浅田次郎 読後感
うさお
明治の御代の剣豪物語です。陸軍の梶原中尉と警視庁の榊警部は剣道の全国大会で鎬を削っていました。
だが、梶原中尉はどうしても榊警部に勝つことが出来ません。試合を見ていた老人が柔らかく剣を持たねば人は斬れぬと呟くのを聞いてしまいます。
榊警部は顔をしかめて「あやつの話など聞くことは無い」と忠告されますが、夜毎この老人を訊ねその剣談に聞き入ってしまいます。
「老人は死んだとされる新選組の斎藤一であった」っと話は進み、最後は猟奇的な結末を迎える本編は、どうぞ本を買ってお楽しみください。
さてうさおが気になったのは、一刀斎の件(くだり)に「手の内」の文言が多々出てきます。何となく手の内に隠した秘儀のことかなと漠然と思っていました。
親父が持っていたレコード(78回転盤)が結構あったので、秋葉原で簡単な電蓄を兄に買って貰い、小学生になる前からうさおは聞き入っていました。親父は寄席も好きだったようで、廣澤寅蔵、柳家三木松、神田伯山、活動映画の辨士のレコードを持っていました。
その活動映画の辨士の一節
夜風もの凄く、松の梢を鳴らし、岸打つ波の音
鈴ヶ森の夜半
取り巻く雲助相手に戦う色若衆 (戦いの音曲:三味線、太鼓)
己が討たれ、己が傷つき、己が腕の未熟さをあざ笑う権八の
背後に一人、佇む人影
「お若けいの! お待ちなせいやし!」
「なんと!」
「お若いお方のお手の内 あまり見事と感心して しばらく見とれておりやした
血刀、鞘にお納めねげえやす」
これが長兵衛、権八の縁を誓う出会いであった
一応、お判りでしょうが「長兵衛」とは幡随院長兵衛のこと、「権八」とは白井権八こと平井権八のことで、辻斬りを繰り返した連続殺人犯のことです。
この時分のうさおには、この「お手の内」の意味がよく分かりませんでした。
AI検索によると
「竹刀を握る時の手の状態や、その状態を調整して打突する技術のことです。左手の親指と人差し指の間、右手の鍔元を軽く握るなど、手の力の入れ方や、手首の動かし方が重要になります。」
を指すのだそうです。
剣の握り方で自在に動かせるということでしょうか、斎藤一は物語の中では首をポンポン撥ねていますので、据えもの斬りの達人だったのでしょうね。
もう一つ気になったのが、梶山中尉がよく訪れる陸軍戸山学校のことで、現在では限界集落となっている「戸山ハイツ」の中に将校の集会場が残っています。今は幼稚園として使われているそうです。
ここは戦時中の「731部隊」が置かれた場所でもあります。(陸軍軍医学校防疫研究室)
戸山ハイツの給水塔も大変興味のある場所でしたが、もう破壊され跡形もありません。
給水塔
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