yuko
広島の四季再発見(平和記念公園)
なかなか原稿を書けないまま、新しい年を迎え春になってしまいました。
広島では昨年秋、被団協がノーベル平和賞を受賞し、そのせいだけではないでしょうが今、広島を訪れる外国の人の多いこと。
平和公園を歩けば、家族連れやカップルの外国の人の方が日本人よりも多く、ボランティアガイドも、さまざまな言葉で原爆投下について解説しています。
そこで、今回は広島平和記念公園をご案内したいと思います。(前回も触れたのですが)
平和記念公園には原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・原爆の子の像など、三十五基の慰霊碑や記念碑が建てられています。
広島に生まれ育った私たちにとっては、平和公園は街の中心にある祈りの場で、そう遠い昔ではなく、わずか八十年ほど前に現実に起こった悲惨な出来事を、忘れることなく語り継ぐための大切な場所なのです。
私の母は十七歳で爆心地にほど近い、舟入という町で被爆しました。布団を被って逃げたので、黒い雨の影響を受けずにすみましたが、同じ時、母と反対側に逃げた原爆の子の像のモデル佐々木禎子さんは、黒い雨のため原爆症(白血病)で亡くなりました。
生き延びた母も、顔下から胸にかけて割れたガラスの破片が刺さり、十七歳という青春の時をどんな思いで過ごしたのかと、今も時々思います。
特に八月はなおさらその思いが強くなる月。敬愛の浜田省吾さんの曲にも「八月の歌」というのがあるように、やはり私も八月になるとたくさんの俳句を詠みたくなります。
錆びつきし子の三輪車つくつくし
八月を語れば父と母のこと
小さき骨のかけら足裏に爆心地
没日みな同じ八月六日かな
秋の日の足裏に万の魂の声 yuko
平和公園は街中でありながら、緑豊かな自然に囲まれた市民の憩の場でもあり、春になると満開の桜が美しいお花見の名所でもあります。
そんな穏やかな「公園」は、さまざまな人がそれぞれのスタイルで、ゆったりとした一日を過ごす場所でもあるのです。
私は、ここで物を食べながら、大声で話し笑いながら行き交う人々とすれ違うたびに、何か違う…と思ってしまうのです。
…でも外国の人が、そして若い人たちがこの地に立って、資料館を訪れ、核兵器を使用することの恐ろしさや戦争の無意味さを、いま一度考えてくれることも平和につながるのかなとも思うのです。
春に相応しい記事をと思ったのですが、広島…平和公園…となると、どうしても原爆の日に考えが及びます。
昨年、被団協がノーベル平和賞を受賞したこともあり、今年こそ世界が平和について、しっかりと考えていくべき時なのではないでしょうか。
前回の広島四季再発見と重複した内容になってしまって、申し訳ありません。
三月末に宮島へ吟行句会で出かけます。次回は宮島の景色や春の句をご紹介しますね。
春光や平和の像の子も踊る
待合せはミモザ咲くカフェ午後六時
花菜畑ゆらゆら猫の尾つぽ行く yuko