旧三河島汚水処分場喞筒場  2018年6月2日


 駒沢給水塔風景資産保存会の新庄さんから、再度のお誘いがあってこの旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場に行ってきました。実は前回もお誘いがあり、その時は台風直撃で横浜在住のうさおたちはびびって辞退したのです。そのこともあってでしょうか、再度見学会を開いていただけることになり、意気揚々と出かけました。
 当日は良いお天気で、少し汗ばむほどの陽気でした。


旧三河島喞筒場 都電荒川線 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 荒川線 線路敷きに緑が 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 電車から見えるポンプ室 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 都電荒川2丁目駅 2018年6月2日

 町屋は叔母夫婦の葬儀で行ったところで、二人とも土地勘はあります。都電荒川線で二駅の処に「荒川2丁目」駅があり、降りて目の前の土塁を巡っていくと、旧三河島汚水処分場正門に着きます。正門に新庄さんが待っており、ほかの「コマQ」の方々はもうお揃いだそうで、最後から2番目でした。いや~、最後じゃなくてよかったなあ。
 前回、この旧三河島汚水処分場を見学できなかった「コマQ」の会員さんたちも一緒です。 


旧三河島喞筒場 新庄さんが待っていてくれます 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 岡沢さんの講義 2018年6月2日

 パンフレットによると、
旧三河島汚水処分場喞筒場施設は隅田川中流に位置する旧下水処理場施設で、東京市区改正事業の一環として、東京市技師米元晋一を中心として建設が進められ、大正11年3月に運用を開始しました。
 本施設は、わが国最初の近代下水処理場である旧三河島汚水処分場の代表的遺構として、高い歴史的価値が認められることから、平成19年12月4日に下水道分野の遺構では、初めて国の重要文化財(建造物)に指定されました。阻水扉室、沈砂池などの一連の建造物が旧態を保持しつつまとめて残っており、近代下水処理場喞筒場施設の構成を知る上でも重要な文化財となっています。


 期待感、満々だなあ。
 当日の説明は岡沢さんが担当していただきました。お話が旨いんだわ。この方。思わず引き込まれちゃいました。
 サブに清水さんが付いてくれます。どうやら、岡沢さんが土木屋さんで、清水さんが建築屋さんらしいです。


旧三河島喞筒場 サブで案内をして下さる清水さん 2018年6月2日
 
 少し、パンフレットから引用して、ここの配置を確認してみましょう。
 まずは、旧三河島汚水処分場の地図からご紹介。


旧三河島喞筒場 案内図パンフレットより 2018年6月2日

旧三河島汚水処分場喞筒場施設

 旧三河島汚水処分場は三河島水再生センターの敷地の中にあり、昔と変わらぬ姿で保存されています。


旧三河島喞筒場 横断図パンフレットより 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 地上俯瞰図パンフレットより 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 地下俯瞰図パンフレットより 2018年6月2日

 喞筒場施設は地下深くに流入してきた下水を地上にある水処理施設に送り込むため、下水をポンプで吸い上げる施設です。
 旧三河島汚水処分場のうち、水処理施設は時代とともに最新技術のものへと更新されましたが、喞筒場施設は平成11年に稼働を停止するまで旧態を保持し続けました。(パンフレットより)


●門衛所・正門

 大正14年に建設された門衛所は、白亜のこじんまりとした建物で風格があります。中を覗くと台所と畳敷きの6畳間が見えます。ここに詰めていた当時の方たちは、なまじの主婦より料理が旨かったと言います。


旧三河島喞筒場 門衛所外観 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 門衛所内部 右側が台所 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 門衛所(昭和37年)パンフレットより 2018年6月2日

 正門は平成2年に改築された時に、門の位置を当時より広くした関係で文化財からの指定は外されてしまいました。
 敷地の境界には土塁が積まれていますが、建設当時は永い期間、地下を掘っていたため、外部からの水の流入を防ぐために設けられました。
 この門にある溝も、ここに堰板を入れ水を防ぐ工夫の跡です。今の地下鉄の入り口と同様ですとは、岡沢さんの弁です。


旧三河島喞筒場 正門 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 正門内側 遮水板のスリットがある 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 周囲にある遮水土塁の跡 2018年6月2日

 正門を入ってすぐ右側に、「日本の下水処理場発祥の碑」があります。この変な形は、この下水処理場で賄っていた地域を示しているそうです。


日本の下水処理場発祥の碑 東京都知事鈴木俊一 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 石碑の裏側 東京下水局長村田恒雄 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 三河島下水処理場の形が彫られている 2018年6月2日

 浅草幹線は正門からの道路の下を通て、阻水扉室に繋がっていましたが、今はその門の前を右折して三河島水再生センターへと流れています。


旧三河島喞筒場 浅草幹線締切部 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 この地下を浅草幹線が通っていた 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 幹線の合流蓋 2018年6月2日

●東・西阻水扉室

 逸見の浄水場にあったポンプ室の小屋に似ていますが、地下の下水管の遮断扉の開閉機能のためのもので、保存状態が格段に良いので嬉しい限りです。東・西棟の地下にはメンテナンス等のための下水の遮断扉が設けられています。
 岡沢さんからクイズが出て、「なぜ阻水扉室や沈砂室が2つもあるのでしょうか?」・・・交番稼働させて片方は掃除などのメンテナンスを行うためで~すと、うさおは元気よく答えましたよ。


旧三河島喞筒場 東西に分かれている阻水扉室 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 阻水扉室内部 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 ここの階段は急で外人の体格に合わせてある 2018年6月2日

●東・西沈砂池

 ここは迫力がある設備です。それに下を覗くと大好きな石積アーチトンネルが見えます。入ってみたいなあ。


旧三河島喞筒場 沈砂池・濾格室・ポンプ室 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 沈砂池・濾格室 2018年6月2日

 フェンス上に3本の糸が張ってあります。これもクイズで何のためでしょうと問われます。どなたかが「鳥を寄せ付けないための工夫でしょう」と答えられていました。
 大当たりです。常にぴんと張るために、片側に滑車があり錘を吊るしてあります。鉄道の架線も、終端には滑車と錘が取り付けられており、同じテンションで張る工夫と同じですね。秋葉原の高架上で、この錘の引っ張り力に負けて電柱が倒れたことがありました。


旧三河島喞筒場 この三本の糸は何のため? 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 揚重機があったところ 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 沈砂池から下水幹線暗渠を見る 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 当初の沈砂池と土砂の揚重機 パンフレットより 2018年6月2日

●濾格室上屋

 下水のゴミを取り除く装置がある部屋です。ここの建物の外壁は、煉瓦タイルだそうで鉄筋コンクリートの上に意匠上、張り付けられたようです。煉瓦好きとしては、少しがっかり。
 この旧三河島処分場の建設時の写真に、後藤新平が写っていると、岡沢さんが推理しています。私の知っている後藤新平は、東京市市長として関東大震災の復興で活躍していたり、東京駅の駅長室を訪ねた際に写真が掲げられていたことを記憶しています。満州鉄道の総裁や鉄道省総裁を歴任されていたので、鉄道と縁が深いのでしょう。ただし、都市計画やインフラの推進に優れた功績を残していますが、本職は医師です。


旧三河島喞筒場 中央の人は後藤新平か? 案内板より 2018年6月2日

 後藤新平は江戸時代、安政年間1857年7月24日に生まれ、昭和の1929年4月13日に死去しました。
 当初は医師でしたが、その後官僚になり都市計画家として、多くの事業を執り行いました。正二位勲一等を授与され、爵位は伯爵(公侯伯子男ですから上から三番目の位ですね)です。
 台湾総督府民政長官や満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(NHK)初代総裁。拓殖大学第3代学長など、すごいキャリアです。
 東京市長の時に関東大震災の復興計画に寄与しました。帝都東京を魔界から救うために立ち上がるのでしたね。(帝都物語:違います、それは渋沢栄一と間違えています)

 鉄道関係では、東京駅の駅長室に揮毫と写真が飾ってあり、国立にある鉄道技術総合研究所の中庭に銅像があります。


後藤新平像 鉄道総研中庭 2018年10月13日

旧三河島喞筒場 濾格室全景 2018年6月2日
旧三河島喞筒場 沈砂室とゴミ取りフィルター 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 ゴミ取りフィルター 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 濾格室内部 2018年6月2日

●土運車引揚装置(インクライン)と電動機室

 沈砂池にたまった泥や、下水のゴミなどを、ここの坂を上ったところに仮置きして処理したそうです。その土運車引揚装置(インクライン)の一部が残っていました。いいねえ。こういうのが見たかったんです。
 この時の岡沢さんの質問が、「日本で初めてのインクラインは?」ですが、これはcaccoもうさおも同時に「琵琶湖疎水」って答えてました。
※蹴上インクラインは蹴上船溜りと南禅寺船溜りを結ぶ延長640メートルのもので、当時は世界最長の長さを誇っていました。


旧三河島喞筒場  2018年6月2日

旧三河島喞筒場 この坂を昇るインクラインがあった 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 インクラインの跡 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 確かにトロッコ用のレールだ 2018年6月2日

 トロッコを引き上げるのに用いられていたのが、この電動機室でケーブルを捲き上げて楊重していました。


旧三河島喞筒場 電動機室 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 多分、巻上機があったところ 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 電動機(モーター)が据えられていたところ 2018年6月2日

●量水器室

 下水の水量を計測するヴェンチュリー管が、ここの地下にあります。下水管の一部の径を狭めて、管の前後の圧力を計ります。そうすると、ベルヌーイの定理で、一定の流れの中ではエネルギーが保存されることから、圧力や高さが判れば流速を逆算できます。偉いなあ、昔の人は。


旧三河島喞筒場 この地下に量水器があります 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 東西2系統があります 2018年6月2日

●喞筒井及び喞筒井接続暗渠

 ヘルメットを被って、ここから地下に移動します。東西のどちらかの管を通った下水は、ここで合流しそれぞれのポンプ井戸に分水されます。おお、憧れの暗渠だ。
 なかなか迫力があって、素晴らしいのですが、あまりにも大きく、また近すぎて写真に納まりきれません。


旧三河島喞筒場 地下に降ります 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 暗渠内 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 暗渠内 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 暗渠内 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 暗渠内 2018年6月2日

 暗渠はほぼ円形のアーチ構造ですが、梁版(インバート)には石板が張られています。モルタルを介して付着させますが、石板には空気を逃す穴が4つほど開けてあります。しかし、職人さんの遊び心で5つの穴が開いているところがあります。


旧三河島喞筒場 5点の穴 2018年6月2日

 阻水扉は強度を持たせるためにリブが付いており、まるでワッフルのようです。ポンプ井の汲み出し口はその形から、富士山型と呼ばれていたとか。


旧三河島喞筒場 阻水扉 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 接続暗渠 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 阻水扉のヒンジ 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 ポンプ井 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 ポンプ井 給水パイプ 富士山型 2018年6月2日

 暗渠の出口にも、正門にあったような遮水板の溝が切ってあります。子のスリットの入った石の積み方は、城の城郭と同様な積み方で変形に強いのだそうです。江戸時代からの技術だともご説明があったような。


旧三河島喞筒場 遮水板を入れるスリット 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 う~む、立派なものだ 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 出口にあった暗渠 2018年6月2日

●喞筒室

 外観が最も迫力のある建物がこれでしょう。左右に張り出しの塔屋があり、セセッション様式だと教えてくれました。ここに使われている外装は、品川白煉瓦製の煉瓦タイル貼りです。

※大正初期の工芸や建物に散見されるジャンルで、セセッション(ウィーン分離派)の特徴は幾何学的意匠や渦巻植物模様が有名、何だか学生の時代に、アール・ヌーボーとともに習った記憶があります。
※品川白煉瓦(株)は、明治8年(1875)に創業者の西村勝三が、「瓦斯燈」用のガス発生炉用耐火煉瓦を製造しました。明治27年(1894)に「シリカ耐火煉瓦」(珪石煉瓦)の特許をとり白煉瓦の鉄鋼用耐火煉瓦が出来ました。鉄道院中央停車場(現東京駅)建築用赤色外装タイルが有名です。

 さて、疑問ですが東京駅は日本煉瓦製造の煉瓦を使っていることが有名です。あの深谷の上敷免の工場のものですね。東京駅内部に残っている煉瓦の断面(展示されています)を見ると、構造用煉瓦とその上に煉瓦タイルが張られています。
 察するところ、構造用には深谷上敷免の煉瓦が、表面には品川白煉瓦製の煉瓦タイルが使われていたのでしょう。


旧三河島喞筒場 ポンプ室全景 2018年6月2日

 ここには、10台のポンプが設置されていました。天井にはトラス構造の鉄骨が幾何学的に並んでおり結構壮観です。楊重クレーンの走行を妨げないように、トラスの下部は山形のアーチになっています。


旧三河島喞筒場 ポンプ室側面 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 ポンプ室内 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 見事なアーチ・トラス 手前に走行クレーン 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 ベンチュリーメーター 2018年6月2日

※畠山一清は、 東京帝国大学工科大学機械工学科(現東京大学工学部)に学び、渦巻ポンプの世界的権威・井口在屋博士に師事し、「ゐのくち式渦巻ポンプ」の実用化に成功、後に株式会社荏原製作所を設立しました。その渦巻ポンプが使われています。


旧三河島喞筒場 エバラポンプ 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 ゐのくち式渦巻ポンプ 2018年6月2日

 この下水処理場の建設には、中島鋭治博士と米元晋一技師が、建設に関わっています。中島鋭治博士は駒沢給水塔や野方の給水塔の設計で有名です。米元晋一技師は東京都の職員でしたが、中島鋭治博士の弟子にあたり、これ以外にも日本橋の設計を行ったことでも有名です。


旧三河島喞筒場 中島鋭治・米元晋一 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 品川白煉瓦 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 煉瓦タイル 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 当初のポンプ室内部 2018年6月2日

 ポンプ室を出ると、浅草幹線の一部の輪切りが展示されています。
 そこから、ポンプ室の脇を望むと、太い下水管が並んでいるのが見えます。壮観です。何だか、京都蹴上の水力発電所の脇の導水管を思い出してしまいました。似ている訳では無いのですがね。


旧三河島喞筒場 浅草幹線暗渠の輪切り 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 煉瓦敷馬蹄形暗渠 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 壁から下水管がにょきにょき 2018年6月2日

●下水の蓋


 マンホールの蓋が事務所棟の中に飾ってあります。昔の蓋と比べると、現在のものは鍵が付いており、ゲリラ豪雨の時に蓋が浮き上がるのを防いでいるとか、マンホールの蓋は緯度、経度で管理されており、どのマンホールかが特定できることなど、蘊蓄も色々教えてくれました。
 下水カードも貰っちゃいました。全国的に集めちゃおうかな。

  
旧三河島喞筒場 下水カード 2018年6月2日

旧三河島喞筒場 蓋の変遷 2018年6月2日

 この中で小さなマンホールの蓋があります。「燈孔」と言いますがこれは、管渠内の点検作業をする際にランプやカンテラを吊るし、照明の用に供したもの、夜間ではここの穴から光が漏れどこで作業しているかが判りました。空気抜きの効果もありました。
 しかし、現在は新たに作られることは無いので、見つけたら貴重ですね。確かに内径23㎝では、人が入れる大きさではないようです。


旧三河島喞筒場 燈孔 2018年6月2日

 前席にお座りの方が、帰りしなにお配り頂いたのが、このパンフレット。玉電と郷土の歴史館を営んでいられる「大勝庵」のご主人らしい。今度、二子玉川に行ったときには、おそばを食べに行こう。