旧居留地48番館   2018年3月3日



 以前に小林賢太郎の「ぽつねん」を見に、神奈川芸術劇場に行ったことがあります。以前にここにあったビルを解体して、NHKとの合同施設になりました。
 この建設時に、地下に埋設されていた旧居留地48番地、53番地、54番地、55番地の遺構が露わになりました。


旧居留地48番館   2018年3月3日

旧居留地48番館   2018年3月3日

旧居留地48番館   2018年3月3日

 caccoは2004年3月20日に「関内てくてくウォーキング」で、この旧居留地48番館を訪ねていますが、「知らないなあ」の一言。すごく羨ましかったんだけどなあ、行けなかったから。

 さて、関内の旧居留地は、阿波町・上田町・蝦夷町・越後町・大坂町・小田原町・尾張町・海岸通り・加賀町・角町・九州町・京町・神戸町・薩摩町・駿河町・長崎町・日本大通り・函館町・花園町・琵琶町・富士山町・二子町・豊後町・堀川町・本町通り・本村通り・前橋町・水町通り・武蔵町・武蔵横町の30の区画に分かれていました。

 48番地のこの辺りは、駿河町通りです。ダイナマイトなどを扱っていたJ.P.モリソン商会の商館が建っていました
 近代的な街並みだったようで、歩道と車道が分かれており、ガス灯が設置されていて、歩道と車道との境に側溝があるなど、倫敦を彷彿とさせますね。
(地図はwww.klnet.pref.kanagawa.jp/digital_archives/kochizu/ichiran_yokohama.htm)


旧居留地48番館 横濱商館地図(山下町居留地図)2018年3月3日

 合同施設の南側の壁面に、建設時に出土した遺構を展示してあります。

●切石井戸状のもの?(48番地)

 48番地跡から出土した井戸状のもの、長方形の礎石を並べた遺構のようです。明らかに井戸だとは断定されていません。排水井だったのかもしれませんが、いずれにしても水回りのもののようです。


旧居留地48番館 ストーンサークル? 2018年3月3日

切石排水枡(48番地)

 これは切石造りの排水装置です。この桝で排水を溜め置きました。これを設けることで、害虫や臭気を抑えたとか、今のU字トラップのようなものかな。


旧居留地48番館 排水桝 2018年3月3日

●切石側溝(駿河町通り)

 この敷地は、『駿河町通り』という通りで、父が通っていた「本町通り」の小学校は隣町で、横浜市新市庁舎の建設現場から学校の煉瓦基礎が発見されました。この場所からは目と鼻です。昔の人の行動範囲から言うとですね。『駿河町通り』の両側にはこのような側溝がありました。


旧居留地駿河町通り 側溝 2018年3月3日

●切石(48番地)

 48番館の建物の敷石に、この切り石が使われていたのだと思います。


旧居留地48番館   2018年3月3日

●建物断片(55番地)

 建物基礎の断片です。


旧居留地55番館   2018年3月3日

●建物断片(54番地)

 同じく、建物基礎の断片です。


旧居留地54番館   2018年3月3日

●建物断片(55番地)

 これも、建物基礎の断片です。新市庁舎の地下部の遺構もそうだけれども、こんな風に皆バラバラに壊しちゃうんだね。


旧居留地55番館   2018年3月3日

●煉瓦基礎遺構2(55番地)

 これなんかまとまって残してあるので良心的だね。


旧居留地55番館 煉瓦基礎 2018年3月3日

旧居留地55番館 煉瓦基礎 2018年3月3日

●煉瓦基礎遺構1(55番地)


旧居留地55番館 煉瓦基礎 2018年3月3日

 街路の下にガス、水道のインフラ設計をブラントン氏が行いました


旧居留地55番館 これは瓦斯管です 2018年3月3日

刻印煉瓦(54番地)


旧居留地54番館 発掘の時の状態 2018年3月3日


旧居留地54番館 煉瓦1~4 2018年3月3日

旧居留地54番館 煉瓦5~8 2018年3月3日

旧居留地54番館 煉瓦9~12 2018年3月3日

 せっかくなので、ここで刻印の戸籍調べをしてみましょう。浅学にしてわからないものは、「?」にしてあります。

5? 3櫻花  1輪 
     
 6分銅ニ  4分銅ホ  2分銅ヘ?
     

11分銅ハ 9 分銅ニ 7分銅ホ 
     
12分銅イ  10?  8分銅ハ
     
※表中の表現は以下の通り。
輪 :?印
分銅:両替商の印、横濱煉化製造会社(御幸煉瓦製造所)
櫻花:桜の花弁の印、小菅集治監

●煉瓦基礎遺構(48番地)


旧居留地48番館 煉瓦基礎 2018年3月3日

旧居留地48番館 煉瓦基礎 2018年3月3日

●旧居留地48番館


 『旧横浜居留地48番館』が残っていますので、見に行きます。紅茶やダイナマイトを取り扱っていたJPモリソンの事務所兼住宅です。ですから、もっと大きなものでしたが、関東大震災によって倒壊しました。
 横浜市最古のレンガ建築だと言われています。

 先ほど述べましたが、caccoは2004年3月20日にここを訪れています。


旧居留地48番館 外観 2004年3月20日

旧居留地48番館 内観 2004年3月20日

旧居留地48番館 水回り 2004年3月20日

旧居留地48番館 煉瓦壁 2004年3月20日

旧居留地48番館 排水桝? 2004年3月20日

 では、現在の様子を見てみましょう。


旧居留地48番館  東側外観 2018年3月3日

旧居留地48番館  北西側外観 2018年3月3日

旧居留地48番館  西側外観 2018年3月3日

旧居留地48番館  南側外観 味気ないなあ 2018年3月3日

 内にあるのは、小屋組トラスで震災後の屋根を補強する構造物です。2004年には置いてなかった遺物です。


旧居留地48番館 小屋組みトラス 2018年3月3日

旧居留地48番館 外周の側溝 2018年3月3日

旧居留地48番館 西側入口 2018年3月3日

旧居留地48番館 入口の前の敷石は当時のもの 2018年3月3日

旧居留地48番館 この基礎も当時のもの 2018年3月3日

 モリソン邸は、関東大震災で破壊され、下図の青線で囲まれた建物の遺構が残されています。正面には、当時使用されていた煉瓦の塊が置いてあります。


旧居留地48番館 モリソン邸外観図 2018年3月3日

旧居留地48番館  フランス積の当時の煉瓦塊 2018年3月3日