根津・日暮里界隈  2018年1月6日

 上野の少し北側には、谷中、根津があります。この辺りにも江戸・明治・大正の景色を、色濃く残しています。
 根津と言う地名は、根津神社から来たという説や、大黒様の使い番の鼠から来たという説、忍が岡、向ヶ岡が海の付け根の港だったので、港の「津」とあわせたと言う説があります。



日暮里界隈 日暮里駅を降ります 2018年1月6日

日暮里界隈  2018年1月6日

日暮里界隈 スパゲッティ主体 2018年1月6日

日暮里界隈 太田道灌像 2018年1月6日

日暮里界隈 下御陰殿橋を渡ります 2018年1月6日

日暮里界隈 長久山本行寺 2018年1月6日

日暮里界隈 あずま家 2018年1月6日

日暮里界隈 一歩路地を入ると畑が 2018年1月6日

日暮里界隈 大黒山経王寺 2018年1月6日

幸田露伴

 幸田露伴は著名な小説家です。代表作「五重塔」は、谷中天王寺がモデルです。しかし、居宅跡にたどり着く前素敵な煉瓦塀が現れました。嬉しいなあ。


日暮里界隈 おお、煉瓦塀だ 2018年1月6日

日暮里界隈 なんだ、なんだと覗いてみる 2018年1月6日

日暮里界隈 あれっ、これ、なんだ? 2018年1月6日

日暮里界隈 幸田露伴居宅跡 何も無い 2018年1月6日

日暮里界隈 これは何? 2018年1月6日

日暮里界隈 ここは朝倉塑像館で屋根に像が飾られています 2018年1月6日

日暮里界隈 朝倉塑像館 武家屋敷のよう 2018年1月6日

日暮里界隈 日暮里界隈 2018年1月6日



日暮里界隈 中野屋 2018年1月6日


谷中銀座

 谷中銀座を降りていくと、緩やかな道いっぱいの階段が現れます。ゆうやけだんだんと言い、夕陽を見る名所なんだそうです。


日暮里界隈 谷中銀座 2018年1月6日

日暮里界隈 夕やけだんだん 2018年1月6日

日暮里界隈 七面坂にあるこのお宅 2018年1月6日

日暮里界隈 おお、鏝絵だ 2018年1月6日


日暮里界隈 ひみつ堂 行列ができています 2018年1月6日

日暮里界隈 とあるお店の郵便箱 2018年1月6日

岡倉天心

 岡倉天心は東京藝術大学の2代目校長で、日本の美術の発展に大きく貢献した人です。横浜の開港資料館のそばで生まれました。お父さんは福井藩の藩士でしたが、藩命で石川屋と言う貿易商を始めます。この石川屋が今の開港資料館なんですね。英語が堪能だったので、フェロノサに師事しそこから日本の美術の発展に貢献するんですね。横浜歴史博物館の前にも、記念碑が建っています。
 以前に茨木県の五浦に行ったときにも、あの忠犬ジョンの碑の近くに、岡倉天心の墓がありましたね。岡倉天心の邸宅兼、日本美術院の跡地が公園になりました。園内には六角堂があります。意外と狭い処で、200坪くらいでしょうか。住んでいた建物は意外と小さかったかもしれませんね。



日暮里界隈 岡倉天心住居跡 2018年1月6日

日暮里界隈 公園になっています 2018年1月6日

日暮里界隈 六角堂 中に岡倉天心の像があります 2018年1月6日

日暮里界隈 碑文 2018年1月6日

 上記の碑の句は
  谷中鶯 初音の血に染む 紅梅花
  堂々男子は死んでもよい
  奇骨侠骨 開落栄枯も 何のその
  堂々男子は死んでもよい



日暮里界隈 岡倉天心先生舊宅跡 日本美術院發祥之地 2018年1月6日

大圓寺の煉瓦塀

 大圓寺さんの山号は、高光山。日蓮宗のお寺さんです。ここの煉瓦塀が見事でした。煉瓦フェッチには堪りませんね。圧巻です。


日暮里界隈  2018年1月6日

日暮里界隈  2018年1月6日

日暮里界隈  2018年1月6日

下谷小学校の煉瓦塀

 下谷小学校の建物は少し特徴的です。砦か料亭のようです。しかし、その敷地境界に煉瓦塀があります。何だかいいなあ。小学校は110年の歴史を持っています。


日暮里界隈 昭和モダンの建物?下谷小学校 2018年1月6日

日暮里界隈 学校の脇にある煉瓦塀 2018年1月6日

日暮里界隈 住宅の玄関脇にも入り込んでいる 2018年1月6日

日暮里界隈 砦のような学舎 2018年1月6日

日暮里界隈 小学校の佇まいじゃないですね 2018年1月6日

日暮里界隈 だって、埴輪があるもん 2018年1月6日

喫茶店「乱歩°」

 店内には2名の女性が働いていました。著名なご主人、鈴木稔さんは居らっしゃいませんでした。二代目良介さんという猫も見当たりません。
 隣は菊寿堂いせ辰です。お店の前は三崎坂ですが、100mも坂を下ると、そこは団子坂。江戸川乱歩の小説「D坂の殺人」の舞台になったところです。中に入ると、猫の置物とモダンジャズのポスターなどが出迎えてくれます。ウッドを主体としたインテリアです。



日暮里界隈 「乱歩」右肩上に「°」が付きます 2018年1月6日

日暮里界隈 やはり乱歩の愛好者なんだなあ 2018年1月6日

日暮里界隈 今日は! 2018年1月6日

日暮里界隈 足元には置き看板 2018年1月6日

日暮里界隈 乱歩°の外観 2018年1月6日

日暮里界隈 昭和の香りの室内 2018年1月6日

日暮里界隈 名物の猫の雄介君がいない 2018年1月6日

日暮里界隈 昔と変わらぬ香りがするなあ 2018年1月6日

 
2000年9月23日にも、caccoは乱歩°を訪れています。


日暮里界隈 変わりませんねえ 2000年9月23日

日暮里界隈 椅子も同じだ 2000年9月23日

日暮里界隈 18年前も変わらぬ、くすみ方 2000年9月23日

日暮里界隈 やあっ! 2000年9月23日

日暮里界隈 お面が同じだ 2000年9月23日


 さて、お隣の「いせ辰」は、江戸の時代から千代紙やおもちゃの絵の版元さんです。
 江戸文様など、伝統を受け継いでいます。江戸文様は、あの銅板戸袋の文様の原点です。


日暮里界隈 さんさき坂のいせ辰 2018年1月6日

日暮里界隈 戌年だけに犬張子が沢山 2018年1月6日

日暮里界隈 英語表記がある 外国人が多いんだな 2018年1月6日


 大名時計博物館に向かう途中に、鯔背なお家がありました。如何にも仕舞屋風。ちなみに、仕舞屋とは昔江戸の商業地に、恒久的な住居を立てることは法度だったそうで、これは商売を辞め取り壊す予定の家でございます(仕舞い家)と、便宜上の断わりを入れて建てられた家です。大店の商家の旦那様が、お妾さんを住まわせたり、結構豪奢なものもあったそうです。


日暮里界隈 仕舞屋風 歌舞音曲を教えていそう 2018年1月6日

大名時計・勝山藩下屋敷跡

 途中、外人さんと抜きつ追われつをしながら、大名時計博物館に向かいました。ここは多分、勝山藩下屋敷の跡地でしょうね。同じ所にあるもの。おや、博物館は半日は休日だぞ。


日暮里界隈 大名時計博物館 2018年1月6日

日暮里界隈 大名時計博物館 2018年1月6日

日暮里界隈 おっ、煉瓦造りだ 2018年1月6日

夏目漱石

 夏目漱石は、「三四郎」、「坊っちゃん」を執筆していたときは、根津に住んでいました。ここはその住居跡です。名古屋の明治村に、建物は移築されています。
 漱石はペンネームで、「漱石枕流」から来ています。元々の故事は「枕石漱水」で石を枕に流れの水に口を注ぐの意なのですが、晋の時代の孫楚はこれを言い間違えて、「漱石枕流」と言ってしまいます。指摘されると石を歯磨き粉代わりにして、流れの水で耳を洗う心意気なので、これで良いのだと言い張ります。転じて「漱石」は、世を拗ねた変わり者を差すようになります。
 漱石の親友の正岡子規は、漱石より前にこの「漱石」のペンネームを用いています。二人は友達なので、ペンネームを付ける件には、面白い因縁がありそうです。


根津界隈 漱石住居跡 多くの人が訪ねています 2018年1月6日

根津界隈 漱石住居跡の碑 2018年1月6日

根津界隈 題字は川端康成なんですね 2018年1月6日

根津界隈 塀の上の猫がポイントです 2018年1月6日

 すぐ近くに根津神社があります。今度、ゆっくり来てみましょう。


根津界隈 根津神社 2018年1月6日

根津界隈 根津神社 2018年1月6日

根津界隈 蔦の絡まるこのお宅の雨樋が 2018年1月6日

根津界隈 獅子頭雨水栓と言いましょうか 不思議な樋 2018年1月6日

上野英三郎博士とハチ公

いよいよお目当ての忠犬ハチ公です。東京帝国大学農学部の上野教授の愛犬ハチ公が、教授亡き後も渋谷駅に上野教授を迎えに行っていました。東大のキャンパス内に上野博士と忠犬ハチ公の像があります。この逸話はいつ聞いても涙が出ます。
 東大の門衛のおじさんに、どこあるでしょうかと、尋ねましたら何と門を入って直ぐの所にありました。おお、ハチ公がでかい。さすがに秋田犬である。



根津界隈 東大の学舎 2018年1月6日

根津界隈 上野博士と忠犬ハチ公 2018年1月6日

根津界隈 ハチ公、デカッ! 2018年1月6日

根津界隈 結構見学者が多かった 2018年1月6日

 足元にソフトボールの球があり、ハチ公はこれにじゃれて遊んだんだなと、彫刻のリアルさに感心しきり。手に触れてみたら、本物のボールでした。門衛のおじさんから、これをどうぞとハチ公シールを頂きました。至れり尽くせりです。銅像の参拝者が多いんですね。


根津界隈 忠犬ハチ公シール 2018年1月6日

 清水坂に向かって歩いていきます。


根津界隈 清水坂に向かう途中にあった「石敢當」何でしょう? 2018年1月6日

根津界隈 弥生坂にある土器発掘の碑 2018年1月6日

根津界隈 今は無き都電の池之端七軒町の停留場 2018年1月6日

根津界隈 都電7500形車両 2018年1月6日

清水坂

 清水坂(きよみずさか)は、別名暗闇坂と呼ばれています。ここに煉瓦作りの建物が建っています。都電の変電所跡ですが、今は上野動物園の物置になっています。
 普段は、何気なく通り過ぎてしまいますが、こんな趣きがあるもの残っています。


根津界隈 旧都電変電所 2018年1月6日

根津界隈 震災にも戦災にも壊れずに残りました 2018年1月6日

根津界隈 入り口はモダンになっちゃって 2018年1月6日

森鴎外

 森鴎外の住居跡には、水月ホテル鴎外荘が建っています。ホテルの中に入ると、内庭がありそこに旧住居が保存されています。内庭はには瓢箪池があり、縁側に面しています。残念ながら、この日は、お茶会でもあるのか、貸し切りで屋敷内には入れませんでした。
 「森鴎外居住之跡」の碑や、「舞姫の碑」も残っています。


根津界隈 水月ホテル鴎外荘 2018年1月6日

根津界隈 鴎外居住跡の碑 2018年1月6日

根津界隈 住居の門 2018年1月6日

根津界隈 鴎外の住居 2018年1月6日

根津界隈 内庭の佇まい 2018年1月6日

根津界隈 鴎外の家の玄関 2018年1月6日

根津界隈 住居の廊下 2018年1月6日

根津界隈 舞姫の碑 2018年1月6日

根津界隈 おもかげの碑 2018年1月6日


上野精養軒

 疲れちゃったので上野精養軒で、お食事をして帰ります。パンダの赤ちゃん、「シャンシャン」にあやかったデザートを記念に頼みました。



根津界隈 上野精養軒 2018年1月6日

根津界隈 上野精養軒 簡単な夕食 2018年1月6日

根津界隈 上野精養軒 パンダ柄プリンかな? 2018年1月6日



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