門司港駅周辺の煉瓦構造物
うさお&Cacco
憧れの門司港駅に行きました。長い間行ってみたかった場所です。連日気温37度の酷暑の中です。最近は腰の痛みと足の筋力が衰えまともに歩くことも出来ません。
電車の中はエアコンが入っているので、それなりに過ごせますが、一歩ホームに降りると一気に汗が噴き出してきます。
朝の門司港駅
2025年7月9日
夜の門司港駅 2025年7月8日
門司港駅は何といっても現存する駅舎の中では、東京駅と並ぶ歴史的建造物だということです。残念ながら煉瓦構造物ではありませんが、残っている駅舎の中では数少ない木造建築です。木造駅として有名なのは、薄墨桜のある樽見駅です。横浜線の大口駅も木造ですけどね。
何といっても門司港駅は、関門連絡船が門司港と下関港の間をつなぎ、鉄道車両を船に引き入れて運びました。青函連絡船、宇高連絡船と並ぶ物資を運ぶ重要な役割を果たしていました。
駅舎はネオルネサンス様式の木造二階建てですが、一見すると石造のように見えます。当時の色々な遺構が駅舎内に残っています。「0哩」もその一つです。今は門司駅に0哩標はあります。
「0哩」
ここは九州の鉄道の起点となったところです。
明治24年4月1日 この門司港駅(当時の門司駅)から玉名駅(当時の高瀬駅)まで鉄道が開通しました このとき門司港駅に0哩線が建植され 九州の産業と文化は ここを起点として延びる鉄路とともに栄えてまいりました その後 駅舎の移転により0哩標は撤去されて今日にいたりました
ここに鉄道100周年を記念し先人の偉業をしのびつつ再び0哩標を建立しました
昭和47年10月14日 日本国有鉄道九州総局
門司港駅ホームの0哩標モニュメント 2025年7月8日
門司港駅ホーム 2025年7月8日
門司港駅構内 動輪 2025年7月8日
ここは関門連絡船の荷下ろしホームとの通路だったところだと思います。戦後はGHQのお達しで列車に客を乗せたまま移動していたようですが、そのうち列車と客は別々にして船に乗せたようです。
門司港駅 関門連絡船通路跡 2025年7月8日
ようこそ門司港駅へ 2025年7月8日
門司港駅 トラス架構跡 2025年7月8日
駅の通路も木調が好い色合いを出していて雰囲気があります。リベットで鉸められたトラス梁も良い感じです。玄関ホール、待合室も昭和レトロ満載です。
門司港駅通路 2025年7月8日
門司港駅玄関ホール 夜 2025年7月8日
門司港駅玄関ホール 昼 2025年7月8日
こんなところに共用栓が残っていました。獅子頭とか龍頭とかの装飾は無いようです。体の部分の模様は
獅子頭共用栓
によく似ています。
お手洗いのところにも、大きな手水鉢が残っており幸運の手水鉢と書かれていました。
「幸運の手水鉢
大正3年の建設当時からあり、戦時中の貴金属供出からもまぬがれ現在も鋳造時の形のまま、長寿を誇っております。」
往時のことを思うと、どの様だったんだろうと何かワクワクします。
門司港駅 共用栓 2025年7月8日
門司港駅 手洗い場 幸運の手水鉢 2025年7月8日
待合室がとても好いですねえ。落着きがあって、と思ったら外から雀さんが入ってきて床に餌があるのか、突ついて回り始めました。でも周りの人は馴れているのか雀さんに興味を持っていません。
門司港駅 待合室 2025年7月8日
門司港駅 待合室 雀さんが飛び廻っています 2025年7月8日
駅構内にはスタバが入っていますが、これが意外にもレトロ感を損なっていません。暑さが堪えてへばった体にスタバのアイスコーヒーが身に沁みます。うさおの席の近くに、またも雀さんがやってきました。
駅構内のスターバックス 2025年7月8日
駅内のスターバックスの雀さん 2025年7月8日
スタバの外壁に硝子張の部分から木構造が見える 2025年7月8日
スタバの店内に硝子張のエレベーターがあります。これで二階に行くと貴賓室があります。赤絨毯の敷かれた大変立派なところでどのような方が会食などをされたんでしょうね。
門司港駅 貴賓室 2025年7月8日
門司港駅 大広間 2025年7月8日
門司港駅 貴賓室廊下 2025年7月8日
ライトアップされた夜の門司港駅は、昼間よりも立体感をもって迫ってきます。
ライトアップされた門司港駅 2025年7月8日