旧小川眼科医院  2018年2月10日 2022年5月31日


 小川眼科は、その建物のレトロさで有名な医院です。東大で教鞭を執った小川剣三郎氏が創業したもの、剣三郎氏の兄の小川三知が、病院のステンドグラスを製作しました。今は黒澤ビルと名称が変わっています。
 上野、御徒町の町は、ここ最近急速な再開発が進んでおり、高層ビルがにょきにょき建っています。外国資本の商業ビルも増えています。それらの中で、ポツンと佇まいを残しています。
 ですので、建物の価値だけでなく、この建物のステンドグラスが価値を高めています。
 鑑定団風に言うと、「小川三知は静岡藩医の次男として生まれ、医者をめざすが絵画の道へと転進した。上野の東京美術學校に入り、岡倉天心から「君は日本画の手ほどきを橋本雅邦先生から受けなさい」と賜り、後に日本初の「ステンドグラス作家」になりました。」
 その後、日本医師会会長だった黒澤潤三氏が院長を務めました。だからこのビルは、黒澤ビルと言うんですね。


 2022年5月31日の小川三知ツアーにも参加しました。黒澤ビルは2018年と変わらずにそこに建っていました。外壁に石を塗りこめた、昭和4年頃の臭いがプンプンします。小川三知は昭和3年に亡くなっていますので、ステンドグラスは晩年の作になるのでしょうね。製作は小川三知夫人が指揮いた「小川スツヂオ」で行なわれたのでしょう。


小川三知 小川眼科外観 2018年2月10日

小川三知 小川眼科外観 2018年2月10日

 2022年の外観、全部が入らなかったので多少手を入れて合成しています。


小川三知 小川眼科外観 2022年5月31日

 昭和6年頃の当時の写真と比べてみると、窓のデザインがずいぶん違って見えます。


小川三知 絵葉書から 2022年5月31日


小川三知 小川眼科エントランス 2018年2月10日

日暮里界隈 「鶏鳴告暁」のステンドグラス 2018年2月10日

日暮里界隈 像の背後の窓に「立葵」 2018年2月10日

日暮里界隈 登録有形文化財になっています 2018年2月10日

 下駄箱の数字も床のタイル文様もレトロです。


日暮里界隈 下駄箱もタイルもレトロだあ 2018年2月10日

日暮里界隈 小川剣三郎博士の像と物置の窓 2018年2月10日

 では、2022年の見学の始まりです。


小川三知 黒澤ビル外観  2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル玄関  2022年5月31日

 黒澤ビルは戦時中にも歴史的建造物ということで、金属の供出を免れたそうです。確かに鋼材の形状がレトロです。


小川三知 黒澤ビル 鋼材の形に趣がある 2022年5月31日

 この壺を眺める婦人像は、詳細は不明で作者、題名は判らないそうですが、何か温かみを感じます。藝大が近くにあるので、その関係で入手したのかもしれません。小川三知も藝大出身だし。


小川三知 黒澤ビル 女神像の裏に「立葵」 2022年5月31日

 今日の案内をしていただくのは、オーナーさんとそのご親族の方です。共に黒いお召し物で大変シックでした。


小川三知 黒澤ビル 黒い衣装の方がオーナーさん 応接室の前で 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル タイル張りの洗面台 文化的です 2022年5月31日

 今は物置になっている小部屋の扉にも作品があります。これは「田辺千代著の「小川三知の世界」にも載っていません。「郁子(むべ)」の花でしょうか。「小川スツヂオ」の作品です。


小川三知 黒澤ビル 物置の扉にも 2022年5月31日

 さらに地下室に移動すると、階段の途中に作品が現れます。意に反して足元に窓があります。今は「スタッフ控え室」になっている部屋から見ることが出ます。明り採りの一種でしょうか。


小川三知 黒澤ビル 階段の明り採り 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 階段の明り採り 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 控え室 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 中から見ると 2022年5月31日

 昭和4年の3階建ての建物で地下室があるのは大変珍しいと思うのですが、東京、上野だから地価が高くてそうせざるを得なかったのかな。当時の建物の常で、大変階高が低いです。
 建設当時の絵葉書が残っています。これは大変貴重です。復刻版が欲しいなあ。


小川三知 黒澤ビル絵葉書表紙  2022年5月31日

小川三知 黒澤ビルの絵葉書八葉  2022年5月31日

 2階に上がってみます。階段の踊り場に螺鈿の蒔絵が施された飾り棚がありました。鑑定団に出したらよいお値段が付くのじゃないかな。


小川三知 黒澤ビル  2022年5月31日

 2階のフロアに黒いお面のようなものがありました。案内人の説明では、絵葉書示されている羊のレリーフを飾ってあるのだそうです。 そういえば、この噴水は小川剣三郎博士が、関東大震災後に飲み水の大切さを感じ、道行く人誰でもが飲めるように造ったそうです。上に乗っかていた「カニを見ている童女像」は、なんと盗まれてしまったそうです。


小川三知 黒澤ビル絵葉書 羊の面  2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 現存する羊の面 2022年5月31日

 うさおが子供の頃によく見かけていた、網入り硝子も今は製造されていないため、この4面の窓の硝子が破損したら、もう替えが無いのだとか。


小川三知 黒澤ビル窓硝子  2022年5月31日

 屋上に登るとこんな感じです。気が付きませんでしたが、対面のお宅の屋根は銅板葺きです。上野界隈に銅板葺きが数多く残っているのを忘れていました。銅板葺きの愛好家のうさおとしては、現地でこれを撮影してこなきゃね。137銅板細工参照


小川三知 黒澤ビル屋上  2022年5月31日

 紫外線療法室の施設が残っています。当時は紫外線を浴びることで療法になると思われていたようです。確かにビタミンDの生成には日光が必要です。ビタミンDは、肝臓がん、肺がん、乳がん、前立腺がんなどの予防の効果があることが分かっています。しかし、日光の浴び過ぎは皮膚がんのもとになります。


小川三知 黒澤ビル紫外線療法室跡  2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル紫外線療法室絵葉書  2022年5月31日

 建設当時からの避雷針が現存しています。


小川三知 黒澤ビル 現存する避雷針  2022年5月31日

 階段を下りていくと、うさおも見たことがあるカルテ入れのような引き出しが転がっています。
 途中、明り採りがあり、光庭のような作用をしています。先ほどの地下の足元の窓もそうですが、階段周りの窓は意外に足元近くにあります。黒澤ビルの設計者の石原暉一の思い入れがあるのかも。
  更に降りていくと、網代織のような扉の付いた箪笥が置いてあります。丸に違い鷹の羽の紋が付いています。浅野家の紋のように斑が入っていませんの、別家の紋ですね。


小川三知 黒澤ビルカルテ入れか?  2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 光庭? 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 光庭 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 箪笥 2022年5月31日

  玄関に戻ります。ここの欄間に小川三知の作品が残っています。「鶏鳴告暁」、「薔薇」、応接間の欄間の「梅」、「椿」、「立葵」など、見どころ満載です。


小川三知 黒澤ビル 「鶏鳴告暁」 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 「薔薇」 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 受付窓 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 応接間の欄間の「梅」 2022年5月31日

 応接間に入ると「椿」、ランプシェード、出窓の二様のステンドグラスがあります。ここは普段は入れない部屋で、見学会のために特別にオープンしたものです。
 ランプシェードには、植物や動物がデザインされているとのことです。下面の裸婦のレリーフは、小川三知が米国より持ち帰ったものだとか。


小川三知 黒澤ビル 「椿」 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル ランプシェード 鳥? 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル ランプシェード 鳥? 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル ランプシェード 左側は鹿? 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル ランプシェード 鳥? 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル ランプシェード 裸婦 2022年5月31日

 出窓には小川三知ならではの日本画のテイストを残したステンドグラスが残っています。道路に面する窓には、「流水に鶺鴒」、玄関ホールに面している窓に「立葵」です。


小川三知 黒澤ビル 出窓 流水に鶺鴒 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 出窓 流水に鶺鴒 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 母子像の裏に「立葵」 2022年5月31日

 応接間らしく、ソファー、テーブルが置いてありますが少し手狭かな。ソファーの形は可愛らしい。テーブルの縁の文様もレトロです。
 床板の貼り方も凝っていて、矢絣文様でした。


小川三知 黒澤ビル ソファー 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 丸テーブル 2022年5月31日

小川三知 黒澤ビル 床貼りは矢絣文様 2022年5月31日

 大正・昭和の風俗が垣間見えて面白いビルでした。



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