鶴見線を歩くⅠ  2004年7月17日・18日~2004年9月19日 2002年3月2日


 以前、T氏から1 万フィートの風景?だったか、1000 フィートだったか、その高さから見る俯瞰の景色と言うものを教えてもらいました。航空写真で見るわたしたちの町は、結構面白く、それだけで小一時間は楽しめます。とは言うものの、そんなに簡単に航空写真なんて手に入らないので、これは氏の専売特許だなって思っていました。ところがです。最近は、google mapで簡単に航空写真を手に入れることができます。
 当時は測量会社の「パスコ」が提供しているサイトから持ってきていました。4000 分の1までの航空写真が見れます。今回はこれで遊んでみましょう。Tさん、パクってごめんなさい。(^。^)
 さて、今回は幾つかのサンプルを拾ってみましたので、少しワクワクしましょう。(あっ、それは私だけか!)
 で、次をご覧ください。ここは世田谷の上空です。そう以前ご紹介した「002 水道」の中に出てくる「駒沢給水塔」です。それはこれ!(矢印)


鶴見線を歩くⅠ 世田谷上空(パスコのサイトより:現存せず) 

鶴見線を歩くⅠ 建設業界 1998年10月号より 駒沢給水塔

 余談ですが、米国のメリーランド大学のサイトでは、欲しい地域を入力するとその地域の衛星写真が、これもただで手に入ります。以前ですと結構高額なお金を積まないと手には入らなかったのにね。
 次はライ隊員の散歩道の入江川を見てみましょう。上流から下流までを見るために写真はつなげています。こうやって見ると河口では結構大きな河だと思ったものが、どぶ川だね、こりゃあ!って感じです。でも、目を凝らせばちゃんと川が何処にあるかがわかります。ふん。ふん。ふん。

 さて、今回のメインテーマは前からやりたかった「鶴見線」です。(えっ、「橋の欄干(親柱のこと)」とか「リニアモータカー試乗会」だとか言ってたじゃない・・・。そうなんですけどね、なかなか資料が集まらないんですよ。それに最近ではトマソン隊じゃなく、単にレトロ隊になっちゃてるし、どんどん逸れって行っちゃてるなあ!)


鶴見線を歩くⅠ 横浜市神奈川区入江町上空(パスコより) 

 鶴見線は土日の休日ともなると、京浜工業地帯にお勤めの人ではない、マニアの人が乗っています。最も、一編成列車に2~3 人くらいですが、カメラを持って、各駅ごとに乗り降りしますのですぐ判ります。海岸の埋立地を走る鶴見線は、セメント王として有名な浅野総一郎の事業によるものです。川崎、鶴見の海岸を埋め立て、ここを工業地帯に使用するため1908 年に「東京湾埋立」会社を設立しました。この埋立地の輸送機関として、東京湾埋立会社の子会社として鶴見臨港鉄道会社が設立されました。


鶴見線を歩くⅠ 鶴見線路線図 出典不明

昭和の始め頃は、上の図のような路線だったらしい。(これの出典サイトが無くなっています)

本線 鶴見-本山前-国道-鶴見小野-辨天橋-浅野-安善通-安善町-武蔵白石-海水浴前-渡田
    -濱川崎-昭和-扇町
支線 浅野-末廣-新芝浦-海芝浦
    安善通-石油(現 安善-浜安善
    武蔵白石-大川 (安善-大川
貨物 浜安善、鶴見川口


 赤字の駅名は、現在ありません。青字の駅名は現在のものです。


鶴見線を歩くⅠ 東京南鉄道管理局営業開始一覧表より 抜粋

 浅野惣一郎という人は、横浜、川崎には大変縁の深い人です。浅野学園という工業科と普通科のある有名高校に、彼の銅像が建っています。
「浅野セメント(現 太平洋セメント 小野田、秩父、日本(浅野)の合併企業」や「浅野造船所」「浅野製鉄所」(現 日本鋼管)、「東洋郵船」(現 日本郵船)、「東京湾埋立」(現 東亜建設工業)などを興しました。氏はガス生成の際の廃棄物コークスを安く仕入れて大儲け、東京・横浜の汚わいを船で千葉に運び農家に売って大儲け(No.9 その後編を参照)、その時に横浜に日本で初の公衆トイレを作っています。彼についてはいつかトマソン立志伝をやりたいものです。
 で、今でも鉄道フェッチや鉄ちゃん(鉄道オタクのことをこう呼ぶらしいです。)、廃墟マニアには絶大な人気を持っているのが、京浜地区のシーラカンス;鶴見線です。

 鶴見臨港鉄道は、大正15 年に辨天橋-濱川崎と、大川-白石間が開通し、旅客輸送は昭和5 年に開始されました。全長9.7km。扇町行きと海芝浦行きがあり、一駅だけの大川支線があります。


鶴見線を歩くⅠ 鶴見線上空(パスコより)

 さて、史実によりますと鶴見臨港鉄道は、今の鶴見駅-国道駅間に本山前(ほんざんまえ)駅が設置されていました。曹洞宗大本山の総持寺の山門の入口に駅が位置していたことによります。また、今は知りませんが、レジャーランドもあったと言います。(花月園のことかな?大正4 年に出来ています。松尾一族が経営に当たっている。多分、松尾工務店もそうだと思います。鶴見ネタでごめんなさい。現在、花月園も無くなりました。)
 その後、本山前から本山へと名称を変え、戦時中の1942 年に12 月12 日に駅は廃止されました。その翌年に、軍事目的のために鶴見臨港鉄道の路線は国有化されました。鶴見臨港鉄道という会社は、路線国有化以降も存続しており、不動産の管理会社で鶴見の駅ビル「ミナール」もそのひとつだ。社員数、1 名。同社の親会社は、東亜建設工業だそうです。この鶴見線の特徴のひとつとして、駅名が京浜地区の埋め立て事業に功績のあった人の名前か、会社名が使われていることです。鉄ちゃんにとっては、101 型と103 型の電車が現存して走っていることでしょうか。

 では、順次ご紹介をしていきましょう。


鶴見線を歩くⅠ 鶴見駅 海芝浦行 103系の車両 2004年9月19日 

鶴見駅:鶴見は昔お狩場で、そこに鶴が沢山いたとのことですが、この地に鶴が来るわけがありません。鴻ノ鳥か、鷺じゃ無かったんでしょうか?とにかくも鶴見村だったので、駅名は鶴見です。

 この高架下は、戦後住居や商店、バスターミナルとして使われています。特に住居の用として使われているここは、格好の被写体として、よく使われていますが、これは貧困の証ではなく、居心地のよさの証だと思います。皆さん、ぜんぜん出て行こうともしません。既得権の行使で、楽しんでいるように思えます。うさおが高校生のときからこのような雰囲気ですので、特にそう思えるのかもしれません。
 

鶴見線を歩くⅠ レトロなラチス架構 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ 鶴見駅のホーム端 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ 駅の前で分岐が交差する 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ 終端駅の鶴見駅 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ では、出発進行! 2004年9月19日


本山前駅: そしてここに、どうやら本山前駅があったらしい。今現在は、川崎鶴見臨港バスのバスターミナルになっています。この鶴見と川崎を走る京急系の川崎鶴見臨港バスは、鶴見臨港鉄道のバス部門が独立した鶴見川崎臨港バスと、鶴見臨港・京浜電鉄系列の川崎乗合自動車が1938 年に合併してものだそうで、戦後京急系列になりましたが、元々は鶴見臨港鉄道のものだったという訳です。下から見ると確かに何やら階段の名残のようなものや駅舎の名残のようなものが残っています。昔、濱が綺麗なときには海水浴客が鶴見線を利用したと言いますから、この駅もたいそう繁盛したのかも知れません。


鶴見線を歩くⅠ 1975年の頃の和泉屋さん(横濱より) 2002年3月2日

鶴見線を歩くⅠ 和泉屋さんの倉庫 2002年3月2日

鶴見線を歩くⅠ 和泉屋本店 2002年3月2日

鶴見線を歩くⅠ  1975年の高架下の住居(横濱より)

鶴見線を歩くⅠ 高架下の住居(横濱より)  2002年3月2日

鶴見線を歩くⅠ 大体同じ画角で撮ってみました  2002年3月2日

鶴見線を歩くⅠ 国鉄時代の労組の事務所看板  2002年3月2日

 鶴見駅を出発して、本当に僅かな距離のところに[本山前駅]跡があります。当時の鶴見線は一駅間が1kmに満たない間隔だったんですね。鶴見駅から歩いて10 分位のところに存在する。ホームに上がる階段もしっかり見て取れる。


鶴見線を歩くⅠ 総持寺前の開かずの踏切 高架下を埋めた跡がある  2002年3月2日

鶴見線を歩くⅠ 臨港バスの営業所になって居る  2002年3月2日

鶴見線を歩くⅠ この天井付近がでこぼこして怪しい 2002年3月2日

 電車に乗ってみてみましょう。駅から直ぐの所ですから、集中していないと見逃しちゃうよ。


鶴見線を歩くⅠ わっ、もうここにあった 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ ホームが残っているね 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ 反対側から見るとこんな感じ 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ ホームとしてはやや幅が狭いかな 2004年9月19日

鶴見線を歩くⅠ 低いホームと高いホームがあり階段がある 2004年9月19日

いやあ、廃墟マニアには堪えられんでしょうね。と言いつつ、次回に続く。

「鉄ちゃんてなあに?」のコーナーです。
鉄ちゃんを自認している方は数多くいらっしゃるでしょう。メルクリンの電車模型を持っているとか、廃車両の銘板を部屋に飾っているとか、アルバムは鉄道のものばかりだとかの。そんな方は下記のインターネットのサイトに行ってください。結構遊べます。鉄ちゃん度チェックは幾つ当て嵌まりますか?
定義:鉄ちゃんは、 ローカル線などの廃止が決定すると、廃止前に乗ってもしくは撮っておこうと、曜日を問わず全国からその路線に大挙して集まる習性がある。 しかし "さよなら運転" だけを追い求める類の人はあまり快く思われていないようで、 一部には "葬儀屋" などと呼ぶ者もいる。中にはアマチュア無線技士免許を取得している人などもいて、鉄道を使う外出の際は無線機を携帯し、ダイヤの乱れの際などに飛び交う列車無線を傍受して、いち早く行動に役立てたりする者もいる。本当に鉄道を愛している人はモラルもあるが、時々ホームから飛び降りて写真を撮ったり、撮影の邪魔だからと言って国立公園内の木の枝を折るなど、非常識な行動に走る者もいる。ちなみに、鉄ちゃんは鉄道会社に就職できない。不思議なように思えるかも知れないが、赤字線廃止などの際に、"趣味で反対するような人間" が会社内にいたのでは、仕事にならないからだ。また、進学、就職、結婚が鉄道趣味継続の大きな壁とな
って立ちはだかることがあり、それをどう乗り切るかも大きな課題となる。

"鉄ちゃん度チェック"
(1)通勤電車では、 必ず先頭車両でかぶりつく。
(2)さらに、 運転士と一緒に確認喚呼までしている。
(3)さらに、 指差し確認までしている。
(4)車に乗っているとき、 信号を見ると「進行!」などと確認喚呼する。
(5)さらに、 指差し確認までしている。
(6)さらに、 クラクションを鳴らそうとして、 アクセルを思いっきり踏んだ経験がある。
(7)さらに、 高速道路に乗ると「高速進行!」または「ATC 投入!」と喚呼する。
(8)さらに、 インターチェンジを通過すると「調布定時通過!次は稲城」などと喚呼している。
(9)GTO は鬼塚先生ではなく、 電車に積まれているものだ。
(10)電車を待っているとき、 嫌いな車両が来ると見送って次を待つことがある。
(11)変な経路の切符を買って、 売り手を困らせたことがある。
(12)人が鉄道の話をしていると、 間に入りたくなる。
(13)さらに、 その話が間違っていると、 訂正したくなる。
(14)さくらといえば、 寝台特急に決まっている。
(15)光より速いものだって実はあると思っている。
(16)パソコンの起動/終了音は鉄道関係の音だ。
(17)携帯電話の着信音も鉄道関係の音だ。
(18)本屋で女の子が時刻表を立ち読みしていると、 声をかけたくなる。
(19)テレビで列車や駅などが映ると、 どの路線かすごく気になる。
(20)子供の名前は、 "ひかり" "のぞみ" "あずさ" など、 列車の名前だ。または、 そのような名前を付けた
いと思っている。
(21)電車でGO! をしていて、 流しノッチ、 指差確認、 確認喚呼のどれかをしたことがある。
(22)日頃使っている路線に対して、 言いたいことがある。
(23)自分は鉄ちゃんだと思っているが、 人には絶対言えない。

参考:http://oblique.jp.org/train/enter/laws.html (鉄ちゃんの法則:このサイトは今は存在しない。)  

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