根津・日暮里界隈 その2  2018年2月10日



 前回の谷中、根津を巡った時に見損なったものを見に行きました。帰ったら、caccoは風邪をひいていました。うさおが歩き回って暑く感じられていたのに、寒い、寒いと言っていたので、おかしいとは思っていました。その後、本格的に風邪になりました。
 日暮里駅の中央口の駅舎には、尖がり屋根が付いています。「寺町に合った駅舎」と言うコンセプトでデザインされたそうです。


日暮里界隈 日暮里駅を降ります 2018年2月10日

日暮里界隈 江戸時代の街道灯篭のようだね 2018年2月10日

日暮里界隈 駅の壁飾りにも一工夫 紅葉の模様 2018年2月10日

天王寺

 駅を降りて北に向かうと、そこがもう護国山尊重院天王寺です。幸田露伴の「五重塔」のモデルは、このお寺の五重塔です。しかし、昭和32年の放火心中のために、焼失してしまいました。谷中の墓地内に、その敷地跡が残っています。そう言えば、谷中の墓地はもともと、このお寺さんと寛永寺さんの敷地だったようで、ずいぶん大きなお寺さんだったんですね。
 

日暮里界隈 寺院につながる道は紅葉坂です 2018年2月10日

碑文  紅葉坂  もみじざか
 坂道周辺の紅葉が美しかったので「紅葉坂」と命名されたのだろう。別名「幸庵坂」ともいった。その命名由来は不詳。
 江戸後期の国学者,山崎美成(よししげ)は「金杉日記」に,「天王寺うら幸庵坂下,又三しま社のほとり秋色尤もふかし,林間に酒を煖む」と記している。
 この記事によると,幸庵坂 の名は江戸時代すでにあったことが知られる。
                       平成十二年三月  台東区教育委員会



日暮里界隈 天王寺山門 とてもモダンです 2018年2月10日

日暮里界隈 何と釈迦牟尼如来坐像が 2018年2月10日

日暮里界隈 近くで見ると更に厳かです 2018年2月10日

日暮里界隈 紋様が素晴らしい石灯篭 2018年2月10日

日暮里界隈 向唐門が山門の脇にあり江戸の名残があります 2018年2月10日

谷中の墓地

 谷中の墓地は春になると桜が綺麗で、うさおの会社の若い人にとっては夜桜見物に行く場所です。もちろんお酒を持ち込んでお墓の通路でどんちゃん騒ぎをするのでしょうから、埋葬されている人たちにとっては、堪ったものではありません。
 大きな石塔の幾つかを見ていたら、相馬大作の碑がありました。相馬大作は講談で知りましたね。
 青森の津軽氏と南部氏の確執は根強いもので、いまだにあると言われています。南部氏の一族の大浦氏が同族の南部氏を攻め、津軽を手に入れ津軽氏を名乗ります。津軽氏は豊臣秀吉から大名に取り立てられて、所領を安堵されます。この時から、互いに同族ながら、反目していきます。国堺の檜山での領地争いなどで南部氏の恨みが募ります。なんと100年後の官位の沙汰でも津軽氏は従四位下に叙任され、今まで津軽氏を格下だと思っていた南部氏は激怒します。南部氏に仕えていた相馬大作は、「悔辱の怨を報じ申すべく候」と津軽寧親を暗殺しようつけ狙い、未遂に終わりました。江戸っこは、相馬大作を赤穂浪士の再来と同情を呼び、後に講談や小説・映画に取り上げられることになりました。



日暮里界隈 谷中墓地 工學士田代某記念碑 2018年2月10日

日暮里界隈 谷中墓地の趣きのあるお墓の例 2018年2月10日

日暮里界隈 谷中墓地 相馬大作の碑 2018年2月10日

日暮里界隈 谷中墓地 花屋さんを昔から「お茶屋さん」と呼ぶ 2018年2月10日


日暮里界隈 谷中墓地 2018年2月10日

日暮里界隈 谷中墓地の大通り 春は桜並木 2018年2月10日

日暮里界隈 微笑んでしまう谷中のトイレ 2018年2月10日

日暮里界隈 谷中墓地 五重塔があった場所 2018年2月10日

日暮里界隈 五重塔 どうもこの辺りらしい 2018年2月10日

日暮里界隈 和菓子屋 岡埜榮泉 豆大福が名物 2018年2月10日


日暮里界隈 「オーギョーチィ」の中華屋さん 2018年2月10日


カヤバ珈琲

 カヤバ珈琲は、古民家を改装した大正や昭和を彷彿させるお店です。中に入ると客層が三つに分かれます。学生さんのようなモダンレトロを楽しむ若い人、私たちのような古き良き時代を懐かしむ世代、日本の文化を楽しみたい外国の方です。
 面白いことに、外国の方たちは二階の和室のほうに上がっていきます。老人たちは入り口近くです。caccoは名物の卵サンドだったが、うさおは何を食べたか覚えていない。


日暮里界隈 カヤバ珈琲 レトロだね 2018年2月10日

日暮里界隈 カヤバ珈琲 煉瓦の塀が良いです 2018年2月10日

日暮里界隈 カヤバ珈琲 メニュー 2018年2月10日

日暮里界隈 カヤバ珈琲 出窓からの景色 2018年2月10日

日暮里界隈 カヤバ珈琲 厨房 2018年2月10日

日暮里界隈 カヤバ珈琲 店内 2018年2月10日

日暮里界隈 カヤバ珈琲 2018年2月10日


下町風俗資料館

 下町風俗資料館は不忍池の畔にある白い建物ですが、ここの建物は付設展示場として江戸時代から続く吉田酒店の店舗跡です。時折、「回遊バスめぐりん」に乗ると、この建物の脇を通るので、大変興味を持って見ていました。
 丁度、カヤバ珈琲の真向かいですので、レトロな建物が2棟並んでいることになります。


日暮里界隈 下町風俗資料館 2018年2月10日

日暮里界隈 下町風俗資料館 背面 2018年2月10日

日暮里界隈 下町風俗資料館 ポンプ井戸 2018年2月10日

 この資料館に、面白いコーナーがありました。昔の街並みを描いた板絵です。
「かまぼこ板絵」製作について 昭和63年4月
 寿司店「日の出ずし」のご主人瀬田さんが商売の片手間に営業用のかまぼこの不要材を使って「かまぼこ板絵」を始めたのは6年前。下町をこよなく愛する瀬田さんの眼に映ずる街の風物にはやさしい愛情がこもる。(79歳)



日暮里界隈 下町風俗資料館 葉書かなと思いましたが 2018年2月10日

日暮里界隈 下町風俗資料館 かまぼこ板に描いた絵でした 2018年2月10日

南蛮茶館

 南蛮茶館は、根津神社の近くにある薬局の二階にあります。建物全体がオレンジ色っぽい配色ですので、何か怪しい雰囲気がありましたが、中に入ってみると普通の喫茶店でした。下の薬局のお姉さんたちが、昼休みを楽しんでいました。


日暮里界隈 南蛮茶館 2018年2月10日

日暮里界隈 南蛮茶館 ダート珈琲 2018年2月10日

日暮里界隈 南蛮茶館 やはり怪しいかな 2018年2月10日

日暮里界隈 南蛮茶館 中の配色も南蛮ぽい 2018年2月10日

日暮里界隈 南蛮茶館 急な階段 2018年2月10日

根津神社

 2000年近い歴史を持つ神社さんで、日本武尊が創建したと伝えられています。太田道灌も社屋を奉建しています。とても広い境内を持っています。何処から泉が湧いて出て、小渓谷をなしています。
 ここにも、駒込稲荷社、乙女稲荷社が西側に位置しています。


日暮里界隈 根津神社案内図 根津神社のサイトより 2018年2月10日

日暮里界隈 根津神社大鳥居 2018年2月10日

日暮里界隈 北側の社碑 2018年2月10日

日暮里界隈 南側の社碑 2018年2月10日

日暮里界隈 楼門 2018年2月10日

日暮里界隈 神楽殿 2018年2月10日

日暮里界隈 社殿 2018年2月10日

日暮里界隈 乙女稲荷社の千本鳥居 2018年2月10日

日暮里界隈 乙女神社の鳥居 2018年2月10日

日暮里界隈 千本鳥居 2018年2月10日

日暮里界隈 つ々じ苑の記 2018年2月10日

根津教会

 大正8年に建てられた「本郷福音教会」で、木造平屋建てのキリスト教の教会です。平成13年に、国の登録有形文化財に登録されています。由緒がありますねえ。


日暮里界隈 根津教会 街に溶け込んでいます 2000年9月23日

日暮里界隈 洋館だが庶民的でもある 2000年9月23日

 根津には大正、昭和と思しき建物や、街路灯が多く残っています。


日暮里界隈 果物屋「やない」 「やな」になっている! 2000年9月23日

弁慶鏡ヶ井戸

 東京大学の門がいい味を出しています。その脇に稲荷神社があり、弁慶鏡ヶ井戸がありました。
 「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」の江戸時代の戯れ歌に通り、稲荷社本当に多いなあ。この神社さんは、忍岡向岡総鎮守境稲荷神社という長い名前です。


日暮里界隈 東京大学の門 2018年2月10日

日暮里界隈 弁慶鏡ヶ井戸 手漕ぎポンプだ 2018年2月10日

日暮里界隈 忍岡向岡総鎮守境稲荷神社 2018年2月10日

岩崎邸

 旧岩崎邸は、現在の岩崎邸跡の敷地の3倍の広さだったようで、三菱財閥初代の岩崎弥太郎が邸地を購入し、岩崎財閥3代目の岩崎久弥がジョサイア・コンドルに設計を依頼したもので、当時としては豪華を極めており、あの金唐革紙が壁紙に用いられています。
 ここもcaccoたちが2013年に訪れています。



日暮里界隈 旧岩崎邸 入口 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 芍薬の花かな 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 入口から受付までが長い 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 煉瓦塀 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 塀のレリーフ 2018年2月10日

日暮里界隈 旧岩崎邸 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 5年間の変化 外観 2018年2月10日

日暮里界隈 旧岩崎邸 屋敷前のロータリー 2018年2月10日

日暮里界隈 旧岩崎邸 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 2013年4月13日



日暮里界隈 旧岩崎邸 記念にね 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 撞球場 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 撞球場の中 2018年2月10日

日暮里界隈 旧岩崎邸 撞球場テラスの椅子 2018年2月10日

日暮里界隈 旧岩崎邸 2013年4月13日


日暮里界隈 旧岩崎邸 井戸 2013年4月13日

日暮里界隈 旧岩崎邸 和館 2018年2月10日

日暮里界隈 旧岩崎邸 和館 2018年2月10日

横山大観

 これはまた今度紹介します。今日は玄関だけです。


日暮里界隈 横山大観記念館 2018年2月10日

日暮里界隈 横山大観記念館  2018年2月10日

小川眼科

 小川眼科は、その建物のレトロさで有名な医院です。東大で教鞭を執った小川剣三郎氏が創業したもの、剣三郎氏の兄の小川三知がステンドグラスを製作しました。
 上野、御徒町の町は、ここ最近急速な再開発が進んでおり、高層ビルがにょきにょき建っています。外国資本の商業ビルも増えています。それらの中で、ポツンと佇まいを残しています。
 ですので、建物の価値だけでなく、この建物のステンドグラスが価値を高めています。鑑定団風に言うと、「小川三知は静岡藩医の次男として生まれ、医者をめざすが絵画の道へと転進した。上野の東京美術學校に入り、岡倉天心から「君は日本画の手ほどきを橋本雅邦先生から受けなさい」と賜り、後に日本初の「ステンドグラス作家」になりました。
 その後、日本医師会会長だった黒澤潤三氏が院長を務めました。だからこのビルは、黒澤ビルと言うんですね。


日暮里界隈 小川眼科外観 2018年2月10日

日暮里界隈 小川眼科外観 2018年2月10日

日暮里界隈 小川眼科エントランス 2018年2月10日

日暮里界隈 「鶏鳴告暁」はこのステンドグラスですね 2018年2月10日

日暮里界隈 像の背後の壁にも窓 2018年2月10日

日暮里界隈 登録有形文化財になっています 2018年2月10日

日暮里界隈 下駄箱もレトロだあ 2018年2月10日

日暮里界隈 多分、小川博士か黒澤博士像 2018年2月10日

伊豆栄本店

 前からcaccoを連れていきたかった鰻の伊豆栄に来ました。つい貧乏人なので、一番下のランクを頼んでしまいます。ここ伊豆栄は、松竹梅の順が普通とは逆で、梅が一番高いんです。
 元気よく、「松、お願いします!」って声のトーンが上がっちゃいますよね。



日暮里界隈 伊豆栄 堂々の「松」です 2018年2月10日

日暮里界隈 伊豆栄 店内にはパンダがいっぱい 2018年2月10日

日暮里界隈 伊豆栄 上野公園の伊豆栄別館の模型 2018年2月10日



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