日劇のふ号兵器
                        うさお

                  
 

 ゴジラが銀座を襲った時に、和光ビル以外にも気になっている建物がありました。有楽町を降りてパチンコ屋の脇の闇屋街のような路地を入り、ブロマイド屋に通り抜けるとそこに日劇がありました。
 日劇は外観が王冠のような形をしていて趣きのあるものでした。東芝の看板が記憶に残っています。


ゴジラによって壊滅される日劇

 本当にゴジラは悪い奴で、1984年に建て替えられる前(1947年頃)に、この日劇を壊しちゃうんですから。日劇の隣に朝日新聞社もあった筈ですが一緒に壊しちゃったんかな。
 1933年頃の出来立てほやほやの日劇です。建築設計は渡辺仁設計で施工が大林組です。

 陸の竜宮と呼ばれていたようです。


日劇正面 大林組 『工事画報 創業六十年記念』(1952年11月)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/nichigeki-last-show_jp_5c5d5d7de4b0974f75b1e203

 絵葉書でも見てみましょう。色付きです。AIで色を着けた訳ではないですよ。


絵葉書の日劇 手前は朝日新聞

絵葉書の日劇 俯瞰

 日劇85周年の歴史は以下のサイトから御覧ください。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/nichigeki-last-show_jp_5c5d5d7de4b0974f75b1e203

 さて太平洋戦争が激化してきた1944年3月に、軍部の指示で日劇は閉鎖されます。日劇の座席を総て取り払い、出来た大空間で女学生や女子挺身隊が風船爆弾を製造していました。
 和紙とこんにゃく糊で気球を作り、偏西風に乗せて米本土に風船爆弾を飛ばすと言う「ふ号兵器」作戦です。

 風船爆弾とはどのようなものでしょうか。登戸研究所跡に行ってみましょう。
 登戸研究所は、旧日本陸軍の兵器研究所です。正式名称は第九陸軍技術研究所です。通称「登戸研究所」とよばれていました。終戦を機に閉鎖されました。登戸研究所跡地は明治大学生田キャンパスになっています。



明治大学登戸研究所跡 2014年8月14日

明治大学登戸研究所地下研究室跡 2014年8月14日

 見学すると、防諜機器や偽札製造、特殊兵器の幾つかが残っています。そして1943(昭和18)年 11月に風船爆弾の試作機が完成します。
 翌1944(昭和19)年2月に千葉県一宮海岸で風船爆弾の実験を行いました。
 同年11月に千葉県一宮、茨城県大津、福島県勿来から風船爆弾による米本土攻撃が開始されました。
 その風船爆弾の大量製造を有楽町のど真ん中、日劇で行っていたのです。



風船爆弾(模型)2014年8月14日 ※明治大学平和教育登戸研究所資料館蔵

https://usao.jp/usao/00084%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E8%B3%87%E6%96%99%E9%A4%A8/tomason00084.html

 そこで千葉に行ってみました。千葉駅から千葉都市モノレール2号線で「千葉公園駅」から「作草部駅」まで,一駅だけ乗ります。降りてすぐに計量検定所があるのですが、その敷地内に遺構が残されています。
 気球連隊跡地だそうです。この木造建物は気球連隊の施設ということです。



千葉鉄道第一連隊 千葉県計量検定所 2015年11月15日

 ここからやや東のほうに歩いていくと、川光倉庫(株)がありました。米穀倉庫として用いられておりますが、戦争中は風船爆弾の気球を作った格納庫だったそうです。残念ながら2020年には解体されマンションになりました。
 この格納庫は昭和4年(1929年)に建てられたもので、厚いコンクリートとスレート屋根で出来た、かなり大きなものです。
 風船爆弾は、ガスを詰めて浮かして動作確認するために天井が高い必要があったのかもしれない。この格納庫の大きさは、気球と言うよりは飛行船の格納庫のようだ。



千葉鉄道第一連隊 川光倉庫 格納庫跡 2015年11月15日

千葉鉄道第一連隊 川光倉庫 格納庫跡 2015年11月15日

https://usao.jp/usao/00120%E5%8D%83%E8%91%89%E9%89%84%E9%81%93%E9%80%A3%E9%9A%8A/tomason00120.html