田戸台分庁舎 2018年4月7日
朝はぽかぽかお天気の暖かな日でした。
前から行きたかった田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官)の一般公開日なので、ふらりとドライブがてら出かけてみました。昼食をとってから急に曇ってきて、風も強くなりました。花粉症のうさおには、危険な日です。
前からgoogle mapで調べておいた、コイン駐車場に止めます。少し、分庁舎とは離れているので、この駐車場の位置を覚えておかないといけません。車のところまで帰れなくなっちゃうからね。
てなことで、いろいろ街角にマーキングしながら、歩いていきます。以前行ったことのある米ヶ浜の砲台跡は、一つ丘を隔てているくらいの至近距離です。
「あっ、面白い!」とcaccoが叫びます。本当に面白い。顔の格好をしたマンションだ。ひとしきり、大騒ぎをして目的地に向かいます。
田戸台分庁舎 おっ、このマンションは・・・ 2018年4月7日
田戸台分庁舎 絶対、笑ってる人の顔だな 2018年4月7日
ここで、田戸台分庁舎について、当日配られたパンフレットから、剽窃しましょう。
田戸台分庁舎の概要
東京湾を一望の下に見晴らすここ田戸台分庁舎は、横須賀鎮守府司令長官の官舎として、1913年(大正2年)に建設されました。
建設時の横須賀鎮守府司令長官はアメリカ海軍兵学校を1881年(明治14年)に卒業した海軍中将瓜生外吉であり、令夫人は1871年(明治4年)日本政府が初めて勉学のためアメリカに送った数名の女子留学生に選ばれ、1881年(明治14年)にアメリカの大学を卒業されています。
更に企画設計に当たった桜井小太郎氏は、ロンドン大学で学び、日本人初の英国公認建築士の称号を得た人で、帰国後海軍技師となり、呉の建築科長を経て1908年(明治41年)から3年間横須賀海軍経理部建築科長を務めました。呉時代の1905年(明治38年)に設計した呉鎮守府司令長官官舎は、国の重要文化財に指定され「入船山記念館」として一般公開されています。
田戸台分庁舎は瓜生御夫妻と桜井小太郎氏3人の博識と創造力による合作であります。
洋風館と和風館の接続住宅で、洋風館部分は木造平屋建て、亜鉛葺切妻屋根、イギリス住宅の特徴であるハーフティンバー(柱をそのまま見せて、その間の壁を漆喰等で埋めたもの)を基本にした建物で、現在は煉瓦タイル張りになっておりますが、もとは下見板張りでした。暖炉はリビングルームと現在は記念館としている応接室の二カ所にあり、基礎部分と同じ石張りの煙突が突き出ています。もっとも美しく特徴的なのは、庭園に画したベランダ側でノビング部分の張り出した切妻屋根と、三連のチューダーアーチを挟んだ位置にあるトンガ」屋根のベイウインドーであり、流れるような力Tブの屋根に設けられた屋根窓と、ベイウインドーの上部の小窓は、屋根裏部屋の明かり取りになっています。和風館部分は二階建てで、階下には8帖の和室が2部屋と会議室等があり、二階には10帖と12帖の和室を備えており、いずれも簡素で機能的に作られております。
約13,000n了の敷地には桜、サルスベリ、モミジ等の古木の他、梅、センダン、ビワと多くの草木が生い茂っており、見晴台からは、横須賀の街と海を見渡すことが出来ます。
初代入邸者は海軍中将東伏見宮依仁親王であり、以来1945年(昭和20年)の終戦まで31人の歴代司令長官が居住されました。
居住者は別表のとおりであり、終戦後アメリカ合衆国に接収され、1964年(昭和39年)まで9人の在日米海軍司令官等が居住されました。1969年(日召和44年)防衛庁に移管され、現在海上自衛隊横須賀地方総監部が管理しています。
google mapの力を借りて、田戸台分庁舎を上から見てみましょう。
田戸台分庁舎 雲じいじゃ googleより 2018年4月7日
この県立大学駅の真裏にある丘の上に建つのが、田戸台分庁舎(旧
横須賀鎮守府司令長官の官舎)なんです。年に一回、春先に一般公開されます。桜は散って日差しが垣間見えるうすら寒い日でした。先ほどの笑うマンションから分庁舎に向かう途中で、パラパラの雨と、横殴りの風ですごく寒い思いをしました。
田戸台分庁舎 ここが分庁舎です 衛士が待っています 2018年4月7日
田戸台分庁舎 分庁舎北面 2018年4月7日
田戸台分庁舎 分庁舎の東面 2018年4月7日
田戸台分庁舎 玄関入口の敷石にある海軍のレリーフ 2018年4月7日
田戸台分庁舎 分庁舎の関連家屋 雇人が住んでいたのかも 2018年4月7日
この田戸台分庁舎は、海に面した南面以外は周囲を砲台の土手(横墻)のように囲われています。狙撃されることを恐れたのか、半面、刺客が忍びやすいというのもありますが。
空襲を恐れたのでしょうか、ここの庭には防空壕があるそうです。入れては呉れませんけどね。
田戸台分庁舎の配置図 黒塗りの処が防空壕
田戸台分庁舎 横墻のような高い塁 2018年4月7日
田戸台分庁舎 何が刺さっているのか 2018年4月7日
田戸台分庁舎 どう見ても異形鉄筋だなあ 2018年4月7日
田戸台分庁舎 建物の玄関 2018年4月7日
田戸台分庁舎 玄関を入ってすぐの処 2018年4月7日
田戸台分庁舎 第12代横須賀鎮守府長官瓜生外吉氏の写真 2018年4月7日
田戸台分庁舎 会議室からサンルームへ 2018年4月7日
田戸台分庁舎 サンルームの中 おやっ、あそこに 2018年4月7日
田戸台分庁舎 南極の石です 2018年4月7日
自衛隊は、南極観測船「宗谷」や「しらせ」などを持っています。海賊や戦闘地域を航行する場合もありますので、観測船には機関砲が付いています。乗組員は自衛隊員ですよ。
南極観測船「しらせ」 2008年10月5日
居間に入ってみます。ここで海軍の将校達を呼んで軍事会議をしたのかもしれません。
田戸台分庁舎 ここは居間 2018年4月7日
田戸台分庁舎 暖炉が切ってあります 2018年4月7日
ピアノ
田戸台分庁舎にあるピアノは、その製造番号から1925年(大正14年)ドイツのハンブルグで制作されたスタインウェイC型のグランドピアノです。
2013年(平成25年)の大修復によりその美しい音色が復活し、現在も演奏会等で、多くの聴衆を魅了しています。
平成10年4月に時の防衛政務次官が、居間のピアノがスタインウェイ社製グランドピアノC型だと気づき、調べてみると大正14年にハンブルグで製造されたものでした。
今の価値で1,000万円以上だということで、骨董的価値が高いのかもしれません。当時、日本海軍の従軍カメラマンの野坂保雄氏がロシオで購入し、海軍に寄贈したものだと言われています。
田戸台分庁舎 グランドピアノ 2018年4月7日
田戸台分庁舎 スタインウェイ社から部品を取り寄せ修理 2018年4月7日
ステンドグラス
田戸台分庁舎には、玄関上部の四連窓と玄関脇の二連窓にステンドグラスがはめられております。このステンドグラスは米国で制作技法を学び、草創期に大きな業績を残した小川三知氏の作品です。
田戸台分庁舎 小川三知のステンドグラス 2018年4月7日
田戸台分庁舎 原型のステンドグラス 2018年4月7日
小川三知とは何者か。大正から昭和にかけて活躍したステンドグラスの工芸家だそうで、橋本雅邦に日本画を習い、アメリカ渡り西洋画法を学びました。アール・ヌーヴォー、アール・デコ風ですが日本画を思わせるステンドグラスを作り出しました。この人は上野にある小川眼科の跡取り息子でしたが、絵を描きたい欲求から、弟に家督を譲り自分は東京藝術大学に進み、日本初のステンドグラス作家となったと言います。
私たちの「ご近所ころりん隊」にも、その作品を幾つか取り上げています。子安小学校にあった「秋草」(最近学校の中は入れないので文献「子安小学校100年史」からの写真です)、横浜市長公邸にあった「鴎」、旧小川病院の「旭日に鶏」などです。
子安小学校100年史より 校舎全景
子安小学校100年史より ステンドグラス「秋草」
横浜市長公邸 ステンドグラス「鴎」 2010年11月3日
横浜市長公邸 ステンドグラス「鴎」 2010年11月3日
旧小川眼科 建物全景 2018年2月10日
旧小川眼科 ステンドグラス「旭日に鶏」 2018年2月10日
旧小川眼科 ステンドグラス「?」像の後ろにあるが 2018年2月10日
田戸台分庁舎の玄関脇の部屋は、執務室であったらしい。鎮守府長官だけでなく、米軍の海軍司令官もここを書斎にしたようです。覗いてみましょう。
田戸台分庁舎 執務室 2018年4月7日
田戸台分庁舎 軍艦のプラモなどが所狭しと置いてある 2018年4月7日
田戸台分庁舎 武士として忠誠心を説いたもの 2018年4月7日
田戸台分庁舎 野村吉三郎之像 2018年4月7日
田戸台分庁舎 旧帝国海軍の資料 2018年4月7日
田戸台分庁舎 ここの本棚もステンドグラスが使われている 2018年4月7日
田戸台分庁舎 米軍将校の写真 2018年4月7日
田戸台分庁舎 設計者は桜井小太郎英国の建築士を取得した 2018年4月7日
田戸台分庁舎 「MAMOR」誌の渡辺舞嬢が訪ねてきた 2018年4月7日
和室の方に行ってみましょう。部屋は二間続きで、そんなに広くない。
田戸台分庁舎 料亭の廊下のようだ 2018年4月7日
田戸台分庁舎 8畳間くらいかな 2018年4月7日
田戸台分庁舎 こちらは床の間が付いている 2018年4月7日
田戸台分庁舎 坪庭的中庭がまったりする 2018年4月7日
田戸台分庁舎 防空壕の写真 2018年4月7日
田戸台分庁舎 防空壕の写真2 2018年4月7日
会議室か、食堂か、20人くらいは集まることが出来るなあ。歴代の鎮守府長官写真が飾ってありました。ここの椅子がアールデコと言いますか、いい雰囲気です。
田戸台分庁舎 長テーブル 王侯貴族並みだね 2018年4月7日
田戸台分庁舎 歴代長官 よく写真が残っていました 2018年4月7日
田戸台分庁舎 何と訳するのでしょう 2018年4月7日
田戸台分庁舎 凝ったサイドボードです 2018年4月7日
田戸台分庁舎 このアルコーブの打合せテーブルが秀逸 2018年4月7日
田戸台分庁舎 いい仕事していますねえ 2018年4月7日
さて、庭も見てみましょうかね。築山の下には防空壕があるのでしたね。残念なことにバリケードで通路は塞がれていました。
田戸台分庁舎 南側を望む 2018年4月7日
田戸台分庁舎 北側、門の方を望む 2018年4月7日
田戸台分庁舎 東側を望む 2018年4月7日
田戸台分庁舎 サンルームの外観 2018年4月7日
田戸台分庁舎 建物全景 2018年4月7日
田戸台分庁舎 庭に見晴台がある 2018年4月7日
田戸台分庁舎 重厚なマントルピースの煙突 2018年4月7日
帰り際に、お隣の建物の処に面白いものを見つけました。むき出しの壕体です。以前は地山に覆われていたのか、不思議な建造物です。
田戸台分庁舎 おやっ、何だろう 2018年4月7日
田戸台分庁舎 こっ、これは・・・ 2018年4月7日
田戸台分庁舎 どう見ても防空壕を掘り出したように見える 2018年4月7日
田戸台分庁舎 横須賀地方総監宿舎の看板があった 2018年4月7日
田戸台分庁舎 熱心に鉄扉を撮る 2018年4月7日
googleの航空写真と先ほどの配置図を、重ね合わせてみました。防空壕が黒塗りの所です。防空壕を抜け総監宿舎の建物から、先ほどの防空壕を通れば、被弾せずに逃げられるかもしれない。
田戸台分庁舎 東側の防空壕と繋がっているのか? 2018年4月7日
田戸台分庁舎 さようなら、分庁舎 2018年4月7日