アンパンマンと日本人
       柳瀬博一 読後感 
 

                            うさお

  シン・ドクガク79号で「カワセミ都市トーキョー」を書かれた柳瀬博一氏が、新作「アンパンマンと日本人」を書かれました。ニシサンの甥御さんだそうで、東京技術大学(旧東工大)の教授をされています。
 ニシサンから面白いので是非読んでくださいと、アナウンスがあったので購入しました。都会のカワセミが面白かったので期待感満々です。

 漫画チックな絵を描くのが好きだったうさおは、大学生時代に漫画同人誌に初めて出会います。時はストーリー漫画全盛の時で、同人の皆さんは四コマ漫画や一コマ漫画には目もくれません。
 うさおは下書きを何度も繰り返して推敲するのが嫌いで、というか、繰り返して描くとどんどん絵が下手になるタイプで、また、ちばてつやさんのように原稿に鉛筆の跡がしっかり残るように集中することが出来ないタイプでした。要は漫画家さんは緻密な絵を丹念に何日もかかって描き上げる根気が必要でした。努力の嫌いなうさおは漫画家やイラストレーターには向いていません。
 やなせたかしさんはイラストレーターで漫画家でしたが、しかも手早く描ける人でした。もともとは三越の宣伝部でデザインをされていたので、早さも求められていたのかも知れません。
 本書では膨大な資料を基に「アンパンマン」の生い立ちから、顔が齧られているやや不気味な絵が絵本になり、時代や国を超えて絶大な人気のキャラクターになったかを論説しています。カワセミの時と同様で資料の中に眠るやなせたかしさんを掘り起こします。

 学生時代に新宿の「コボタン」(漫画家やファンが集まる喫茶店)や阿佐ヶ谷の「ポエム」に行ったことがあります。漫画家の卵たちが集まり、自分たちの原稿を持ち寄り、互いに批評し、けなしあっていました。時には著名な漫画家も顔を出し、壁に貼った生原稿をもとに漫画トークをすることもあります。陰キャなうさおは、黙って後ろの方で彼らの会話を聞いていました。すげえ旨い絵を持ってくる彼らに嫉妬していました。
 「ポエム」に永島慎二さんがモデルのような若い娘達(当時流行っていたフーテンだったのかな?)を連れてきたのには、別な意味で凄い嫉妬をしていました。

 彼らのなかで、やなせたかしさんの話が出てきて、手塚治虫さんがすごい評価しているだってという話が聞こえてきました。
 ほ~、そうなのか。
 やなせたかしさんと同じ年齢層に、馬場のぼるさんがいました。この方も晩年は絵本の方に移って、ほのぼのとした日本昔話を描いていました。あの当時は馬場のぼるさんの方が有名でしたので、手塚治虫さんのやなせ評価が少し不思議に思えました。しかし、天才の方は先見の明があるんですね。後にアンパンマンが爆発的な人気を博します。

 倅の幼少期も孫もアンパンマンの絵本が大好きです。
 やなせたかしさんはうさおが学生の時でも先達の漫画家さんで、雲の上に人なので名前は知っていましたが来歴はよく知りませんでした。この本で、そのようなやなせたかしさんを知ることが出来たのと、アンパンマンの人気の源や、経済的な波及効果を色々な視点から教えられました。

 うさお達は別のやなせたかしさんを知っています。浦和の調神社さんに初詣に行った時のことです。浦和の駅前の「浦和うなこちゃん」の像に出合います。浦和は江戸時代から鰻の蒲焼が有名なので、街のシンボルとしてこの像が立てられたのでしょう。この像のモチーフは勿論やなせたかしさんです。
※調神社:https://usao.jp/usao/00060%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE/tomason00060.html


浦和うなこちゃん caccoもついでに 2011年1月3日

 この本のあとがきに同姓の著者がやなせたかしさんに倣って、ひらがなで署名されているのをみて、ああっ、こういう感性好きだなあとワクワクしました。「やなせ一族」に属しているのを誇らしく思っているんだな。