第二海堡・どぶ板横丁を歩く   2008年10月5日

 
 歴史遺産クルーズのうち、猿島の紹介で終わってしまった前回(046 猿島を巡る)ですが、今回はその続きです。 クルーズの締め括りと「どぶ板横丁」、衣笠のご紹介です。
 前回に述べましたように横須賀は、帝国海軍と米海軍のイメージが強い街です。ヴェルニー公園は帝国海軍の匂いのするところ、追浜は帝国海軍の戦闘機を作っていたところ、海上自衛隊が旧帝国海軍を踏襲しているのだけれど、あまり自衛隊のイメージは強くありません。


第二海堡・どぶ板横丁を歩く 地図  2008年10月5日

 さて、前回の猿島要塞の配置図はこのようになっています。桟橋から降りると、蒸気動力で稼動していた発電所が左手にあります。
 ぐるりと谷戸に沿って昇っていくと、ウッドデッキで整備された露天掘りの切通があります。
 ここでスガシーの撮影が行われました。切通の右手には兵舎、弾薬庫が並び、左手が台所、便所です。島中央の山に穿たれたトンネルは司令部、弾薬庫、兵舎です。
 トンネルを抜けると変なお姐ちゃんがコスプレしていた通路に出て来ます。ここに兵舎、弾薬庫があります。


猿島を歩く 砲台跡遺構配置図  2008年10月5日

 猿島を出航すると、暫らくして第二海堡が見えてきます。第二海堡は江川太郎左衛門の帝都防衛線構想によって作られました。諸外国が攻撃してくることを考え、観音崎、猿島、海堡群、富津で軍艦に大砲を打ち込もうとしたものです。
 

第二海堡 船上より海堡を望む   2008年10月5日

第二海堡 やはり煉瓦遺構は壊れている  2008年10月5日

第二海堡 上陸出来ないなんて蛇の生殺しだ  2008年10月5日

第二海堡  2003年2月22日のgooglemapより

 その後帝国海軍の要塞として働きましたが、実戦での戦闘は行われていません。関東大地震で脆くも崩れてしまったのだ。もともと、江戸時代から石や土を運び海の中に人工島を作ったため、島の強度はたかが知れています。

第二海堡 工事中の島が見える  2008年10月5日

第二海堡 灯台が見える  2008年10月5日

 基礎が弱い所為か、見事に崩れているのが判ります。以前ご紹介したグリコ隊長とCaccoの報告ではこの崩れかけた煉瓦トンネルに入り込んでいました。良い子は真似しちゃ駄目ですよ。しかし植物は強いなぁ、
 絶海の人工島にも草や木が生えて来ちゃうんですからね。


第二海堡 崩れたトーチカ  2008年10月5日

第二海堡 煉瓦隧道は剪断耐力は無い  2008年10月5日

第二海堡 ここも崩壊しています  2008年10月5日

第二海堡 修復工事は始まっています  2008年10月5日

 そしてここがCaccoが最も愛着をもっている場所。S君がまだ第二海堡に立ち入りが許可されていた時に、ここでPVを撮ったのだ。
 その後、トマソン別動隊が上陸し同じ場所で記念撮影をしました。今回ツアーコンダクターが「この場所でミスチルのSさんが『終わりなき旅』を撮ったんですよ」と紹介。
 大喜びのCacco。思うにS君のブレーンに廃墟マニアが絶対いる。


第二海堡 監視台か機銃台?  2008年10月5日

第二海堡   2008年10月5日

第二海堡 手前は新しい構造物  2008年10月5日
 
 2000年の時と較べて見るとあまり変わっていないことが判ります。
 草は年代を感じさせずに青々としていますが、人だけが滅びていくのだ。


第二海堡 立ち入れることが出来た頃  2000年5月23日

 以下2000年の第二海堡を紹介しましょう。一般の人がまだ海堡に入れた時代の貴重なものだ。


第二海堡 赤い扉が印象的  2000年5月23日

 先ほどの崩れ落ちたトンネル。ここを砲弾が運ばれていたのでしょう。


第二海堡 煉瓦はしっかり残っている  2000年5月23日

第二海堡 植物は強い  2000年5月23日

第二海堡 煉瓦積みが綺麗  2000年5月23日

第二海堡 この遺構がノスタルジック  2000年5月23日

 やはり無筋の煉瓦積では、関東大震災の揺れには持たないのだ。と言うことは敵の砲弾が命中した時にも、とても耐えられそうにも無いね。
 グリコ隊長の「廃墟遊戯」に詳しいぞ。煉瓦の色は今作られたかのように鮮やかだ。


第二海堡 煉瓦と鉄扉  2000年5月23日

 この角度がS君のPVの角度だ。ここにどんな砲を置き、どんな風に兵隊が配備されたのかおよそイメージが出来ない。うさおなんかはこのような階段では、転げ落ちてしまうこと請け合いだ。


第二海堡 この角度  2000年5月23日

第二海堡 この地下壕は何に使われていたのか  2008年10月5日

第二海堡 海側に倒れているね  2008年10月5日

第二海堡 この狭間の建物は?  2008年10月5日

第二海堡 上陸しないとあの画角は撮れないね  2008年10月5日

 構図は大変よろしいのだが、撮影者のCaccoは危ないトンネルの中だ。危ない真似は、しちゃ駄目なのになあ。
 昔ここを守っていた兵士は、敵影の無い時には釣りでもしていたんだろうか、あまり融通の利かない上官だった場合は地獄だなあ。


第二海堡 大変危険です  2000年5月23日

第二海堡 地震と波浪の影響は大きいなあ  2000年5月23日

第二海堡 立入禁止がいい味を出しているが 2000年5月23日

 中の部屋はあの当時の土木屋さんのセンスを伺わせる趣の或るものだ。かつては土木屋も美術的な感性を持ち合わせていたのだが、最近の限界設計のおかげで実に味気ないつるんとした構造物


第二海堡 大正時代のお店の入口みたい  2000年5月23日

第二海堡 井戸でしょうね  2000年5月23日

第二海堡 先ほどの地下壕の入口に出るのでしょう  2000年5月23日

第二海堡 なんと25㎝位の目違いひび割れがが  2000年5月23日

 そして、これが2000年の表紙に使ったお気に入りの合成写真。
 当時はまだ技術がそれほどでもなかったから、合成だってばればれだね。


第二海堡 合成写真  2000年5月23日

第二海堡 こっちが元絵  2000年5月23日
                            
 この四角い豆腐のようなものは、船の消磁機だぞ。海の上でも走り続けていると静電気のように、磁気を帯びるんだそうで・・・電子兵器に影響を与えないように、ここに一度接岸してから係留埠頭に向かうのだ。


第二海堡 船の消磁機  2008年10月5日

 汐入駅にまで戻って「海軍カレー」を食べさせてくれる所を探して見ました。
とあるビルの二階にそれらしき所がありました。表には「海軍カレー認定第34号」~ふ~ん~、老舗が一軒って訳じゃなく街全体で海軍カレーを盛り上げているんだ。
 店の中は何となく湘南辺りのサーファーの店みたいな感じだった。メニューもアメリカ西海岸をイメージしたものばかりだったが、ぽつんと海軍カレーが載っていたっけ。


どぶ板横丁を歩く みなと街自慢より  2008年10月5日

※「みなと街自慢」は「ぐじらぼ4号」から転載。国土交通省関東地方整備局東京湾口航路事務所の機関紙です。


どぶ板横丁を歩く 海軍カレーの店  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く お店の中は普通だ  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く こちらの壁はアメリカンだ  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く これが海軍カレー  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く   2008年10月5日

 横須賀中央の駅に近くには、「横須賀海軍カレー」の本舗なるところがあった。
 ここでお土産のカレーを、倅達と自分用に買ってきました。ボンカレーのように、袋ごと温めるだけで食べられます。


どぶ板横丁を歩く   2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く   2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く   2008年10月5日

 海軍カレーのマスコットは、横須賀市が力を入れている「スカレーちゃん」。
 「ヨコスカ」と「カレー」の合体だが、「スカレー」って、どうすかね~。


どぶ板横丁を歩く 港町ぽい操舵輪  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く 今は見ることの無い成人向け映画館  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く 町の道案内  2008年10月5日

 どぶ板通りには著名人の手形がハリウッドのようにあるのですが、うさおたちは致命的なミスをしてしまいました。中央の通り(赤枠内)だけを探し回っていましたが、ほかの辻(黄枠内)にも手形はありましたって、むしろそちらのほうが王道でしたね。 

     
1 王 貞治   2 団伊久磨  3 猪熊 功
     
 4 高島秀武  5 渡辺真知子  6 栗原一登
     
 7 野島 稔  8  9 前田武彦
   
 10 福原 彰  11 安田 伸  12 高木 豊
   
 13 田辺 学  14 斉藤明夫  15 佐々木主浩
 
 16 宇崎竜童  17 阿木 燿子  18
     
 19 石立鉄男  20 奥寺康彦  21 進藤達哉
     
 22 野村弘樹  23 大川 隆  24 石井琢朗
     
 25 本多俊夫  26 谷繁元信  27 田島令子
     
 28 日野皓正  29 日野元彦  30 阿川泰子
 31 ジョージ川口  32 伊藤恵美子  33 原 順子
   
 34 叶 正子  35 叶 高  36 叶 央介
     
 37 五十嵐喜芳  38 出光ケイ  39 雪村いづみ
     
 40 MALTA  41 原 信夫  42 錦織 健
     
 43 飯盛範親  44 徳永二男  45 白鳥英美子
     
 46 清水哲太郎  47 森下洋子  どぶ板通りの案内板
どぶ板横丁を歩く 手形の一覧  2008年10月5日

 全部の手形が示されていないのは、事前に設置場所を確認しなかったからです。あんなところに一杯あるなんて、詐欺のようだ。8番と18番が空いているのが気になるね。 差障りのある人で削られたのか?
 舗道にも刻印された「DOBUITA STREET」の銘版が・・・やはりこの街で目に付くのは、戦後の米兵相手の店の英字看板だろう。横須賀で生きていくには、英語が出来なくては・・・


どぶ板横丁を歩く 銘板が渋い  2008年10月5日

 山口百恵も横須賀の学校に通ってたんじゃあ無かったかなあ。
 横須賀はジャズ発祥の地なんだって、横濱の馬車道にもやはりジャズ発祥の地と書いてあった。横須賀のほうがジャズイベントは派手のような気がする。


どぶ板横丁を歩く   2008年10月5日

※他にも神戸がジャズ発祥の地と言われている。日本人ジャズ演奏者井田某が日本初の演奏をしたことに由来する。横須賀は戦後ジャズの発祥の地なのだそうな。米海軍下士官兵集会所でルイ・アームストロングなどが来たらしい。他にも大阪港とも言われるらしい。

 通りの中央辺りに残っている延命地蔵尊の祠。祠ってえのは神様を祀るところだったかなあ。でも地蔵菩薩様を祀ってあるところも結構あります。
海に近いこれらの御本尊の場所を動かすと、祟りがあるって・・・で、ここなんだね。洋式だらけの中に、いきなり和式だもんなあ。


どぶ板横丁を歩く 延命地蔵尊  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く 延命地蔵尊  2008年10月5日

 横須賀中央はジャズ発祥の地ということで、ベンチにこんな風な銅像が座っています。
結構ベンチの真ん中当たりに堂々と座っているので二人は腰掛けられない場所もあります。
 青い服を着て寝そべっていたら、銅像だと思って許してくれるかもしれない。
 今度ホームレスになったら、横須賀当たりが住み易そうだ。少し南だから、気候もあったかいし残飯も多くありそうだ。
 上野でホームレスは、とっても寒そうで自分には耐えられない。やはり、横須賀だと思う。


どぶ板横丁を歩く 夜見たら吃驚するかも  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く 自分もジャズ演奏家になったよう  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く 別の演奏者  2008年10月5日

 横須賀中央駅に行ったら、大きな高架の駅前広場上に先ほどとは趣の異なる銅像(?鉄像)があった。上半身裸の人たちで何だかちょいと醜い。サッチモとかなのか。
 この像はずいぶん前から、野比の親戚から帰る時に知っている気がする。
 でも、この像に似た像が全国各地に存在していると言われている。
 こんな像が人気があるのだろうか?それとも既製品のデザインの銅像のひとつか?
謎を呼ぶ銅像だ。


どぶ板横丁を歩く 横須賀中央駅の橋の上のジャズマン1  2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く 横須賀中央駅の橋の上のジャズマン2 2008年10月5日

どぶ板横丁を歩く 横須賀中央駅の橋の上のジャズマン3  2008年10月5日

 もちろん街行く人たちは見向きもしない。
 脂肪三兄弟とも称されている。
(かどうかは知らない・・・余分三兄弟は脂肪、糖分、塩分だが・・・)
 この駅前広場はY字型の歩道橋(本当は公共歩廊:elevated pedestrian deck )でY字のYはyokosukaの略とも言われています。
 鉄が不足時もありましたが、よく盗まれなかったものです。メタボの分だけ重量がありそうで値打ちものだ。