萬燈除夜 徳雄山 建功寺 (2012年1月1日)

 例年ならば、大晦日の夜は除夜の鐘を聴きながら、家に来ている健ちゃんを送りがてら、曹洞宗本山総持寺に初詣に行っていました。今年はライ隊員が居ないし、倅たちも別行動なので、ご近所の建功寺に行って見ました。
 建功寺さんは、やはり曹洞宗のお寺さんで、由緒のあるお寺さんらしく、由来には室町時代からとあります。


萬燈除夜 建功寺参道 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺縁起碑 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 寺門 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 寺門脇の碑 (2012年1月3日)

 このお寺のご住職、枡野俊明さんは造園家としても有名で、以前、NHKだかのドキュメンタリーに出ていました。その時は宗教家ではなく、アーティストとして出ておられユニークな方がいるなあと思いました。
 調べてみると、神奈川県建築コンクールで、「寒川神社 直心庵・和楽亭・方徳資料館」の作品で、優秀賞を取られ、神奈川県建築士事務所協会賞も取っています。うさおも建築士ですが、何の賞も取ったことはありません。
 「寒川神社」と言えば、日出彦さんがお正月にはいつもお参りされていると言う話。境内もリニュウアルし、参道の橋も架け直されたと聞き、ははあ、この人の作品かと思いました。今年は「寒川神社」に行って見ようかな。
 さて、テレビの紹介では、確かにダイナミックな庭造り作家で、お寺さんや神社さんからの依頼が多かったようですが、他にもホテルや公共の会館、海外の造園も手掛けているようです。


萬燈除夜 建功寺 おみくじは吉か凶か (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 山門 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 山門 (2012年1月3日)

 実はここ十年くらいの間で「建功寺」さんは、何か変わりました。それまでの建功寺さんは横浜市の田舎、鶴見の馬場町にあって、目立たないお寺さんだったんですよ。
 それが何か文化の香りがします。
 馬場町って町が極端に発展しない町なんですよ。うさおの住んでいるところなんぞは、文化果つる地なんですよ。
 でも馬場町という地名で「おっ」と思う方は、なかなかの粋人です。この地には昔、諏訪氏という豪族が住んでいて、寺尾城址という出城があったみたいです。その出城の場所を見に行きましたが、道が狭くて車が曲がり切りず、何度も切り返しをしました。
 さて、大晦日の夜に建功寺さんに車を止めようと思ったけれど、臨時駐車場も満車の状態です。離れた新墓地に駐車場があるので、そこに行って欲しいとのこと。
 え~、いいけどさ、あそこからは1キロ㍍くらい歩くんじゃないの?
 暗い夜だし、雪が降りそうなくらい寒いし、何かほら墓地で出そうだし…。
 ぶつぶつ言いながら、新墓地に車を止めるとご近所の方なのか、夫婦連れやご家族連れの方々がぞろぞろ歩いています。
 あっ、ぜんぜん寂しくないや。
 

萬燈除夜 お墓の駐車場の途中にある道祖神 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 参拝客で賑わう (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 入口 (2012年1月1日)

 ようやく、山門にたどり着くと、そこはどっぷりと暗い闇の中に、仄明るい無数の明かりが足元にありました。見ると20㎝位に斜めにそぎ落とした太竹の中に、お燈明が灯されています。それ以外の照明は使われていない。
 幻想的な光に導かれて、階段や山門が浮かび上がってくる趣向だ。所々にお燈明を持った若い人が、「こんにちは」とか、「よくいらっしゃいました」とか声を掛けてくれる。 後で調べてみると、皆、多摩美術大学の学生さんで例年の行事として参加していたのだ。さて、あまりの暗さにカメラの性能が追随せず、よく撮れません。

 
萬燈除夜 建功寺 萬燈 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 手には萬燈 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 お地蔵様 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 萬燈 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 頭上の萬燈 (2012年1月1日)

 この行事は「萬燈除夜」と呼ばれ、住職枡野明俊さんは、多摩美術大学で「造園」を教えているので、教え子たちが手伝いに来ていたんだ。
 偉い、偉い。
 ご興味のある方は「萬燈除夜」でググって下さい。学生たちの奮闘記が載っています。
 しかし、三脚と時間が必要だなあ、夜間の撮影は。絞り込んでシャッター開放で、アングルを数方向を撮ったら、これは徹夜だね。と言うことで、昼と夜とをチャンポンで見せますが、ご容赦のほど…。
 さらに進むと参道をアーチ状に覆った木々の枝に、お燈明を吊るし光の道を作っています。
 「おっ、綺麗だ!」という声がお参り客の中から聞こえてきます。歩みは遅々として進みませんがね。
 今まで足元だけの明かりが急に頭上に広がるので意表を突いた趣向です。
 昼間はこんな感じで、木々が参道を覆う形なので、ここに萬燈を吊るしたのですね。


萬燈除夜 建功寺 光のアーチ (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 光のアーチ昼間の景色 (2012年1月3日)

 山門に掛かっていた幔幕は、五色のもので天台宗かと思っちゃいましたが、曹洞宗でしたね。
 この階段が35度くらいの傾斜で、登りきるのがとても辛い。息がぜいぜいとして、歳を感じちゃったよね、健ちゃん。


萬燈除夜 建功寺 五色の幡 (2012年1月3日)

 竹は例年の使い回しができますが、お燈明はその夜限りなので、お寺さんの負担だね。 除夜の鐘を搗きおわるまで灯ってないとね。灯を絶やさないように、学生さんが駆り出されているんだろうな。
 しかし、髪の長い若い娘が暗闇で声掛けてくると、思わず「ぎゃあ~」って叫びだしそうになる自分が悲しい。怖くなんかないよねえ、健ちゃん。


萬燈除夜 建功寺 足元に気を付けながら進む (2012年1月1日)

 暫くの間転びつつ歩いていくと、分岐の道が見えてきました。片や鐘楼に向かう登り道です。Caccoはあっちも面白そうだねと目移りしています。


萬燈除夜 建功寺 入口 (2012年1月1日)

 で、これが鐘楼。竹林の中にご住職の手になるものか、大きな岩が枯山水のように配置されています。
 竹林を背景に撮ってくれとは、Caccoの弁。
 鐘楼に向かう階段の途中にお社が…「白山神社」と読めましたが?先ほど、諏訪神社(諏訪氏の守護神)とゆかりのお寺だったのでは?謎は謎を呼ぶぞ。

 呼ばないけど…。


萬燈除夜 建功寺 鐘楼 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 鐘楼 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 竹林 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 竹林 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 白山神社 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 白山神社 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 白山神社 (2012年1月3日)

 おお、漸く開けた場所にたどり着き、本堂が正面に見えます。
 銅銭か真鋳銭のお賽銭を投げてお祈りをします。ご丁重にお願いを六つぐらい、しておきました。仏様も忙しいしね。この日は右から左に聞き流しているだろうから、一つくらいインパクトのあるお願いをしておかなきゃね。お賽銭を全部くれだとか。
ここのお寺さんは、諏訪氏にちなんで諏訪神社で用いられている「梶」紋ですが、少し形が違うなあ。


萬燈除夜 建功寺 本堂 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 幕の梶紋 (2012年1月1日)

 これが一般的な梶紋。

 諏訪神社の梶紋は中のもの、これに近いけど、葉っぱの形、根っこの形が違う、うさおは知ったかぶりで、こりゃあ山葵紋だなあ…てなことを言ったような気がする。
 え~、わさび紋なんてないです。徳川家康が山葵の葉が葵に似ているので珍重したとの記録はありますが、葵に似ているのでお留め紋になったのかも。(図は三つ葉葵)

  
萬燈除夜 建功寺 梶紋 諏訪梶紋 三つ葉葵紋 (2012年1月1日)

 さて、入り口で買ったお燈明はここで水盤の中に入れて帰ります。なんだかヨーヨー釣りの縁日のようだ。


萬燈除夜 建功寺 水盤 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 水盤 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 水盤の萬燈 (2012年1月1日)

 昼間は何だか茶色いものの散歩道になっていた。(いいのか?境内にけだものを入れても)
 Caccoに突然襲い掛かる茶色いけだもの!
 「萬燈除夜の鐘」が終わった後の境内は閑散としています。幽玄さが少し出来すぎたきらいがありますが、なかなか見応えがありました。


萬燈除夜 建功寺 本堂 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 何か茶色いもの (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 手を食べる茶色いもの (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 線香を点てます (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 須弥壇 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 石仏 (2012年1月3日)

 帰りも石のオブジェと言うか、道祖神の集合のようなものにも、ライティングがしてあり、光々しいばかりです。あっ、違った、神々しいばかりです。
実はうさおも茶色いものに襲われておりました。手を半分食べられています。
加齢臭があるのでまずいと思うのですが…。


萬燈除夜 建功寺 帰り道 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 駐車場の萬燈 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 帰り道 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 道祖神 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 道脇の萬燈 (2012年1月1日)

萬燈除夜 建功寺 石仏か、道祖神 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 ぱくっ (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 帰り道 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 山の上から (2012年1月3日)

 ついでですから、寺尾城址はこんなものです。住宅街の一角に3m×5m位でしょうか、碑が建っています。城址と言うよりは屋形と言えるものだったのかもしれません。
 諏訪氏は新田氏なので本来なら、丸に一つ引両ですが、なぜか梶紋でした。
 この碑から少し東高校側に下ったところに、殿山公園があり、「寺尾城址」は「新編武蔵風土記稿」に残されていましたが、発掘調査の結果、堀、土塁、曲輪が埋まっていました。
 左の図画がその想定図です。
 なぜ、その事実が風土記に残っていたのか。
 なぜ、馬場町、諏訪坂などゆかりの地名が残っていたのに、埋まった場所が判らなかったのか。
 近くにある小机城址は、なぜ幽霊城と呼ばれているのか。(これは関係ないか)
 謎が謎を呼びますねえ。(呼ばないって…)


城址の地図

萬燈除夜 寺尾城址 (2012年1月3日)

 以前に入江川の上流が、遊歩道に整備されたことは、ご報告させていただきました。
 その時と比べると、だいぶ自然との融和が出てきたようです。
人と人との触れ合いも進んだようです。
 川は半分が遊歩道になり、結構人通りがあります。
まだ、畑も残っているので、ここが横浜市の中心に近い、鶴見区にあるとは思えません。
 犬を連れたおじさんに話しかけてみました。
「お幾つですか?」
「68歳だよ!」
「…。」(いえ、犬がですが…)
「(俺じゃないのか)…15歳だよ」
「ああ、うちの犬もそのくらいまで生きました。同じような茶色の奴で…」
「そうなんだ」
 会話がどんどん弾みます。
 白い犬も来ました。田舎だなあ、ここは…。


萬燈除夜 建功寺 寺の前の馬場町付近 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 入江川せせらぎ緑道 (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 茶色いやつ (2012年1月3日)

萬燈除夜 建功寺 白いやつ (2012年1月3日)