長崎遺構 2017年7月17日、18日
小菅修船場、グラバー邸、煉瓦遺構、原爆資料館を、歩ける範囲で巡ってきました。
小菅修船場跡
たまたま、出かけた日が土曜日だったので、現地にボランティアの方が2名待機していて懇切丁寧に説明してくれました。ここは平日は係員が誰も居ないので、説明者が居て大変ラッキーでした。
パンフレットによれば、小菅修船場は日本最古の蒸気機関動力の曳揚げ装置による洋式スリップ・ドッグです。汽車と同様に、ボイラー型蒸気機関の力で、船を曳き揚げ、インクラインのレール上の船の船架台がそろばんの様に見えたので、「ソロバンドック」と言われました。
修船場は、外国船の修理のために、トーマス・ブレイク・グラバーが薩摩藩士ら(小松帯刀・五代才助[友厚])と、スコットランドから曳揚げ装置を取り寄せ、明治元年(1869)に完成しました。
その後、明治新政府が買収、明治20年(1887年)に三菱の所有となり現在に至っています。小菅修船場は日本の近代造船所発祥の地です。
興味深かったのは、曳揚げ小屋は現存する日本最古の本格的な煉瓦造の建物で、使われている煉瓦は、その形状から「蒟蒻煉瓦」と呼ばれ、通常サイズの2/3の厚さしかありません。国の史跡に指定されています。
小菅修船場跡 入江に向かうインクラインと船架台 2017年7月17日
小菅修船場跡 修船場の見取り図 2017年7月17日
小菅修船場跡 ボランティアの説明員 2017年7月17日
小菅修船場跡 道路に見えるが当時はここも修船場 2017年7月17日
小菅修船場跡 船架台 この上に船を乗せて修理した 2017年7月17日
小菅修船場跡 曳揚げ小屋 2017年7月17日
小菅修船場跡 巻き上げ装置の大きなチェーン 2017年7月17日
小菅修船場跡 そのチェーンを捲く装置 2017年7月17日
小菅修船場跡 蒸気タービンと駆動クランク 2017年7月17日
小菅修船場跡 うさおが熱心に話を聞く 2017年7月17日
うさおが熱心に話を聴くので、ボランティアの方は、「明治日本の産業革命遺産」と題する小論文の冊子を呉れたのでした。
小菅修船場跡 頂いた小論文 2017年7月17日
小菅修船場跡 曳揚げ小屋側面の煉瓦 2017年7月17日
小菅修船場跡 蒟蒻煉瓦と刻印2種 フランス積み 2017年7月17日
小菅修船場跡 刻印1種 合計3種が見つかっている 2017年7月17日
小菅修船場跡 擁壁の控え壁にも煉瓦が 2017年7月17日
小菅修船場跡 駐車場に防空壕らしきもの発見 2017年7月17日
ANAホテル周辺
1)四海樓
四海樓は日本で初めて長崎ちゃんぽんを作ったお店です。ホテルの真ん前にあります。うさおは皿うどん、caccoはちゃんぽんですが、どちらも美味しかったです。食堂は長崎湾が一望のもとに眺めることが出来るので、その景色も美味しかったです。
四海樓 外観 2017年7月18日
2)旧香港上海銀行長崎支店記念館
旧香港上海銀行長崎支店記念館は、下田菊太郎が設計した建物で重厚な造りです。これも、ホテルの真ん前にあります。
長崎市の石造り洋館としては最大規模で、原爆後、現存する唯一の建造物だそうです。銀行業務を終えた建物は、長崎市が買いとり長崎市立歴史民俗資料館にしましたが、資料館が移転後もこの地に残され、長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館となりました。1989年に国の重要文化財に指定されました。
諫早に向かう都合があり、中には入りませんでした。
旧香港上海銀行長崎支店記念館 2017年7月17日
旧香港上海銀行長崎支店記念館 2017年7月18日
旧香港上海銀行長崎支店記念館 中が少し覗けます 2017年7月18日
旧香港上海銀行長崎支店記念館 昔風だね 2017年7月18日
3)長崎市べっこう工芸館
サイトによると、長崎市べっ甲工芸館は、国指定重要文化財の「旧長崎税関下り松派出所」跡を、べっ甲工芸品及び税関資料を市民の観覧に供したものです。
「旧長崎税関下り松派出所」は、明治31年に建設され、建物は小規模ですが、明治時代の税関施設の状況をよく伝えています。
長崎市べっこう工芸館 2017年7月18日
長崎市べっこう工芸館 煉瓦塀が残る 2017年7月18日
長崎市べっこう工芸館 レトロな造りです 2017年7月18日
4)グラバー通り
ホテルの脇の坂道が、グラバー邸に向かう通りで、ホテルの朝食を摂っているときにいるときに、何となく眺めていました。彼方にホテル石庭のような船の形をした建物の尖塔が見えます。
後で岸壁の方に行ったら、本当の豪華客船で、たくさんの外国の観光客が乗っていました。定員6000人だそうで、どうりで至る処で外人の群に遭遇しましたっけ。
グラバー通り 左の建物が泊まったホテル 2017年7月17日
グラバー通り ボーリング発祥の地 2017年7月17日
グラバー通り 聖コルベ神父記念館 2017年7月17日
グラバー通り 長崎湾を望む 2017年7月17日
グラバー通り 繋泊中の豪華客船 Majestic Princess 2017年7月18日
5)大浦天主堂
大浦天主堂は、ホテル脇のグラバー通りの坂を登っていくと、いきなり目の前に現れます。カトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古のキリスト教の建築物です。正式には日本二十六聖殉教者堂と言います。
天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、ものめずらしさで付近の住民たちが見物に来ました。プティジャン神父は何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えていると考えていました。
1865年3月17日(元治2年2月12日)に浦上の住民が天主堂を訪れました。そのなかの40歳くらいの女性が、「私共は神父様と同じ心です」とささやき、カトリック教徒だと告白しました 。この「信徒発見」を当時の教皇ピオ9世に伝えられると、教皇は感激して「東洋の奇蹟」と呼んだといわれます。
暑さを避けて、夜のライトアップ・ツアーに行ったのに、まだ点灯されていないところが多かったな。
浦上天主堂 涼しいかと思って出かけましたが 2017年7月17日
浦上天主堂 でも、まだ暑かった 2017年7月17日
6)夜のグラバー邸
トーマス・ブレーク・グラバー(1838年 - 1911年)はイギリス人の商人で、安政6年(1859年)の長崎開港直後に来日して、グラバー商会を設立、茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入を行った。薩摩藩、長州藩や明治政府とも関係が深かったそうです。グラバーは日本人ツルを妻に娶り、死ぬまで日本に暮らしました。
旧グラバー住宅は、先ほどの大浦天主堂を通り越して、すぐのところにありました。夜だったので、中には入れませんでしたが長崎っぽい夜景を楽しむことが出来ました。
大東亜戦争が終わってから、進駐軍の宿舎に接収されていたそうです。当時は米軍も、被爆地の放射能汚染は念頭になかったようです。
夜のグラバー邸 屋敷の入口 2017年7月17日
夜のグラバー邸 裏山から屋敷を見る 2017年7月17日
夜のグラバー邸 この門衛は当時のものか 2017年7月17日
夜のグラバー邸 道を挟んだ処の建屋 2017年7月17日
夜のグラバー邸 なかなかのものです 2017年7月17日
夜のグラバー邸 下に降りる細い階段 2017年7月17日
夜のグラバー邸 長崎の夜景 空襲前夜のようだ 2017年7月17日
夜のグラバー邸 グラバー通り 2017年7月17日
夜のグラバー邸 おかしな家 2017年7月17日
7)宝製鋼
ちょうどグラバー邸の麓辺り、先ほどの細長い階段を下りた先辺りになります。南山手の海岸通りに面しています。いかにも、うさおが好きそうな煉瓦工場が残っています。
元はウォーカー商会のラムネを作る工場だったようです。1902年(明治35年)の代物ですから、年季が入っています。今は宝製綱株式会社のロープ製造工場です。
イギリス積で、木製のドアや窓枠が昔のまま残されています。
宝製鋼 須加五々道美術館に登る階段の隣 2017年7月18日
宝製鋼 蔦が絡まっていい感じ 2017年7月18日
宝製鋼 大きすぎて入らない 2017年7月18日
宝製鋼 反対側から 2017年7月18日
長崎市内
●長崎平和公園
原爆の落下中心地にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さない誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。
有名な「平和祈念像」と、「平和の泉」が象徴的です。
この岡に、「五大監獄千葉、奈良、長崎」に記した長崎刑務所の支所があり、全員が亡くなりました。
長崎平和公園 小山の上が平和公園 屋根の部分がエスカレータ 2017年7月17日
長崎平和公園 平和記念像 2017年7月17日
長崎平和公園 反対側を眺める 2017年7月17日
長崎平和公園 長崎刑務所浦上支所跡看板 2017年7月17日
長崎平和公園 長崎刑務所浦上支所跡 土台石 2017年7月17日
長崎平和公園 平和の泉 2017年7月17日
長崎平和公園 平和の泉 2017年7月17日
長崎平和公園 浦上天主堂も一度、原爆で破壊された 2017年7月17日
浦上天主堂の双塔の鐘楼のうち、南側のものが天主堂内に落下し、北側のものが天主堂の北側の崖を滑り落ち、天主堂の北側を流れる小川に落ちました。それがこれです。
長崎平和公園 浦上天主堂の川に落下した楼閣 2017年7月17日
●原爆資料館
昭和20年(1945)8月9日午前11時2分に、浦上の上空で原子爆弾が爆発、約15万人の命が失われました。原爆資料館では原爆の悲惨さ、被爆の惨状などを掲示してあります。長崎の原爆は、プルトニュム原爆で広島の1.5倍の威力がありました。米軍は博多に落とす予定でしたが、天候が悪かったため、長崎に落としました。落ちたところが盆地だったので、広島よりは被害が少なくて済みました。それでも、15万人です。
この館は、内部の撮影は禁止なので撮っていません。館内でcaccoがリュックの留革が無いことに気づくと、館の職員さんは大変親切にしてくれました。caccoは感謝感激で、見つかったら家に送ってくれとまで言ってくれました。
結局は、市内見物でチャーターしたタクシーの中に落ちていたのですけれどね。
原爆資料館 看板 2017年7月17日
原爆資料館 タクシーの運転手さんが写真に入ってくる 2017年7月17日
原爆資料館 市内の方を望む 2017年7月17日
●長崎出島
出島は、1634年に江戸幕府の鎖国政策として長崎に築造された人工島であるとウィキペディアに書いてあります。扇型の島で、ポルトガルやオランダ償還がありました。このあと諫早の5大監獄に行くので、ここはササっと見てきました。
でも観光客の団体のほとんどが、中国の人でお茶しに入ったお店も、中国語が飛び交わっていました。あの豪華客船で来たんですよね。何かうらやましい。
長崎出島 ホテルのそばの長崎電鉄の駅 2017年7月18日
長崎出島 路面電車に乗って出かけます 2017年7月18日
長崎出島 ポルトガル人かなあ 2017年7月18日
長崎出島 おらんだ橋 2017年7月18日
長崎出島 ここが運河です 2017年7月18日
長崎出島 出島和蘭商館跡 2017年7月18日
長崎出島 庭にこんな模型が 2017年7月18日
長崎出島 おお、見事に扇形だ 2017年7月18日
諫早市内
●諫早喫茶
諫早駅で特急「かもめ」を待ちますが、時間がまだたっぷりあります。街の方に行ってみました。あれれ・・・、商店街は軒並み、シャッターを下ろしています。確かに、休日ではありましたが、月曜日でありこんなに閉まっちゃっていいのかなあ。
さすが九州、長崎、夏は暑いなあ。喫茶店を見つけて潜り込みます。オアシスだ。
「coffee shop AB AB」うっ、学生時代に聞いたようなフレーズだ。
店内には、おじさん、おばさんのグループが居て、高校野球を聞いていて、盛んに高校野球談議をしていましたよ。
諫早喫茶 AB-AB おっ洒落! 2017年7月18日
諫早喫茶 店内 縁起物の熊手が掛かっている 2017年7月18日
諫早喫茶 昔ながらの喫茶店という感じ 2017年7月18日
諫早喫茶 2017年7月18日
諫早喫茶 車止めの上部にはムツゴロウの絵が 2017年7月18日