門司港駅から徒歩5分
うさお&Cacco
夜の門司港駅は暑さを忘れるほど綺麗でした。夜でも噴水は動いており、ライトアップされてこれも感動的です。
門司港駅の周囲は、色々な遺構が残っており、煉瓦構造物に限らず復元されて残っています。

夜の門司港駅 2025年7月8日
■九州鉄道記念館
九州鉄道会社は明治21年に設立され、博多に本社を置いていましたが、明治24年4月に門司駅(現在の門司港駅)に本社を移転しました。その後、筑豊鉄道、豊州鉄道などと合併・吸収により九州北東部の鉄道網を手に入れました。鉄道国有法の施行により明治40年7月1日に国鉄になり、全九州の鉄道網を掌握しました。
九州鉄道記念館は北九州市とJR九州が提供し、「レトロパーク門司港」が運営しています。
この日はあいにく開館していませんでしたので、犬のように周りをクンクン嗅いでいました。

九州鉄道記念館 全体 2025年7月8日

九州鉄道記念館 左翼 2025年7月8日

九州鉄道記念館 中央 2025年7月8日

九州鉄道記念館 右翼 2025年7月8日
という訳で、裏に廻ってみると、昔懐かしい蒸気機関車が展示されていました。

九州鉄道記念館 2025年7月8日

九州鉄道記念館 蒸気機関車が2台もある 2025年7月8日
ミニ鉄道公園があり、ここでは運転体験が出来ます。また代表的な歴代車両の頭部だけを展示しています。

九州鉄道記念館 ミニ鉄道公園 2025年7月8日

九州鉄道記念館 車両の頭部展示 2025年7月8日
■北九州銀行門司支店
北九州銀行門司支店は、かつては横浜正金銀行の門司支店でした。横浜正金銀行の支店が門司港に置かれたのは、かつて門司港が九州の金融の中心地だったからです。
設計者は桜井小太郎で、この建物は古典主義建築のモチーフが随所に生かされているそうです。

北九州銀行門司支店 2025年7月8日

北九州銀行門司支店 2025年7月8日
旧横浜正金銀行本店は現在は神奈川県立歴史博物館として残っています。横浜正金銀行は、大蔵大臣・大隈重信の主導のもと、福澤諭吉が相談役として開行されています。渋沢栄一も株主として参画していました。ともかく、国がバックに付いた外国為替と貿易金融を専門とする銀行でした。

旧横浜正金銀行本店 2014年12月12日
■日本郵船
1885年に設立された日本郵船は、三菱グループ傘下の大手海運会社です。郵船とあるのはかつては郵便船を持っており、郵便物の配布を行っていましたが今は行っていません。日本郵政や日本郵便とは全く関係がありませんよ。横浜港に永久係留されている日本郵船氷川丸も所有していました。
※氷川丸

日本郵船 門司港駅側から 2025年7月8日

日本郵船 旧JR九州側から 2025年7月8日
■旧JR九州本社
この建物は三井物産門司支店として、松田軍平:設計、清水組:施工で1937年(昭和12年)に完成しました。建設当時九州一の高層ビルだったそうです。戦後、財閥解体で国鉄に売却された本ビルは、民営化によりJR九州北九州本社として使用されました。2001年(平成13年)にJR九州が本社を福岡市へ移転しため、旧JR九州本社ビルと呼ばれています。このビルの解体方針が示されているので、数年後には消滅していますね。

旧JR九州本社 門司港駅から 2025年7月8日

旧JR九州本社 旧三井倶楽部から 2025年7月9日
この建物の脇、門司港駅前のロータリー端にバナナの叩き売りの碑が建っています。叩き売りの発祥は門司港周辺と言われています。
昔は露天商、香具師が行う啖呵売(たんかばい)でフーテンの虎さんが得意とするところです。
碑文 バナナの叩き売り発祥由来の記
昔しを偲べば、大陸、欧州、台湾、国内航路の基幹と、九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した、ここ桟橋通りは往昔の絵巻の一こまとして、アセチレンの灯のにぶい光の下で、黄色く売れたバナナを戸板にならべ、だれとはなしに生まれ伝わる名セリフは大正初期~昭和十三、四年頃まで不夜城を呈し、日本国中の旅行者の、目を楽しませた。バナナの叩き売り風情は門司港のこの地桟橋通り付近を発祥の地と由来せし。
昭和五十三年四月吉日 門司港発展期成会・北九州市門司区役所
碑文にあるように、運搬船が台湾から神戸に向かう途中に、傷が付き痛んだバナナを門司港で売りさばいたのが始まりとされています。門司港駅ではバナナの叩き売り愛好会の方が年に何回か、口上の実演をされているそうです。
代表的な口上が以下のものです。
「さぁ、さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。門司港名物バナナの叩き売りだよ~。春よ三月春雨に、弥生のお空に桜散る 生まれは台湾台中の 阿里山ふもとの片田舎~。台湾娘に見初められ、ポッと色気のさすうちに、国定忠治じゃないけれど、一房二房もぎ取られ、唐丸籠に詰められて、阿里山ふもとを後にして ガタゴトお汽車に揺すられて、着いた所がキールン港。キールン港を船出して、金波銀波の波を越え、海原遠き船の旅、艱難辛苦の暁に、ようやく着いたが門司みなと。門司は九州の大都会。門司のみなとで検査され、一等二等とある中で、私のバナちゃん一等よ。さぁさあ、こうた、こ~た。」

旧JR九州本社脇 バナナの叩き売り発祥の地 2025年7月8日
会社には行って直ぐのことですが、うさおは何を思ったか香具師の口上のレコードを買いました。仁義の切り方の口上も収録されていました。寅さんの口上もそうですが殆どリズム感だけ意味がありません。唐辛子売りの口上と手際も面白いですよ。
「並んだ数字がまず一つ。もののはじまりが一ならば、国のはじまりが大和の国、島のはじまりが淡路島、泥棒のはじまりが石川五右衛門なら、スケベエのはじまりがこのおじさん!
続いた数字が二だ。兄さん寄ってらっしゃいは岡崎のカブ、仁吉が通る東海道、日光 結構 東照宮、憎まれ小僧ができないようにおまけしましょう。
産で死んだか三島のおせん、おせんばかりがおなごじゃないよ。京都は極楽寺坂の門前で、かの有名な小野小町が、三日三晩飲まず食わずに野垂れ死んだのが三十三。とかく三という数字はあやが悪い、三三六歩で引け目がない。
まかった数字が四つ!。四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたが百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水くさい。」
と縁起の良い七まで値引きします。
■門司港
この日の門司港は波も無く穏やかな海でした。まるで運河のようです。私たちの泊まったところが、プレミアホテル門司港。どの部屋に泊まっても海が見えるのがウリです。時間があれば門司港レトロクルーズで周遊するのもありでしたね。20分で1000円ですのでお値打ちです。
綺麗な夕陽の左側に見える一際高い塔は、下関市のオーヴィジョン海峡ゆめタワーでしょう。

門司港 プレミアホテル門司港 2025年7月8日

門司港 ホテルからの夕陽 2025年7月8日
■旧大阪商船
旧大阪商船は、門司港と国外を結ぶ国内有数の重要拠点でした。大正時代には、大陸航路の拠点として門司港は、石炭、米、麦、麦粉、硫黄の特別輸出港でした。
1917年(大正6年)に、世界で第八位の「大阪商船 」が門司支店を造ります。大阪の建築士の草分けと言われた河合幾次による設計で、東京駅を設計した辰野金吾の「辰野式フリークラシック」を、「ゼツェシオン様式」に近づけたものとして知られています。望楼は夜は灯台としての役割もあったとされています。
大阪商船は1964年(昭和39年)4月、三井船舶と合併し、大阪商船三井船舶株式会社になりました。 ホテルを出る度にこの建物を撮っていたので、最も写真の枚数があります。私たちが訪れたときは、「わたせせいぞう」のギャラリーが開かれていました。

旧大阪商船 昼間 2025年7月8日

旧大阪商船 薄暮 2025年7月8日
■ホームリンガ商会
この建物は、ホーム・リンガ商会の門司営業所でした。「英国領事館」とそっくりだといわれています。
1868年(慶応4年)に、イギリスの貿易商フレデリック・リンガがエドワード・Z・ホームとともに長崎にホーム・リンガー商会を開設します。戦時中は閉鎖されていましたが、日本人従業員が門司で再開します。現在は、外国船舶の代理店業を営んでいます。

ホームリンガー商会 2025年7月8日
■門司港西海岸5号防波堤燈台
この燈台は門司レトロ燈台として、平成9年3月に初点灯されたデザイン燈台です。

門司港西海岸5号防波堤燈台 2025年7月9日
■ブルーウィングもじ
ブルーウィングもじは全国で最大級の歩行者専用のはね橋です。 「二階堂の壁」の項で少し触れましたが、旧大阪商船通りとレトロ中央通りを短絡的に結ぶ橋です。
このはね橋は一定に時刻になると橋を跳ね上げます。完全に跳ね上げるまでには15分くらい掛かりますが、観光客はそれをじっと見守っています。
「二階堂の壁」に出てくる「かいもん市場」とは、土産物屋と飲食店が入っている建物のことです。

ブルーウィングもじ 2025年7月9日

ブルーウィングもじ 2025年7月10日

ブルーウィングもじ かいもん市場の建物 2025年7月10日
■旧門司税関
門司税関は1912年(明治45年)に完成し、1927年(昭和2年)に税関が西海岸通りに移設されるまで、役目を果たしました。
旧横浜正金銀行本店などの設計者、妻木頼黄の指導のもと設計されました。ルネサンス様式がベースになります。
庁舎には、煉瓦躯体や貴賓室のシャンデリアなどが残されています。とってもノスタルジックな建物です。手前のベンチに座っているのがうさおです。歩けなくて往生しています。

旧門司税関 2025年7月9日

旧門司税関 外観 2025年7月9日

旧門司税関 正面入口 2025年7月10日
内に入ると圧倒的な迫力で煉瓦壁が迫ってきます。Caccoが館内写真を撮ってきました。

旧門司税関 煉瓦壁内部 2025年7月10日

旧門司税関 木組みによる屋根 2025年7月10日

旧門司税関 吹き抜けからロビーを望む 2025年7月10日

旧門司税関 こいつは誰? 2025年7月10日
同じわんこが横浜税関にもいました。税関のシンボル「カスタム君」です。麻薬探知犬がモデルだそうです。※税関:Customs

横濱税関のマスコット「カスタム君」 2014年12月12日
■北九州市大連友好記念館
1979年(昭和54年)に北九州市と大連市は友好都市を締結します。締結15周年の1994年(平成6年)に、友好のシンボルとするために大連友好記念館(当時は国際友好記念図書館)を立てました。モデルは大連市の「東清鉄道汽船会社事務所」です。
建設に用いられた煉瓦や御影石は、大連市で製造され船で運ばれて来ました。設計図は無く外観写真を頼りに建設されたとか。
門司港に着いた夜は、ここの建物内にある中華料理店「大連あかしや」で食事をするつもりでした。でも、なんとこの日は定休日だったのです。憤懣やるかたないCaccoは翌日に店内をパシャパシャ撮っていました。「ネットでは休みじゃないと書いてあったのに!」

北九州市大連友好記念館 2025年7月9日

北九州市大連友好記念館 2025年7月9日

北九州市大連友好記念館 大連あかしや 2025年7月10日

北九州市大連友好記念館 大連あかしや 2025年7月10日
■門司港レトロ展望室
門司港レトロ展望室は門司港レトロハイマートという高層建物の最上階にあります。このマンションは黒川紀章が設計した門司港初の高層建物です。
右下に映る煉瓦建物は旧門司税関です。

門司港レトロハイマート 2025年7月9日
ここから私たちが泊まったプレミアホテル門司港や門司港レトロ海峡プラザ、旧門司税関が一望のもとに見えます。

門司港レトロ展望室から 2025年7月9日

プレミアホテル門司港より門司港レトロ海峡プラザを望む 2025年7月8日
■門司港レトロ海峡プラザ
中華料理店「大連あかしや」で食事が出来なかった私たちは、門司港レトロ海峡プラザに来ました。名物の「瓦そば」があるというので食べるつもりです。

じーも君 2025年7月8日

門司港レトロ 右端の日傘女性からCaccoが顔を出している 2025年7月8日
「瓦そば たかせ」のお店に入ると、閉店まであと30分ですと言われてしまいました。まだ、八時ですよ、お店を閉めるのが早すぎます。
「じーも君」や「顔出しパネル」で食事の時間を調整してきたのに。
もちろん、瓦そばは食べましたよ。10分掛かって出てきたお蕎麦は熱々の瓦の上に乗っていて、「熱いぞ!」と言いながら夢中になって15分で食べましたよ。

瓦そば たかせ 2025年7月8日

瓦そば 2025年7月8日
この後、階下の喫茶店「KOU」に入って一服しようと思っていましたが、勿論閉まっていました。

喫茶店「KOU」 この時は開いていた 2025年7月8日
■門司港レトロ観光線
門司港レトロ観光線は、2009年4月26日に開業した愛称「北九州銀行レトロライン」です。九州鉄道記念館駅から関門海峡めかり駅までを結ぶもので、小型のディーゼル機関車がトロッコ列車「潮風号」を引っ張ります。貨物鉄道線の単線跡を走っています。

門司港レトロ観光線 一段高い所は元の貨物駅跡か 2025年7月8日

門司港レトロ観光線 2025年7月8日

門司港レトロ観光線 2025年7月8日
