市電保存館 2007年9月24日
2008年1月5日
2008年1月14日
2004年10月24日
2014年4月25日
2013年1月4日
うさおの家の前に、横浜駅から生麦に行くバスはありましたが、道路が狭いため市電は通っていませんでした。
だから、昭和47年に市電が廃止されたのもぜんぜん記憶にありません。親父達に連れられて横浜港祭りを見に行った時とか、伊勢佐木町に買い物に行った時に見かけたくらいです。
大人になると親と一緒に出かけるのが億劫になり、また自分の遊びのテリトリィーも鶴見(ここには市電が通っていなかった。国鉄があったからかも知れないね。)や横浜駅西口(家から直通の路線は無かった。)だったために、とんと市電には乗ったこともなかったです。
で、何で市電なのかと言うとついこの間、横浜市電保存館(トラムポート)に行ってきましたので、紹介しちゃおうと言うお手軽かつ手抜きのトマソン隊です。カメラの安いものを買ったせいか、全部ピンボケです。
市電保存館 昭和35年当時の電車運転系統図
会社の仕事で横浜市営地下鉄の歴史を調べていたら、横浜から市電が消えた昭和47年に地下鉄が開通します。うさおがまだ某建設会社の新入社員のときです。
横浜も観光都市を傍標していますが、そうするなら函館や長崎のように市電を残しておけば良かったのに。
うさおは見ていませんが市電最後のお別れ走行の際に花電車が作られ、そこに地下鉄の張りぼてが飾られていたそうです。
当時、生麦と滝頭に市電の車庫がありました。その滝頭の車庫が、横浜市電保存館:トラムポートです。
市電保存館 2007年9月24日
市電保存館 現在は門の右手に車輪が置いてある 2007年9月24日
このあたりは美空ひばりの生家があったところで、山の上にはひばり御殿があったそうです。見渡したけれどそれらしいものは見当たらなかったなあ。市場の中にも加藤魚店も見当たらなかったよ、当たり前か。
市電保存館 近所のマンション 2007年9月24日
市電保存館 丸山市場入り口 2007年9月24日
市電保存館 市場の中は子供たちの通学路 2007年9月24日
市電保存館 休日だったせいかシャッタが下りているお店が多い 2007年9月24日
市電保存館 少し物悲しいね 2007年9月24日
保存館に入ると、直ぐ眼に入ってくるのは市電の部品パーツです。うさおは鉄っちゃんではないので要りませんが、マニア垂涎のものばかりです。
市電保存館 ポールトップと呼ばれる架線柱の頭部 2007年9月24日
市電保存館 警鈴 チンチン電車の語源となった鈴 2007年9月24日
市電保存館 車掌さんが持っていたカバン、フターフと言う運行表 2007年9月24日
市電保存館 料金箱 2007年9月24日
さらに奥に入ると代表的な何台かの市電が保存されています。先ほど言いましたように、あまり乗ったことが無いので、ノスタルジックな気持ちにも記憶にも触れることはありませんが、あの当時にドクガクがあれば市電を別な眼で見られたのにと思います。(完全な鉄っちゃんになってましたね。)
電車の型式で何時のものだとか部下の鉄ちゃんは言いますが、車体の顔を見ても良く判りません。全種類の電車が揃っているらしく、12~3台ほどが展示してありました。
市電保存館 500形車両523号間門行 2007年9月24日
市電保存館 1000形車両1007号弘明寺行 2007年9月24日
市電保存館 1100形車両1104号葦名橋行 2007年9月24日
市電保存館 1500形車両1510号山元町行 2007年9月24日
市電保存館 1600形車両1601号横浜駅行 2007年9月24日
電車に乗って見ると、緑色の硬いベンチシートが並んでいます。そうだ、この頃のバスや電車はやけに硬いシートだったのを思い出しました。
中々工夫を凝らしてあり、電車の運行にあわせて窓の外の景色が動いていきます。CGなんですけど、ああっこんな街並みだったかなって思わせるような出来映えです。
市電保存館 2007年9月24日
市電保存館 違う車内 エアコン付き 2007年9月24日
市電保存館 緑のベンチシートがレトロで素敵 2007年9月24日
保守用車と呼ばれる点検用の車両もありました。これは昼間は見ることが無い車両です。
市電保存館 ロビーの中に保守用車10号が置いてあります 2007年9月24日
市電保存館 保守用車10号 2007年9月24日
市電保存館 このロビーにある売店が素敵 2007年9月24日
ここで少し、市電の歴史のおさらいをしておきましょう。売店で長谷川弘和 「横浜市電が走った街 今昔」の本を買っておきました。
市電保存館 明治・大正時代の市電 2007年9月24日
市電保存館 昭和時代(戦前)の市電 2007年9月24日
市電保存館 昭和時代(戦後復興期)の市電 2007年9月24日
市電保存館 昭和時代(発展・最盛期)の市電 2007年9月24日
市電保存館 廃止により解体される車体 2007年9月24日
横浜の市電が華やかなりし頃(昭和9年くらいね!)には、電車にはキャビン・アテンダントさんが乗っていたようです。写真で見ると皆さんやけにグラマーな美人さんばかり。
にこやかに微笑まれていて、当時の憧れの職業であったことが伺われます。
市電保存館 当時のキャビンアテンダントさんたち 可愛いです 2007年9月24日
長谷川弘和 「横浜市電が走った街 今昔」より
壁画に素朴な市電の絵が描かれています。誰が書いたのでしょう。デッサンは少し狂っていますし色使いも変ですが、不思議と懐かしい雰囲気があります。
しばしご堪能ください。Caccoは味があるねえ!って言ってました。
市電保存館 壁画_01 2007年9月24日
市電保存館 壁画_02 2007年9月24日
市電保存館 壁画_03 2007年9月24日
市電保存館 壁画_04 2007年9月24日
市電保存館 どこかで使われていた大時計 2007年9月24日
保存館の出口には一本の電柱が立っています。昨年の7月まで子安の国道際にぽつんと立っていました。当時の市電の架線電柱で大東亜戦争のときに、米軍による機銃掃射を浴びせられたようです。その跡が生々しく残っています。
この情報は新聞で知りました。現地には、それを示す跡は何もありません。
横浜市電が廃止されたときに、市電の線路と敷石は直接、その上にアスファルトを敷き隠蔽されました。ほんの少し前までは戦争の傷跡は残っていましたが、横浜の開発・発展はすざましく、戦争の残骸なんて、跡形も残っていません。
市電保存館 この電架柱です 車輪のモニュメントはまだありません 2007年9月24日
市電保存館 銃撃の跡が生々しいですね 2007年9月24日
市電保存館 残された最後のポール 2007年9月24日
市電保存館 入場切符 2007年9月24日
市電の跡はどうなっているのか わかる範囲で捜索 (^◇^)
入江橋(神奈川線)
うさおの家の近くでは、入り江橋停留場跡があるぞ。跡たって何にも無いけど。
家から入江町に向かって一の宮社の方向に歩いていくと、入江川の河口付近に市電の停留場「入江橋」がありました。この時代の人は、なにしろ何かと言うとすぐ歩いて行っちゃうので、母の実家(子安にありました)に行くのにも歩いていきました。まあ距離にして2㎞位でしたか。家からバスと市電を乗り継いでいくなら歩いちゃえってなもんです。 だから市電に乗った記憶があるのは、子供の頃に三渓園に海水浴に行った時くらいのもんです。あの当時は三渓園の裏手がすぐ海で、狭いながらも遠浅の砂浜がありました。今は埋め立てられて何処が海だったのか見当も付きません。
※昔の画像に関しては、ほとんど参考資料:長谷川弘和 「横浜市電が走った街 今昔」を参照しています。
市電の跡 入江橋付近
市電の跡 入江橋付近 2008年1月5日
生麦(神奈川線)
え~、鶴見に長いこと住んでいましたが、市電鶴見線のことは知りませんでした。子安から生麦の延長線上に 鶴見駅前までの間を第一京浜国道上に敷設されていました。この線は戦時下の軍部の命令で建設されたものだそうで、1年後に空襲で壊滅状態になりました。終戦後はGHQにより埋められてしまった幻の市電線です。道路下を掘ると今でも市電の鉄路が現れてくるかも。
生麦の車庫は、生麦事件の碑の通りを隔てた反対側にあります。キリン・ビア・ビレッジの斜めはすかいですね。
第一京浜国道(国道15号)に沿ったこの辺りがそれです。今は横浜市営バスの営業所になっており、下駄履き住宅集合住宅が併設されているぞ。目の前の交通量がとても多いので、騒々しい割りに妙に寂れて取り残されている感じだ。
市電の跡 鉄橋は貨物線
市電の跡 今まさにバスが出るところが駅 2008年1月5日
市電の跡 ちょうどキリンビアビレッジの工場前
市電の跡 先に貨物線の鉄橋、マンションの下が車両基地 2008年1月5日
市電の跡 右手が車両基地 2008年1月5日
新子安(神奈川線)
この辺りは母の生家があったところで、未だにこのような格式がありそうな家が残っています。網本さんの家だろうか。母の生家は商家ではあったがこれと似たような造りだったなあ。
市電の跡 今のJR新子安駅と京急新子安駅付近
市電の跡 この前を通っていた 後ろはオルト横浜 2001年9月22日
漁師さん達も、ご覧のようにほとんど遊漁船に鞍替えしてしまいました。
市電の跡 入江町の大分限者の冠木門 2006年10月22日
市電の跡 市電通り沿いの分限者の家 2008年1月5日
打越(長者町線)
おじいちゃんが住んでいたという打越橋付近です。この辺りは昔も今もあまり変わりません。うさおが子供の頃の山手界隈は、外国の領事館の家族か、華僑の方のもので治外法権ア~ンド超高級住宅街でした。
歳を経ると、お金持ちのステータスとして、この地に移り住む人たちがいますので、未だに人気が高く、高級住宅街です。六本木ヒルズのようだね。
市電の跡 祖父が住んでいた打越橋付近
市電の跡 打越橋 2003年3月13日
六角橋(六角橋線)
あまり遊びに行ったことはないけど、横浜では大口商店街と並んで物が安く、品揃えが良いとされたのが六角橋商店街です。
戦後は闇市だったとも聞きますが、今でも結構賑わっているところです。うさおは技術士の試験を受けに六角橋にある神奈川大学に行ったので、その記憶が残っているので、この商店街は少し気が重いイメージがします。試験は大嫌いです。
以前にTICAさんが濱田省吾の下宿を見に行くんだと、息巻いて大手を振って歩いていたのはこの辺りです。
市電の跡 六角橋商店街だ
市電の跡 街並みは変わったけど正面のビルはそのまま 2008年1月5日
桜木町駅前(神奈川線)
帝蚕倉庫の前にも通っていましたね。桜木町駅のところにも。昔、昔、横浜港の花火大会などはこの辺りを歩いて山下公園に行きました。親父たちとも行った記憶があります。 うさおの記憶だからあやふやだけどね。
ああ、やっぱり市電には乗らないで、歩いて行ったんだあ。あの当時の人は節約家だったんだ。
市電の跡 高島町方面を望む
市電の跡 東横線桜木町駅 2001年9月22日
本町1丁目(本町線)
本庁通り、今の横濱資料館前を通るオレンジ色の市電。
市電の跡 ジャックの前を通る
市電の跡 この辺りを通っていました 2003年3月27日
横浜駅東口の浅山橋の上で工事をしているのに出くわしました。あっ,レールが見える。市電を廃止した時に、そのまま埋めちゃたんですね。

市電の跡 橋を斫ってレールを撤去 2014年4月25日

市電の跡 結構ごついレールが見えます 2014年4月25日

市電の跡 レールを埋めちゃったんだね 2014年4月25日
今度、本格的に市電の駅跡を探しに行きたいと思っています。うさおは。。。
(ピンポンのような口調だな・・・)
やはり昔の視点と同じ場所で撮らなくちゃなあな。
※1 このほかにも浅間町車庫、麦田車庫がありました。浅間町車庫は三ツ沢公園の下のほうで、麦田車庫は本牧の方です。地名だけ聞くとそれだけで昭和の匂いがします。
参考資料:長谷川弘和 「横浜市電が走った街 今昔」