青森紀行その1 青森県の小川三知
うさお&Cacco
シン・ドクガク73号にも書きましたが、小川三知というステンドグラス作家がいます。
静岡藩医の家に生まれ、医師として家督を継ぐはずでしたが、絵画への思い断ちがたく、家督を弟に譲り自分は日本画の橋本雅邦に師事し、日本画家を目指します。
その後、米国に留学してステンドグラスに興味を持ちます。米国でステンドグラスの製作技術を習得し、帰朝して日本画を基調とした花鳥風月をモチーフにしたステンドグラスを数多く製作します。
日本におけるステンドグラスの創始者
※ではありませんが、草分け的人物で独特の和風ステンドグラスの創成者です。
この小川三知の研究者として有名な田辺千代さんがいます。私達はステンドグラスと言いますが、田辺千代さんはステインドグラスと呼びますね。氏の著書「小川三知の世界」に宮越家のステインドグラスの次の記述があります。
「宮越邸のステインドグラスは、小川三知が気力体力ともに充実していた時期に製作された、まさに最高傑作といえる作品である。 晩年『アルス建築大講座』に論文を執筆し、当時としては珍しいカラー写真を使って紹介している。三知自身も大切に思った作品だったに違いない。(中略)
宮越邸は夫人の三十三歳の誕生日を祝って建てられたという。(中略)
邸内には、土地の言葉で言うところの「涼み座敷」があり、ステインドグラスは、この座敷の庭に面したガラス障子の中に入れられている。四枚組のガラス障子の設いの中に、紫陽花、辛夷(別名ヤマアララギ)、欅が、贅沢な余白の中に表され、余白の向こう側の庭の四季が借景として愉しめる。百穂に、ひとときに 芽ぶきたち匂ふ みちのくの あかるき春に あひにけるかも という歌がある。
邸内にはこのほか、円窓に「十三湖」、お風呂場に「川柳にカワセミ」と、どれも第一級の作品ばかりである。」
大変な惚れ込みようで本の表紙に「川柳にカワセミ」が使われています。
「新・美の巨人たち」や「新・日曜美術館3/16(日)」、各社全国紙の新聞にも取り上げられ、東京から見学ツアー
※も計画されました。ここ数年の間で小川三知、宮越家が、一部の好事家のものから、一般の人に広められました。
※:日本におけるステンドグラスは、宇野澤辰雄による「宇野澤ステンド硝子工場」が始まりである。
https://www.stainedglass.co.jp/history
※:M上氏に教えられて
クラブツーリズムの見学の催しを教えてもらいました。『小川三知のステンドグラス「宮越家」期間限定公開と 青森の華麗なるクラシック建築めぐり 2日間』
M上さんからクラブツーリズムの見学ツアーの資料を送られてきたときは迷いました。行きたいなあ・・・。でも、一人じゃなあ・・・。
倅の嫁さんが青森の生まれです。おじいちゃんの葬儀の時に、則雄さん(嫁のおじさん)から「青森に遊びに来てください。行きたいところはありませんか?」と親切に声を掛けてもらいました。つい、宮越家と口走ってしまいました。
結局、倅夫婦と孫も連れてお誘いに乗ってしまいました。大事(おおごと)になりましたが、とても楽しい旅になりました。
岩木山 稜線がくっきりと 2024年10月14日
うさおはこのところ、長時間、長距離の歩きはとても出来ません。杖を突いて歩いています。則雄さんが車の運転を買って出てくれて、美恵子さん(嫁のお母さん)と共にお迎えに来てくれました。
道路標識にも宮越家が 2024年10月14日
青森駅から津軽中里まで、鉄道で行くと奥羽本線で川部まで行き、五能線に乗り換え津軽五所川原で津軽鉄道にさらに乗り換え、終点津軽中里駅に着きます。鉄道オタクなら大喜びの路線ですが、車で行くとV字をショートカットし1時間程度で行けます。
中泊町の全面バックアップのお陰で、津軽中里駅や中泊町総合文化センター「パルナス」から宮越家まで、シャトルバスが送り迎えしてくれます。見学は事前予約が必要ですが、バス料金、説明のボランティアさんの料金が含まれているので大変お得です。
宮越家は春と秋の一般公開期間しか見学は出来ません。則雄さんは「秋が良いですよ」と連絡をくれました。ご自身は春に事前に見学に行ったそうです。
津軽中里駅に行ってみました。駅の中に宮越家の歴史や展示物があり、電車が来るまでの時間を飽きさせないようにしています。
津軽中里駅 宮越家の幟が立っている 2024年10月14日
写真にも写り込んでいますが「金多豆蔵人形一座」が青森では有名で、毎月第1土曜日に津軽中里駅の構内にある劇場で公演されているそうです。TV放送されるほど人気なのよとは、美恵子さんの弁。中泊町の文化の幅が凄いなあ。
津軽中里駅構内 宮越正治の展示物がずらり 2024年10月14日
最近、宮越家の襖絵が話題になっており、ステンドグラス以外にも宮越家の文化財が評価されています。これについては青森紀行その2に書きますね。
津軽中里駅構内 書画の類も多くあるようです 2024年10月14日
津軽中里駅構内 ありましたね小川三知 2024年10月14日
宮越家の文化財が展示されているのは、この駅だけではありません。中泊町総合文化センター博物館「パルナス」にも、この季節限定で宮越家の貴重な情報が展示されています。
「パルナス」博物館のパンフレット 2024年10月14日
期間限定の宮越家の文化財情報 2024年10月14日
当日の見学会の入場券を見せると「パルナス」博物館にも入れます。入場すると硬券切符を貰えますので、昔ながらの鉄道駅の印字機に切符を通すと、カシャンと日時を印字してくれます。孫は大喜びで全員の切符を機械に通していました。
さて、切符には津軽半島環状鉄道線
※とありますがこれは何でしょう。津軽鉄道は1928(昭和3)年11月に、津軽五所川原~津軽中里まで開通しましたが、もともとは十三湖まで延伸し、津軽半島を環状に結ぶ予定でした。しかし、資金的に厳しく津軽中里止まりになりました。つまり、幻の環状鉄道線だったのです。その切符がここで手に入ります。
※:
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/3172
回りくどくなりましたが、いよいよ本題の宮越家です。シャトルバスに乗って宮越家に向かいます。則雄さんは一度見たので「パルナス」で待っています。現地に着くと、お客さんと黄色いジャケット着たボランティアさんが待っています。
私達を担当してくれるのは澤田さんと今さんのお二人。
バスの待合所は町が協力して確保したものでしょう 2024年10月14日
案内してくれる澤田さん(右)と今さん(左) 2024年10月14日
丘の上の神社は宮越家に所縁のものだと説明がありましたが、実は澤田さんの解説に熱が入り、時間オーバーで説明は飛ばされてしまいました。この尾別神明宮は、江戸時代初期に尾別村が建立しました。尾別は蝦夷語で尾邊地と書くらしいです。当時は弘誓寺というお寺さんでした。ここの観音堂は津軽三十三観音十四番札所でしたが、廃堂になり明治43年(1910)に神社として再建されます。
寄進者に「尾別村米屋重助」が名を連ねており、宮越家の一族だと考えられています。宮越家は米屋源兵衛家が総本家と言われています。
※屋号の山七は米屋のものです。三代米屋七兵衛は宝暦4年(1754)に(弘誓寺)観音堂の「解脱庵梵鐘(大正10年改鋳)」を寄進しました。このことを言いたかったんじゃないかな。
※:
https://www.town.nakadomari.lg.jp/section/miyakoshi/history_obuchi03.html
尾別神明宮 2024年10月14日
生垣の脇から宮越家に入ります。なかなか立派な土蔵があります。
倅達と孫 2024年10月14日
宮越家の屋号「山七」が見えます。商いは米穀集荷から農業資材、損害保険と多岐にわたります。この建物は蔵につながっていますね。
屋号の山七 2024年10月14日
妻側の建物は現在ご家族が暮らされているところで、ガイドさんから「ご迷惑にならないようにしてくださいね。」とご注意が飛びます。
ここで澤田さんから他府県からいらっしゃっている方はいませんかと質問されましたので、横浜から来ましたと言うと、澤田さんのガイドに熱が入り始めました。昔の母屋の妻側には、窓や出入り口などがあったそうです。
母屋の妻側 2024年10月14日
昔の母屋の妻側 2024年10月14日
渡り廊下で繋がれた建屋を「さや堂のようだ」と説明されたような気がしますが聞き間違いかも。
「さや堂」か? 2024年10月14日
離れ「詩夢庵」に向かいます。屋根が赤く塗られていますが、屋根板には菱紋の細工が施されています。銅板細工なら緑青の噴き出た翠色が好いんだけどなと思いながら、出窓の硝子障子を見るとステインドグラスが透けて見えています。ここだあ、小川三知!、一気にテンションが上がります。
離れ「詩夢庵」 2024年10月14日
大正時代の手延べ硝子 波打っています 2024年10月14日
離れの詩夢庵の十二畳の座敷は、「涼み座敷」と呼ばれていて、建具や調度に贅が凝らされています。中には谷文晁や近衛家熙の作と言われるものもありました。庭に面する硝子障子に、紫陽花、辛夷、欅が描かれたステインドグラスがあり、背後に映る庭を借景として四季を表しています。和の香りがふんだんにします。
紫陽花、辛夷、欅のステインドグラス 2024年10月14日
紫陽花 2024年10月14日
辛夷と欅 2024年10月14日
谷文晁もある文化財類 2024年10月14日
宮越家の襖絵の項で述べますが、宮越家が所蔵する襖絵が大英博物館、シアトル博物館の襖絵と対をなす決め手になったのが、この引き手金具(三つ巴紋)が同一であったことです。
金襖 2024年10月14日
金襖の三つ巴紋の引き手 2024年10月14日
この部屋の隣に圓窓の間があり、廊下に「十三潟の景観」と題する三知のステインドグラスがあります。十三湖に帆掛け船と松を配した白砂青松の風景で、奥行きを出すため何層かの色硝子を重ねて用いています。鳩山邸にある五重塔と同様の技法です。外国産の色硝子のため大変高額になり、三知が購入してよいかとお伺いを立てたそうです。昔の十三湖はこのように大きかったと地図を見せてくれました。水運が発達していたそうです。
襖絵は木庵書・伝狩野常信筆竹之図だと言われています。
圓窓の間 伝狩野常信筆竹之図 2024年10月14日
十三潟の景観 2024年10月14日
十三湖はこんなに大きかったのよ 2024年10月14日
廊下に回るとステインドグラスの裏側が見える 2024年10月14日
廊下の反対側に風呂場が設えてあります。田辺千代さんの「小川三知の世界」によると、その風呂場の窓には、川柳で羽を休める翡翠と菖蒲の花が描かれているそうです。えっ、そうです?お風呂が工事中で今は見学不可なんだそうです。お~い?駅で売っているクリアファイルのデザインは翡翠なんじゃないのかい。
浴室のステンドグラスの説明 2024年10月14日
浴室隣の便所 2024年10月14日
ビクトローラー蓄音機 2024年10月14日
仕方が無いので外から見てみる 2024年10月14日
う~ん、あまりよく分からないや 2024年10月14日
これではあまりにも切ないので、増田彰久・田辺千代著の「小川三知の世界」
※から、少しお借りしますね。いや、小川三知が好きな人にはとても面白い本ですよ。是非、一家に一冊の必需本です。
※:増田彰久・田辺千代著「小川三知の世界」、「明治・大正・昭和の名品」
増田彰久・田辺千代著「小川三知の世界」から 川柳、菖蒲
増田彰久・田辺千代著「小川三知の世界」から 翡翠
宮越家はまだまだ続きます。青森紀行その2:襖絵、庭園の項に乞うご期待。