眠れない。陸を敷いては眠れない
夜空の下では眠れない
揺り起こされては眠れない
歩き、疲れては、草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ、寝たのですが、眠れないのです。
そんな僕の生活の柄が夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて、
秋は秋からは、浮浪者のままでは眠れない。
秋は秋からは、浮浪者のままでは眠れない。


 最近はTICA さんや由佳ちゃんの方が、トマソンしてて、こちらはと言えば名所旧跡巡りやマニアックな話題ばかりです。
 だって、ネタが無いんだもの。今回もそうだよ!前から行きたかった「田谷の洞窟」の話です。
 以前、随道ネタでトマソン隊をやりましたが、本当は洞窟が天然のもので、隧道が人工のもの。だから、「田谷の随道」が本当だと思うけど、どうでも良いかな。


田谷の洞窟  (2005年5月7日) 近隣地図 googleより

 猿島や観音崎の隧道が面白く思うのは、それが人が造った戦争遺跡だからでしょう。
随道の項で、日吉の海軍地下壕跡を紹介しました。今回も、湘南地帯に広がる地下壕跡を総て探検してから紹介したかったのですが、手持ちネタがない。それはまた、グリコ隊長にも写真のご提供でもしてもらって、と言うことで・・・。(^_^;)サテ、イツニナリマスカネエ・・・

 三浦半島の黒崎洞窟、観音崎洞窟、猿島洞窟、江ノ島弁天洞窟など・・・「くじらぼ」も見たいなあ。


田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺境内

 と言うわけで、「田谷の洞窟」です。戦争遺跡じゃありませんから、あまりそう言った期待はしていませんでしたが・・・。
 いや、行ってみたら面白いのなんのって、これ、一見の価値はあります。多分、ここは日本の中でも最大級の真言密教の地底伽藍だと思います。

 ここは横浜市栄区田谷町。近くに鎌倉や小雀浄水場があるというロケーションです。

 田谷の洞窟は丘陵台地の段差のところにあるお寺さん(定泉寺)にあります。庭はそんなに広くありません。しかし、洞窟のある台地の上は総てお寺さんのものでしょう。へたに台地の上の開発をされると洞窟の落盤に繋がってしまいますからね。そうだとすると広いね。
 このお寺さんの正面にある九つ井陶郷工房の女将さんに聞くと、昔は犬も抱けば入れたらしいのですが、ライ隊員は重いのでどっちにしろだめです。
 このお寺さんの庭に、何ということでしょう、あろうことか、20 メータ位の高さの滝がありました。(ビフォー・アフターのようだ)吃驚して、写真には撮れませんでした。


田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺境内 弘法大師像がある

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺境内

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺 この潜り戸の向こうに立派な滝があるのだが

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺 こちらが洞窟!

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺 瑜伽洞の碑文

田谷の洞窟  (2005年5月7日) 定泉寺 また置いてきぼりで待つんかい、えっ

 この台地は三浦層群と呼ばれる堅い泥岩(土丹)です。地盤改良をする時に、土とセメントを交ぜて作るソイルセメントという物がありますが、ほぼそれと同じくらいの強度をもっています。この岩は、湿っている時は強いのですが、風化して乾くと普通の土に戻ってしまいます。
 まあ、海底に積もった土が長い間、水圧を受けて固まったものですからね。土の中には150 万年前の貝の化石などが見られます。
取り敢えず、入ることにして見ましょう。

 拝観料を払うと小さな蝋燭を渡されます。1km に及ぶ洞窟の中で明かりが無いのは不安ですね、懐中電灯を持ってこなかったので、内部で真っ暗になったらどうしようと、少しびびります。
 入り口近くに火を点けるための蝋燭が灯っています。気が付くと洞窟の内は、至る所で蝋燭が灯っています。だから暗闇の不安はありませんでした。でも、誰が蝋燭の継ぎ足しをしているのでしょうか。数時間おきにお寺の方が入っているんでしょうか。
 私達の前に入っていたのは、小学生とその父親だけでした。内でもお坊さんには会わなかったような気がする。
 この洞窟のアウトライン配置図を示しておきましょう。サンフラワークラブと早稲田大学理工学部の探検したものが残っていますが、判り易いのでサンちゃんのを示します。図中になるたけ私たちの拝観位置が判るように、丸番号を付けましたが当てにしないでくださいね。まるで覚えていないので・・・。


田谷の洞窟 洞窟の地図 (2005年5月7日)

参考文献:田谷の洞窟、吉田孝 宗教工芸社 なお、この参考文献は、お寺さんで売っています。

洞窟内彫刻と尊像の説明
一、阿畔の獅子・昇龍、降龍、定絞(天井)金翅鳥(迦楼羅)
二、旧薬師堂
三、十二神将(十二支)、三つ蝙蝠(天井)
四、秩父三十四観音霊場(一番〜一六番)、迦陵頻伽(天井)
五、秩父三十四観音霊場(一七番〜三三番)(三四番欠)
六、金剛界種子曼荼羅、鳥の羽(天井一部崩落)
七、朝比奈弁才天
八、安達ガ原の鬼女、足柄山の山姥と金時
九、西国三十三観音霊場(一番〜一七番)道草(天井、崩落)
一○、曽根天満宮と高砂の松、西国三十三観音霊場(一八番〜三三番)
一二、厄除大師、御霊杜への裏参道(途中崩壊)
一二、胎蔵界種子曼荼羅、鶴と麻葉紋(天井)
一三、一顧弘法大師 うさぎ定紋(上段)天井崩壊、四国八十八霊場(六六番〜七七番、七八番〜八八番)
一四、大師堂脇陣
一五、奥の院岩屋聖天尊
一六、四国八十八霊場(二四番〜二五番、二六番〜三〇番、三一番〜三六番、六一番〜六五番)
一七、六地蔵、七薬師
一八、日天
一九、四国八十八霊場(一番〜二三番)、四十九院種子曼荼羅 月天
二〇、修行道場
二一、お水大師、瑳陀山一つ亀、高野山石童丸、雲中供養菩薩(天井)
二二、十八羅漢、音無川
二三、安鎮国家不動明王(岩屋不動)
二四、坂東三十三観音霊場(一二番〜三三番)
二五、鳳鳳、孔雀
二六、花と唐草(天井)
二七、十六羅漢□□部分は崩落

 昇龍、降龍が掘られている像の所まできました。なるほど、真言密教のような絵柄が見えます。ちょいと感激。天井に家紋が、剣方喰はわが家の紋。
 でも、まだ鳥羽口です。行者道のほうに迂回して見ます。鍾乳洞じゃ無いけれども、結構洞窟探検はドキドキします。
 突然CACCO の叫び声。洞窟の内に入ったら新調の帽子が汚れちゃったとか。怖いじゃないか!
 次々と出てくる地底の迷路、ラビリンス。しきりにCACCO は、この近所の小学生は遠足で来るべきよねえって言ってました。

 洞窟内には裸電球が灯っていますが、ちょいと陰になる所は漆黒の闇で、霰も判りません。
 水の音が聞こえます。蝋燭を近づけて覗き込んでみると地底を流れる川が見えます。何処から何処へ?神秘的です!あっ、仏秘的かあ。人工的に掘られたものなのに水の道が出来るなんてなあ・・・・。

 さて行者道を辿って行くと、大きな伽藍に出会います。梵語や仏像、家紋などが側壁、天井に彫られています。この1km に及ぶ洞窟が手で彫られたことも驚異的ですが、ここの彫塑を行うにも大変なパワーです。ここを掘り抜いたのは、真言密教の僧達だと言うことですから。
 そりゃあね、御影石などの固い地盤よりは泥岩だから楽だったでしょうけど、掘り上げるには幾年も掛かったでしょうね。まだ途中と言う感じもするしね。

 中にはご愛嬌のように鶴亀の彫り物もありました。総てレリーフ状に彫られています。後ろを掘らなくて良いのは、少しは楽だったのかな?

 修行のための胡座結迦をする処もありました。その座の前に水道が掘ってあって水が流れていましたので、最初は公衆トイレかと思っちゃいました。 不遜なこと、不遜なこと。
 途中で落盤している箇所も随所で見られ、行き止まりの洞窟も幾つかありました。この台地は豊富な水源に恵まれているらしく、洞窟の脇に滝があり、湧き水も豊富で井戸や池が散在しています。

 田谷の洞窟の由来は不明ですが、古くは古代人の横穴式住居跡だったとも言います。一般的には鎌倉時代の初期に多くが掘られたとされています。
 田谷山定泉寺の寺域には朝比奈三郎の館があり、信仰心が厚くこの洞窟内に弁財天を勧請したそうです。 建保元年(1213年)に和田義盛が反乱を起し、この「和田合戦」で和田方に付いた朝比奈三郎義秀は、さんざん幕府をゲリラ戦で悩ませ、敗色が濃くなると何処へか姿を隠しました。この時、この洞窟の奥から落ちのびて行ったと言われています。
 この洞窟は、御霊神社に繋がっていたとか。(参考資料の間違いかな?あまりにも近すぎるので、追手がすぐに追いついちゃうね。だとすると音が似ている五霊神社の方向に掘り抜いたか?)

 さて、前出の地図を見て頂くとクフのピラミッドのように、燈明寺、五霊神社、定泉寺が、一直線に並んでいます。また、定泉寺と御霊神社を結んだ先に、長谷寺があります。これは何を意味するのでしょうか?なぞは謎を呼ぶぞ。
 


御洞内の心得と言うのを出てから見ました。

ああ、面白かったね、ライ隊員!

ゴク、ゴク、ゴク!美味しいです