鶴見線国道駅を見に行く  2012年1月28日



 鶴見線の国道駅を「ご近所探索隊(こら、こら、勝手にコロコロタイトルを変えるな!)」でご報告したのは遥か前のこと、2004 年10 月号で行っております。
 今回は、横浜ヘリテージからのお誘いで、解説者付きで案内してくれるとのこと。これは是非とも行かなければならない!かどうかは知らないが、兎も角、行って見ることにしました。「横濱の鉄道遺産を訪ねる(1)」
 解説をして下さる小野田滋氏は鉄道総合技術研究所の研究者の方、鉄道史では知る人ぞ知る有名な方です。うさおもよく、この鉄道総合技術研究所に出入りさせて頂いているが、個人的にはまだ知己を得ていません。鉄道総研の前理事長さんや各研究室長さんと数回懇親会を開いたので、もしかしたらその時にお会いしているかも知れません。小野田氏のご専門は鉄道史ですが、コンクリート構造やトンネルなどがご専門だったような気がします。
 この手の説明会には慣れているのか、手慣れた調子で小野田氏の話が始まりました。まずは鶴見駅の周辺からだ。京浜ストアの前で、この鶴見線の駅舎の躯体の説明に入りました。
 拡声器を使っているので、周りの通行人は何をしている集団なのか訝しげに見ていました。 怪しげな教団の勧誘じゃあないからね。


鶴見線国道駅を見に行く 小野田滋氏 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く  2012年1月28日

 因みに、2018年10月の鉄道総研「平兵衛まつり」にお伺いし、小野田氏の講演の後に、本にサインをしていただいた。いや、嬉しいですね。

 
平兵衛まつりの時に頂いたサイン 2018年10月13日

鶴見線国道駅を見に行く 鶴見駅西口外観 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 鶴見駅アール部分 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 鶴見駅ビルの補強ボルト 2012年1月28日


鶴見線国道駅を見に行く 鋼線補強のようなものか 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 熱く語る小野田氏 2012年1月28日

 鶴見線の高架橋脇を注釈を加えながら散策していきます。橋脚と橋脚の間に掛ける床版のリブを土木屋さんは「桁」と言います。(厳密には 棟木と平行する部材を桁と呼び、直行する部材を梁と呼びます) 
 その桁の置き方を小野田氏は説明しています。「三径間高架橋」とか「調整桁」とかね、少し難しいね。
 この時の参加者はこんなに沢山いて、車道にはみ出しちゃいそう。この道路は結構交通量もあり、危ないところだ。
 2012 年と2004 年を比較したものが、左の写真だが違いがお分かりになるだろうか。桁面が補修されているのと、空調機の室外機が小さなものに換わっている。歩道との段差解消部が文字入りに換わったことくらいか。


鶴見線国道駅を見に行く 本山前駅に行きましょう 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 出発進行! 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 和泉酒店 2004年7月18日

鶴見線国道駅を見に行く 和泉酒店 変わったのは空調機くらいかな 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く あまり道路に出ると危ないよ 2012年1月28日

 この時にうさおは気づきました。見知った顔があることを…。皆さんはお気づきですか。左の写真の右端の方は、以前、浦賀ドックの見学で、説明をして下さった亀井さんです。色々と見せないところまで案内をしてくれた、あの方です。暗闇で猫が階段を駆け下りていった時のことが思い出されます。
 Cacco は亀井さんに話しかけましたが、二、三の会話程度で終わってしまいました。他の会員の方とは親しげに話されておりましたが…。


鶴見線国道駅を見に行く おっ、浦賀ドックの亀井さんだ 2012年1月28日


注)三径間高架橋: 三つの等間隔の橋脚間を一体として作る高架橋。数種類の設計図書で数十km の設計を賄えるので、とても経済的。少し橋脚のスパンを飛ばしてアーチなどの構造を入れた連続桁もあり、それはなかなかフォルムが綺麗である。
調整桁: 三径間高架橋の同じユニットを使っていると、道路や小川が現れた時に上手くスパンが合わない。その様なときに、現場施工で(またはその部分だけ特注での工場加工で)、一スパンだけ長さの違う桁を掛ける。桁の長さが調整できるので、高架橋が整って見える。


 もう一人、見知った顔に気が付きました。この方は横浜港「ぞうの鼻」の転車台の発掘の際に説明をされていた方のお一人です。
 狭いなあ、この世界は。本当にマニアックだ。


鶴見線国道駅を見に行く 転車台の時の方だ 2012年1月28日

 「横浜ヘリテージ」の会報に、この国道駅の取材の様子が載っており、この左端のグレーの帽子を被った女性がCacco だと、本人はえらく大喜びをしていました。けど、こんな小さな写真なのでほとんど判りません。


鶴見線国道駅を見に行く ヘリテージの会報に載る 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く この高架橋の上が本山前駅 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 本山前駅の階段の裏側か? 2012年1月28日

 まっ、取り敢えず国道駅だよね。鶴見線は兎に角、古いということ。これが外観。ガラスは破れているし、コンクリートは鉄筋が錆びて爆裂しているし、終戦直後に戻ったみたいに昭和しているよ。駅としては橋上駅に分類されるね。
 高架下はお店や住宅として使われているようだ。
 大分住人が減ったようだが、今でも数軒のお宅はそのまま利用している。特に飲み屋さんは健在だ。ビールケースが外に野積みにされていた。駅は無人駅だ。ぽつねんとsuica の器械が乗客を見張っている。


鶴見線国道駅を見に行く 総持寺架道橋 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 総持寺架道橋 ここも阿部博士の設計だ 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 総持寺架道橋銘板 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 東海道線跨線線路橋 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 東海道線跨線線路橋 2012年1月28日


鶴見線国道駅を見に行く 最近、博士の設計であること分かった 2012年1月28日

 ここの住人には今回の見学会は、迷惑なことであったろうな。
 でも見学のおじさん、おばさんは真剣だ。(この手の見学会に若い人がまれなのはどうしてだろう。廃線マニアは若い層にも浸透しているようだが、もっと若い人が喜びそうな催しがあるのだろうか。)


鶴見線国道駅を見に行く ヘリテージの写真と同じところ 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 国道駅正面 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 国道駅正面 窓が割れたままだ 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 国道駅内部 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 国道駅内部 2012年1月28日

 東横線の高島町駅(今はもうありません)の高架下もこのようなアーチでした。小野田氏に聞いてみると、設計者は同じ阿部美樹志氏のものだとか。高島駅を知っていたので、ちょいと得意になっていたが周りの反応は冷ややか。
 どうやらそんなことは最低限知っていることで、「知らんで来たんかい!」って雰囲気でした。いいじゃんねえ、知らなくたって。


今は無き東横線高島町駅 博士の設計だ 2001年10月24日

鶴見線国道駅を見に行く 国道駅内部 2012年1月28日

 阿部美樹志氏は「コンクリート博士」と呼ばれていた方で、今の浅野学院の前身である「浅野混凝土学校」の先生でもありました。
 阿部美樹志氏は大正期においては、「万世橋高架橋」、「横浜生糸検査場」、大正昭和にかけて、「東京横浜電鉄渋谷―横浜間高架橋他駅部」、「目蒲線大井町駅」、「阪神梅田駅」、昭和の初期・戦前期に「鶴見臨港線高架橋駅部」、「南武線尻手駅」などを手掛けており、「鉃っちゃん」には堪りませんね。(ちなみに鉄道屋さんは「鉄」を「鉃」とし、失うという字を嫌う風習があります。)
 また、阿部美樹志氏はコンクリート構造物だけではなく、鋼構造(これも鉄道屋さんはメタル構造物と言います)も得意で鶴見駅から国道駅間の跨線トラス橋も設計されましたし、鶴見川を渡る六連のアーチ橋も設計されました。多才な人だったんですねえ。


鶴見線国道駅を見に行く 阿部美樹志博士 2012年1月28日

 横浜市の情報誌、今は亡き「横浜」からの引用で、1988年の時のもの。国道駅の真ん中の通路を通って、裏に回った処に高架下を利用した床屋さんがありました。
 2000年の時には、床屋さんは辞められていたようですが、住居として使われていた様子が見てとれます。窓とかは新しいサッシになっていますし、ここの部分は道路を跨いでいる所ですから、2000年では新たに落橋防止の鋼材が付いています。トタンの外壁はパネル材になりましたが、右側の街路灯や町内の伝言掲示板は変わっていません。なんと右隣のイワモリ印刷所の看板までが、まったく変わらずに残っています。

 それでは、2012年ではどうなっているのか?見ていただくと分かるように、床屋さん一家は見事に無くなっており、ぽっかりと大きな空間が出来ていました。
 道路には自動車と歩行者を分ける安全柵が設けられておりましたし、道路ミラーが付いています。流石に街灯は無くなっていましたね。
 2000 年の時代の道路標識は同じ所に同じ向きで残っていました。何故か、感動!


鶴見線国道駅を見に行く 国道理髪店 1988年 横浜より

鶴見線国道駅を見に行く 理髪店は廃業されています 2000年4月1日

鶴見線国道駅を見に行く 住居も無くなっています 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く  1988年 横浜より

鶴見線国道駅を見に行く ほぼ同じ画角で 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 床や側を見る 2000年4月1日


 2012年なのに未だに昭和しているのが凄いが、時の流れには逆らえず住民が居なくなっているのが寂しい。
 ベニア板で隔離された家やお店がなぜか痛々しく感じます。(21「鶴見線を上から見る」参照)補修が必要で、落下を防ぐためネットが張られています。
 「三宝住宅社」や一杯飲み屋「とみや」は健在のようですが、釣り船屋の「荒三丸」の看板は無くなっていました。この駅の裏手にある生麦の町がどんどん平成化しているのに比して、この駅下の空間は昭和ロマンを感じさせます。


鶴見線国道駅を見に行く 三宝住宅社 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 居酒屋とみや 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 当時流行のスクラッチタイル 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 切符売り場 2012年1月28日

 同潤会アパートのモデルルームのように、非常にせせこましい部屋割りなのだと思う。
 昔はその狭さで充分だと感じていたのだが、今の時代が豊かなのかとても狭く感じます。天井の高さの影響もあるのかと思うけれども・・・。
 Cacco が気が付いたのだが、二階の窓はほとんど塞がれていました。確かにコンクリートの劣化は激しく、至るところで、鉄筋露出やコンクリートの剥落が生じていたからかな。


鶴見線国道駅を見に行く ホームへの階段 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 上り線に向かう渡り廊下 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 上階の窓は閉ざされている 2012年1月28日

 小野田氏はここで一旦外に出てみましょうと、高架下の家と家の隙間の路地を指し示しました。
 あれっ、こんな処、あったっけ?
 外観は確かに老朽化が激しく、海辺近くと言うこともあるでしょうが、それにしても劣化が激しい。うさおも会社の仕事で老朽化調査を行っているが、これは「危険」の部類だ。住んでしまえば怖いと言うことは無いのかも知れない。耐震補強を行われつつあるので、地震の時や北朝鮮からのミサイル攻撃の時には、守って貰えるかもしれない。


鶴見線国道駅を見に行く この細い路地を行く 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 路地を抜けるとネットの貼られた外壁が見える 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 中央が路地 2012年1月28日

 駅の反対側の入口は、左右にホームの分だけ構造物があり、これが住宅に使われているのだ。国道側の外観でも判るとおり、国道側の窓は破れており、何やら危ういものを感じさせます。こちらの生麦町側は人が住んでいるのか、今も健在のようで綺麗な外観を保っています。
 もう一度、国道駅の改札口を見てみよう。ここは無人の駅であり、一応駅員さんが立てる場所はありますが、suica の器械が置いてあります。
 2000年の時にも、suicaがありました。でも、出入り自由です。 国道駅から海芝浦駅間などは、薩摩守忠度など、もうやりたい放題ですね。


鶴見線国道駅を見に行く 鶴見川に抜ける 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く ラチを入るとこんな感じ 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く suicaがある 2012年1月28日

 この駅は改札口を通ると、壁に沿って階段があり、それが中階の渡り廊下となり夫々のホームにつながっています。
 これは結構、立体的に面白い作りです。一箇所の改札(鉄道屋さんは「ラチッ」って言いますね。)から客を誘導する仕組みで、気持ちエッシャーの絵のようです。


鶴見線国道駅を見に行く 渡り廊下 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 国道の方を見る 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 鶴見川方面を見る 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 渡り廊下で記念撮影 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 渡り廊下で記念撮影 2012年1月28日


 以前の「トマソン隊からのパクリ」で申し訳ありませんが、このあたりに住んでいた時には「1982 年」の写真のように、釣り船屋さんには木製の桟橋が架かっており、ハゼ釣りには絶好の場所でした。
 何せハゼは食いが旺盛で、ぱくりと飲み込むので姿かたちは小さくても、その手応えは面白く、病み付きになりました。
 今はアーチ橋が無くなり、堤防が整備され、遊歩道や手摺も付きました。
 アーチ橋は満潮の時に船が通れるスペースが無いので(真ん中だけしか確保できない)、四角いスペースの取れる鋼桁橋になったそうです。せっかくの文化財なのに、勿体無い事をしたものです。


鶴見線国道駅を見に行く 鶴見川橋梁コンクリートアーチ構造 1982年

鶴見線国道駅を見に行く 今の鶴見川橋梁 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 架道橋の銘板 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 国道駅と橋梁はすぐ近く 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 鶴見線国道駅相対式ホーム 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く 国道駅ホーム先端 2012年1月28日


 鶴見駅から国道駅まで、駅間は0.9 ㎞程度ですが、高架橋の周りを巡ったり、国道駅から鶴見川に出たりすると、意外に距離があるもので,往復で3 ㎞位歩いたでしょうか。息も上がりながら鶴見駅まで帰ってきました。
 うさおはここ数年、慢性的な胃痛と高血圧で悩んでいましたが、覚悟を決めて医者に行きました。取り敢えず胃痛は数か月の投薬と、抗生物質でピロリ菌を退治したので、収まり始めていますが高血圧はこの肥満の身体ですので気分と同様に高まってしまいます。

 お昼になりましたので、TV で有名な「レストランばーく」に入りました。お店は汚いけれど、美味しいお店だと言う認定証が飾ってあります。石橋高明と木梨憲武のサインがしてあります。この番組は見たことがありません。うさおが頼んだのがこれ!「ハムカツ」だったか、「ベーコンカツ」だったかであるが、この厚さ!ボリューム感たっぷり、ライスもたっぷり。戦後の動乱期に生まれたうさおも、流石に残しました。食糧事情に困難な時代を生きた身としては、普段は無理してでも胃袋に入れちゃうんですけどね。
 Cacco もオムライスを頼みましたが、ギガ・ボリュームでした。食べ疲れるということを実感しながら、鶴見の町を離れたのでした。


鶴見線国道駅を見に行く レストランばーぐ 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く  レストランばーぐ ハムカツ 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く  レストランばーぐ 2012年1月28日

鶴見線国道駅を見に行く  レストランばーぐ 認定書 2012年1月28日