昔、反町はずいぶん賑わった町であったと、「わが町の昔と今」神奈川区編に詳しい記述があります。 商店街や20軒近くの妓楼もあったそうで、当時は流行の先端を走っていたのだと思います。今は下町という言葉が似合う庶民の町になっています。
子供のころ、反町公園のアイススケート場に、友人と滑りに行きました。お金持ちの子はマイ・シューズで得意そうでしたが、私たちは貸靴です。庶民ですからね。ブレードの部分が曲がったり、エッジが摩耗したりで、まともに滑れませんでしたが、楽しくて気になりませんでした。
反町駅付近 反町駅高架橋 2014年7月20日
反町駅付近 駅が残っていた時代 遊歩道の説明版より
反町駅付近 反町駅入口 2014年7月20日
反町駅付近 新太田駅から高架の遊歩道になって居る 2014年7月20日
反町駅付近 新太田駅方向を望む 2014年7月20日
反町駅付近 新しい反町駅 地下駅になって居る 2014年7月20日
滝野川沿いも緑道ができ、反町駅も遊歩道とつながり、お洒落感が漂う若者の街になって居ます。
反町駅付近 高島山トンネルを望む 2014年7月20日
○神奈川駅
神奈川駅は横浜方の高島山トンネルを出たところにありました。地図を見ると2面2線のホームで、少しホームの位置をずらした千鳥の相対式ホームです。鉄道関係の方から、駅は人の流れ、物の流れ、情報の流れの結束点であり、何時の時代でも地域の文化を担ってきたと伺ったことがあります。
この駅は旧東海道の街並みに面しており、多くの往来があったと思われます。当時は、省線、京浜電気鉄道、横浜市電の駅が集まっており、地域の中心地だったと思われます。まさに結束点ですね。
しかし、1950年(昭和25年)に横浜駅にあまりにも近いこともあって、廃駅になりました。
(京急神奈川駅も横浜に近いなあ?)
神奈川駅付近 高島山に向かって駅があった 2014年7月20日
神奈川駅付近 この奥辺りにホームがあった 2014年7月20日
神奈川駅付近 高島山トンネル 2014年7月20日
神奈川駅付近 駅が残っていた時代 遊歩道の説明版より
神奈川駅付近 反町駅を出たあたり 2014年7月20日
神奈川駅付近 高島山トンネル 2014年7月20日
神奈川駅付近 トンネルの中 2014年7月20日
神奈川駅付近 この辺りに駅がありました 2014年7月20日
神奈川駅付近 ここの遊歩道にもレールが残っています 2014年7月20日
神奈川駅付近 この先が横浜で、今は無きタイ料理屋が見える 2014年7月20日
○神奈川スケート場
反町公園の西側には、ローラースケート場がありました。東側にアイススケートリンクがありました。公園の真ん中辺に、ジェットコースターがある遊園地もあったような気がします。
近くにスケート靴の専門店がありました。少し、不良ぽい子はスケートが上手かったもので、白いスケート靴を肩に背負って、闊歩していたものです。貸靴はアンバー色の黒っぽい靴でした。マイシューズは憧れの的でした。
神奈川スケートリンクの建物は、旧日本軍の飛行機格納庫だったそうです。土浦飛行場にあった格納庫を、昭和24(1949)年3月に野毛山公園と反町公園に移設し、日本貿易博覧会の演芸館として用いられました。
この博覧会の開催中は、新太田町駅が「博覧会場前駅」として用いられました。
おお、戦争遺跡じゃないか。
博覧会終了後は体育館として用いられ、その後、財団法人神奈川体育館が昭和26(1951)年2月に体育館とスケートリンクを開設し、昭和34(1959)年に全面スケートリンクとなりました。
しかし、2014年には建て替えが決まり、国際級の60m×30mになるそうです。戦争遺跡がまた一つ消えました。(建て替えられたスケートリンクは今度撮影する予定)
神奈川スケート場付近 建て替え前の建物 2014年7月20日
神奈川スケート場付近 反町公園の敷地内にある 2014年7月20日
神奈川スケート場付近 反町公園は芸術的 2014年7月20日
神奈川スケート場付近 いくつかの銅像がある 2014年7月20日
神奈川スケート場付近 音楽の練習も・・・ 2014年7月20日
神奈川スケート場付近 ジュニアの育成もしていたんだ 2014年7月20日
神奈川スケート場付近 この景色も暫くお休みです 2014年7月20日
アイススケート場が完成したんで、車で通りすがら撮りました。あれっ、横浜銀行アイスアリーナに名前が変わっている。
新神奈川スケート場付近 2017年10月10日
新神奈川スケート場付近 2017年10月10日
○新興線
新興線付近 航空写真 googleより
新興駅は、貨物支線高島線が旧入江駅から、分岐して新興線となり、その終端駅です。
1970年代には大黒町に色々企業が存在し、それらの工場の専用線とつながっていました。地図の左上の入江駅から埋立地を通り、右上の新興駅まで伸びていました。しかし、2010年には貨物の需要が無くなり、廃止されました。
今は、日産の工場前あたりにその面影が僅かに残っているだけです。
入江町駅の近くの安田倉庫の門前に石碑が一つ残っています。
安田善次郎氏の記念碑です。安田倉庫は、旧安田財閥の系列でした。
碑文は難しくてよく読めません。庄蔵探検隊のblogを参照させていただきました。
守屋町埋築記念碑 発起人馬越恭平他
「明治32年3月平沼九兵衛氏等相謀りて官に稟し子安海岸の埋立を企つ・・・・38年10月其権利を守屋此助、桂二郎二氏に譲渡す・・・・守屋君乃ち奮て独り経営に任じ頼むに安田善次郎翁の賛助を得て暫く実行の緒に就けり・・・・その間天災の厄あり人事の変あり艱難自重事に辺り安田善次郎翁亦能く達観して初志を・・・・魚蟹遊行の州今や化して商工殷賑の衛区となり其澤を被る者千萬を以て数ふ即ち今の守屋町なり 横浜市が撰ぶに此町名を以てしたるは固に君が功績を表彰する所以にして安田翁の徳を亦永く銘記せらるべし 嗚呼此地彌栄えて其人己に亡し・・同人・・・諸を石に・・して以て不朽に傳ふ
昭和7年10月建立二世安田善次郎篆額」
新興線付近 安田倉庫正門前 手前に軌道が残っている 2014年8月14日
新興線付近 この位置から見るとはっきり判ります 2014年8月14日
新興線付近 先の方に延びていきます 2014年8月14日
新興線付近 このまま軌道敷の中を歩いていきたい 2014年8月14日
新興線付近 安田翁の記念碑 2014年8月14日
新興線付近 日産の工場前あたりで軌道を残している 2014年8月14日
新興線付近 この緑の敷地が軌道敷だ 2014年8月14日
新興線付近 大国運河の橋梁の親柱 2014年8月14日
新興線付近 水道橋の向こうに新興線の鋼板桁が残っている 2014年8月14日
新興線付近 まだ塗装が綺麗に残っている 2014年8月14日
結局、高速道路とぶつかる新興駅に行ってみましたが、何も残っておらず位置も不明でした。