清澄庭園  2013年5月5日


 清澄庭園は、パンフレットによれば、緑陰の水面に歴史を映女明治の代表的「回遊式林泉庭園」で、全国の名石を配した池を巡れば、四季折々の表情が楽しめますとあります。
 もう少しパンフレットの文を参照します。。
「ー説には江戸の豪商、紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。
 享保年間(1716〜 1735年)に下総国、関宿藩主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られました。
 明治11(1878)年に岩崎爾太郎がこの邸地を含む一帯約3万坪を取得し社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13(1880)年に「深川親睦園Jを開園しました。その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、周囲には全国から取り寄せた名石を配して明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園Jとして完成しました。関東大震災後、大正13(1924)年、震災被害の比較的少ない東半分が岩崎家から東京市に寄付され、「清澄庭園Jとして復旧、整備して、昭和7(1932)年7月に東京市の公園として開園しました。また、昭和52(1977)年には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園として追加開園しました。昭和54(1979)年3月31日に、「清澄庭園Jは東京都の名勝に指定されています。
※なお、大正12(1923)年9月の関東大震災や昭和20(1945)年3月の大空襲の時には避難場所として多くの命を救いました。」



清澄庭園 由来の看板 2013年5月5日

清澄庭園 案内地図 2013年5月5日


清澄庭園 庭園入口 2013年5月5日

清澄庭園 手水鉢から 2013年5月5日

 途中に芭蕉の句碑がありますが、結構大回りになるので疲れちゃった私たちはパスしちゃいました。「古池や かはづ飛び込む 水の音」あの有名な句です。


清澄庭園  2013年5月5日

清澄庭園  2013年5月5日

清澄庭園 蹲の石?さっきのとそっくり 2013年5月5日

清澄庭園  2013年5月5日

清澄庭園 井戸 2013年5月5日

大泉水
 三つの中島を配した広い池 水面に島や数寄屋造りの建物、樹々の形を映し出すこの池は、庭園の要です。昔は隅田川から水を引いていました。そのため潮の千満によって池の景観が微妙に変化したといわれています。現在は雨水でまかなっています。


清澄庭園 中ノ島 2013年5月5日

清澄庭園 亀 2013年5月5日

清澄庭園 鴨 2013年5月5日

清澄庭園 鯉 2013年5月5日

清澄庭園  2013年5月5日

富士山
 この庭園で最も高く大きな築山。関東大震災以前は、この築山の山頂近くには樹木を植えず、サツキやその他のツツジ類の灌木類を数列横に配して、富士山にたなびく雲を表現したものだと言われています。

 石仏群の後ろの築山が富士山です。小高い丘なので、命名が恥ずかしいくらい。


清澄庭園 石仏群 2013年5月5日

清澄庭園 石仏群説明 2013年5月5日

清澄庭園 阿弥陀仏の像 2013年5月5日

名石
 伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石。これらは庭園に置かれた庭石のうち代表的なものです。このほか敷石や橋、磯渡り、枯滝の石を含め、国内には無数の石が配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。これらの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものです。


清澄庭園 伊豆網代石 2013年5月5日

清澄庭園 伊豆式根島石 2013年5月5日

清澄庭園 紀州青石 2013年5月5日

清澄庭園 伊豆磯石 2013年5月5日

涼亭
 池に突き出るようにして建てられた数寄屋遣りの建物。これが、この庭園を日本情緒豊かなものにしています。涼亭は、明治42(1909)年に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたものです。震災と戦火の被害からまぬがれ今日に至りましたが、昭和60(1985)年に全面改築工事を行いました。集会場として利用できます。平成17(2005)年には「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。


清澄庭園 涼亭 2013年5月5日

清澄庭園 涼亭 2013年5月5日

清澄庭園 涼亭 2013年5月5日

清澄庭園 涼亭 2013年5月5日

清澄庭園 涼亭 2013年5月5日

 一番大きな石碑は東京市のものです。


清澄庭園 東京市の石碑 2013年5月5日

磯渡り
 池の端に石を飛び飛びに置いて、そこを歩けるようしたもの。広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景観が変化するように配慮されています。



清澄庭園 互違石橋 2013年5月5日

清澄庭園 互違石橋 2013年5月5日

清澄庭園 磯渡り 2013年5月5日

大正記念館
 大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築したもの。しかし、最初の建物は戦災で焼失Lでしたため、昭和28(1953)年に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建され、平成元(1989)年4月に全面改築されました。集会場として利用できます。


清澄庭園 大正記念館 2013年5月5日


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