二宮駅銃弾跡 2020年11月18日


 二宮駅は大東亜戦争の時に米軍の空襲に合い、未だに駅舎の屋根に機銃掃射の跡が残っています。地下壕は入るのに匍匐前進が必要だと聞かされ、今回は諦めました。代わりにその銃撃の跡を見ることにしました。


二宮駅銃弾跡 二宮駅googleより 2020年11月18日

 1945年(昭和20)年8月5日の昼前に、米艦隊から数機の戦闘機(P-51)が飛来し、旋回した後に二宮駅を機銃掃射しました。
 同じ時間に小田原駅、国府津駅、高尾の浅川駅でも銃撃を受けているので、数編成の飛行隊が来たと思われます。
 襲撃を受けた駅近くには、いずれも弾薬庫や兵器工場があったので、それをピンポイント攻撃をしに来たのでしょう。平塚は火薬廠があったので絨毯爆撃を受けています。

 さて、JR東海道線の二宮駅に入ります。一番線のホームの屋根の梁に、銃撃の跡が残っているはず。鉄骨のV字型の屋根の向こうに、船底方の木造屋根が掛かっていますが、そこにあるという噂です。


二宮駅銃弾跡 二宮駅コンコース 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 一番線ホームに降り立つ 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 このV字屋根の向こうです 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 判るかな 2020年11月18日

 ありましたね。ここだけ木の梁が残っており、ささくれだった弾痕がはっきり見えます。


二宮駅銃弾跡 弾痕 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 弾痕 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 弾痕 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 弾痕 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 ちょっと見では判らない 2020年11月18日

 うさおが屋根を撮っていると、他の乗客の方もつられて写真を撮る方がいらっしゃいました。もしかしたら銃撃の跡が残っているのをご存知の方々だったのかな。

 駅舎で5人の方が亡くなっています。その中の一人が、疎開していた13歳の娘を迎えにきた父親でした。この娘が、後に「ガラスのうさぎ」を書いた高木敏子さんで、1945年3月の東京大空襲で母と2人の妹を亡くします。自宅のガラス工場の焼け跡で、溶けたうさぎの置物を見つけ、この戦争体験を本にしました。
 駅前のロータリーには、「ガラスのうさぎ像」が建っています。


二宮駅銃弾跡 ガラスのうさぎ像 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 ガラスのうさぎ像 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 ガラスのうさぎ像碑文 2020年11月18日

二宮駅銃弾跡 ガラスのうさぎ像 2020年11月18日



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