松戸工兵学校跡・津田沼鐡道連隊跡  2017年8月12日


松戸駅

 陸軍工兵学校は工兵教育の学校として、日本帝国陸軍が1919年(大正8年)12月1日に松戸に開校したものです。


松戸工兵学校跡 配置図 下記サイトを参照させて貰いました 2017年8月12日

 松戸の工兵学校は国内ではここだけであり、軍備の近代化に伴う工兵関係学術調査研究、工兵用兵器資材の研究試験、その他の関連教育を目的としました。
 子供に頃に軍人将棋というもので遊んでいましたが、これは全部伏駒の将棋で、相手以外に行司役の子が居ました。相手がタンク(戦車)だと、味方の偉いさんがバッタバッタとなぎ倒されていきました。その強さを推理してタンクだと考え、工兵を当てると負かすことが出来ました。ただし、工兵はとても弱く歩兵にも負けていました。
 このことから何となく理解できたことは、機械、電機、土木、建築の特殊技能集団であったことです。
 工兵学校の配置図は、「陸軍工兵学校」という記念誌に載っていますが、最低でも中古で20,000円以上もする高い本なので、手に入りません。そのため、下記サイトを参照させていただきました。大変詳しく記載されております。
 参照:http://www.shimousa.net/kouhei/kouheigakko.html 

工兵学校の碑

 工兵学校の碑は、松戸中央公園の西側にあります。イトーヨーカドーの5階の出入り口から出れば、疲れないで楽でしたが、地図しか見ていかなかったので様子が分からず、長い階段を上ってしまいました。
 松戸中央公園に入ったらすぐ分かるかと思っていましたが、方向感覚がめちゃくちゃになり、さっぱり分からなくなり、駐輪場のおじさんに場所を聞いちゃいました。
 すぐに教えてくれました。アッ近くじゃん。お礼を言って見つけました。
 「陸軍工兵学校跡」の碑文は、元陸軍中将宮原國雄の書で「陸軍工兵学校は主として工兵が技術を研究練磨しその成果を全国各工兵隊の将兵に普及する使命をもって大正八年十二月一日景勝の地ここ相模台上に創立せられ逐年その実績を挙げ大正十五年十月二十八日摂政宮殿下の台臨を始めとして幾多の栄誉に浴せしが昭和二十年戦争の終局とともに光輝ある二十七年の歴史を閉じたり。いま台上往年の面影を留めずよって縁故者あい謀り記念碑を建立して後世にに遺す。 昭和四十二年四月 工友会」と彫ってあります。


松戸工兵学校跡 松戸中央公園を歩く 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 千葉大学工学部跡の碑 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 石碑 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 碑の扁額 2017年8月12日

工兵学校正門

 工兵学校の正門は、松戸中央公園の松戸市立相模台小学校側の入口に残っています。
 そこにはの歩哨舎が今も変わらずに残っています。当初は木製の舎と聞いていますので、後からコンクリート造のものが作られたのでしょう。
 正門は煉瓦造で大変趣があるのですが、近所のおばちゃんたちがこの門に立てかけて、自転車や、バイクを置き去りにしていくので、写真写りがとても悪いです。
 門には青銅で出来た門標が取り付けてありましたが、この「陸軍工兵学校」の門標は松戸市立博物館に飾られているそうです。
 今度行くことがあったら見てきましょ。


松戸工兵学校跡 正門後 バイクと自転車が邪魔だなあ 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 南側から 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 小学校の方から 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 正門 歩哨舎は木造 「陸軍工兵学校」誌 前述サイトより

松戸工兵学校跡 歩哨舎 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 歩哨舎の裏側 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 あっ自撮りしている 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 門の控え壁 2017年8月12日

陸軍工兵学校の倉庫

 イトーヨーカドーの北側に急な階段があり、その石段の中腹に工兵学校の倉庫跡があります。
 倉庫跡の扉は本来鉄製であったとかで、二枚は現存していましたが、他の入口はコンクリートブロックで塞いでありました。ここは「軽油庫」として、燃料が保管されていたようです。扉の上の方に空気抜きの穴があります。


松戸工兵学校跡 この急な坂道の途中に 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 急に現れる地下構造物 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 倉庫跡だそうです 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 なかなか風格があるぞ 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 鉄扉の上に換気口 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 ここは埋められちゃったね 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 まあ、こんな具合ですね 2017年8月12日

松戸工兵学校跡 倉庫からの出し入れが困難そう 2017年8月12日

津田沼駅

 津田沼駅を降りると、目の前に千葉工業大学の正門が見えます。この門は、旧陸軍鐡道連隊第三大隊の表門でした。1910年(明治43年)に旧陸軍鐡道連隊第三大隊が習志野市津田沼に移駐したました。
 この門の設置は何時だか分かっていません。1945年(昭和20年)の終戦で鐡道連隊は閉鎖され、千葉工業大学のキャンパスとなりました。
 これに関連して、120千葉鉄道連隊の項もご参照下さい。


津田沼鐡道連隊跡 千葉工大の正門 2017年8月12日

津田沼鐡道連隊跡 大学側から 2017年8月12日

津田沼鐡道連隊跡 記念に一枚 2017年8月12日

津田沼鐡道連隊跡 少し綺麗に整備されすぎているなあ 2017年8月12日

津田沼鐡道連隊跡 文化庁の指定を受けている 2017年8月12日

津田沼鐡道連隊跡 門柱のグローブ球 2017年8月12日


喫茶店

松戸の喫茶店「喫茶室川名」

 caccoが見つけてきた昔ながらの喫茶店、今風の「ベローチェ」とか「スタバ」のようなモダンな奴じゃあありません。お客さんの年齢層がどう見ても40歳以上。新聞片手に入ってきて、無駄に時間をつぶしているようなおじさんがいるお店です。
 店内にコカコーラの冷蔵庫があり、レトロな感じでした。


喫茶店の入り口  2017年8月12日

喫茶店の内部  2017年8月12日

喫茶店の厨房  2017年8月12日

喫茶店 かき氷があったので頼んだ  2017年8月12日

喫茶店 レトロ庫と可愛いミニチュア  2017年8月12日

津田沼の喫茶店「Sanyo」

 このお店は「パルコ」の中にあります。JR津田沼駅とは、ペデストリアンデッキで繋がっています。
 お店の中は意外に昔風の喫茶店、まあ、そんなところばっかり探しているから、このようなお店なんだけどね。客層は若いです。店長の女性は、30歳代だと思うのですがちょっと見、稲田元防衛大臣のような顔立ちで、似てますねって言ったら怒られそうだな。
 うさおは、「サニョー」、「左脳?左脳に書いた手紙?しるしか?」って、店名を読んでました。可笑しな名だな?って、読み方、違うからね。


津田沼駅とつながっている  2017年8月12日

喫茶店の入り口  2017年8月12日

喫茶店の内部  2017年8月12日

喫茶店のメニュー  2017年8月12日