軍艦島  2017年7月16日



 さて、いよいよ軍艦島です。初めに、パンフレットにある島の全体図を示しておきましょう。
 赤い線が当日見学できたエリアです。距離にしてほぼ200mの工程です。
 東京都市大学の濱本教授は、「想定外事象に対するネットワーク異常検知システムの軍艦島における実証的研究」と題する研究をされています。軍艦島の日本最古の鉄筋コンクリート集合住宅をターゲットにして、東京都市大学,筑波技術大学,静岡大学,産業技術総合研究所,日本航空電子工業と長崎市の方々と共同で、群によるリモートセンシング技術の実証実験を行われています。
 先生にせがんで大変貴重な資料をお借りして掲示しています。


軍艦島の配置図 棟の番号は巻末の表を参照ください 2017年7月16日

軍艦島の埋立図 赤の線が元の島の大きさ 濱本先生の許諾を得て掲示しています

軍艦島の周りの海底 急に深くなっているが北東は浅い 濱本先生の許諾を得て掲示しています

 中ノ島を横目で見ながら、気はすでに軍艦島に向かっています。


軍艦島 無人島の中之島 2017年7月16日

軍艦島 島を目にした途端、期待感は満開 東側端島小中学校 65号棟 2017年7月16日

軍艦島 島の形が戦艦「土佐」に似ている 2017年7月16日

 濱本先生から掲示許可の出ているドローン映像を貼り付けておきます。



 船内のアナウンスがあって、僅か200mの範囲しか上陸が許されていないので、軍艦島を一周してその概要を観ましょうとのことでした。良いカメラアングルなので、立ち上がって撮って居ましたら、危ないのと後ろの人が見えないのとで座ってくれと注意されてしまいました。てへへ。


軍艦島 東北側 小中学校、65号棟、端島病院 2017年7月16日

軍艦島 北西側 鉱員宿舎、社員住宅が並ぶ 2017年7月16日

軍艦島 北西側 隙間は65号棟-16号棟か 右端は31号棟か 2017年7月16日

軍艦島 西側 新しく建った灯台が見える 手前右は31号棟 2017年7月16日

軍艦島 南西側 仕上工場の辺りか 突堤に釣り人が見える 2017年7月16日

軍艦島 少し不鮮明だが端島神社 2017年7月16日

軍艦島 ベルトコンベアーの穴 2017年7月16日

軍艦島 ベルトコンベアーの穴 2017年7月16日

軍艦島 総合事務所付近 第2竪坑坑口付近 2017年7月16日

軍艦島 総合事務所前の突堤 2017年7月16日

 ドルフィン桟橋に着きました。暑い。期待感満々。暑い。年の所為で足が縺れる。暑い。


軍艦島 30号棟上空から 濱本先生の許諾を得て掲示しています



軍艦島 上空から 濱本先生の許諾を得て掲示しています

軍艦島 ブロアー機室 2017年7月16日

軍艦島 ドルフィン桟橋 2017年7月16日

軍艦島 ドルフィン桟橋西側 2017年7月16日

軍艦島 ドルフィン桟橋東側 2017年7月16日

軍艦島 貯炭場を望む 2017年7月16日

軍艦島 ブロアー機室の煉瓦積 2017年7月16日



軍艦島 北側から望む 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2012年11月18日

軍艦島 ブロアー機室の脇の遺構 2017年7月16日

軍艦島 正面のコンクリートの台座はドルシックナーか 2017年7月16日

軍艦島 正面に貯炭場、端島小中学校 右手にベルトコンベアーの支柱 2017年7月16日

 さて、ドルフィン桟橋から降りたった私たちは、貯炭場脇の広場で一仕切りレクチャを受けます。講師はどうやらどこかの教職についていた方がボランティアでされているようです。結構詳しく、丁寧です。


軍艦島 急な山の道を登ると職員住宅があります 2017年7月16日

軍艦島 正面は擁壁 貯水槽や鉱長社宅があるはず 2017年7月16日

軍艦島 65号棟屋上より 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2012年11月18日

軍艦島 埋められた隧道跡 2017年7月16日

軍艦島 撰炭機室 2017年7月16日

軍艦島 鮮やかな色の煉瓦 2017年7月16日

 上陸時間は20分程度と決められています。後、15分くらいしかありません。
 あまりの暑さに、船の乗務員が一人、2個程度のダイアアイスを配ってくれます。少し、助かるなあ。


軍艦島 説明されていたのはこの方 2017年7月16日

軍艦島 儚げに残る仕上工場? 2017年7月16日

軍艦島 仕上工場?と30号棟 背後に灯台が見える 2017年7月16日

 一番奥の広場で再度レクチャーです。真正面に30号棟が見えます。


軍艦島 山の上の職員住宅を望む 2017年7月16日

caccoは、この日のために買った日焼け防護マスクを着用していますが、大きな麦藁帽子とサングラスなので、まるで透明人間のようで怪しい人になっています。


軍艦島 わあ、透明人間だ 2017年7月16日

軍艦島 鍛冶工場 2017年7月16日

軍艦島 度重なる波浪・高波の影響で護岸も崩壊 2017年7月16日

軍艦島 総合事務所の前 2017年7月16日

軍艦島 総合事務所、 2017年7月16日

軍艦島 おお、棄景のようだ 2017年7月16日

※棄景:丸田祥三の写真集


軍艦島 総合事務所、二坑口桟橋 2017年7月16日

 島の中のコンクリートの建屋は、1916年以降に鉄筋コンクリート構造のものになっていますが、日本初のRC集合住宅が建設されたのも軍艦島です。
※RC:Reinforced-Concreteの略


軍艦島 RC構造物とアクセントの煉瓦壁 2017年7月16日

 コンクリートは人工の岩石のようなものですから、圧縮力には強いのですが、引張力には大変弱い構造です。フランスの庭師が金網を入れたコンクリートの鉢を考えたことから、本格的な鉄筋コンクリートが生まれたと言われています。
 内部の鉄筋が引張力を担うので、圧縮力にも、引張力にも強い建材が出来たのです。ちなみに、コンクリートと鋼材は同じ熱線膨張率ですので、温度変化に対して同じ膨張の仕方をするので変形が生じにくいのです。
 ただし弱点もあります。鉄筋が中性化(コンクリートのアルカリ成分が空気中の炭酸ガスによって中和すること)や塩害によって錆びて腐食すると、約2.5倍の体積膨張をしますので、表面のコンクリート(かぶり)を押し出して破壊させます。
 爆裂という言葉を用いますが、その名の通り本当に大きなコンクリート片が剥落する場合があります。後は連鎖反応的に、鉄筋が錆び、コンクリートが剥がれを繰り返して、構造物の崩壊に至ります。

 閑話休題。

 軍艦島で特に有名なのは、島最古の建物(1916年)の30号棟です。この建物は、100年もの間、原形を保ってきました。しかし、2016年の迷走台風10号、別名ブーメラン台風と言いますが、2017年の迷走台風5号により、塩害の影響でしょうか、床スラブの一部が崩落してしまいました。
 

軍艦島 30号棟 壁、床スラブが崩壊している 2017年7月16日

軍艦島 床スラブの崩壊 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2015年6月8日 

軍艦島 床スラブの崩壊 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2015年9月16日

軍艦島 30号棟屋上 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2015年6月8日

軍艦島 渡り廊下と草木 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2015年6月8日

 突堤の上には、多くの釣り人たちがいます。私たちはこんなに上陸を制限されているのに、なぜこの人たちは上陸できるのだろう。
 先程の東京都市大学の濱本教授にお聞きしますと、島の内部は長崎市の管轄ですが、護岸は長崎県の管轄なのだそうで、県は規制をしていないため、釣り人が入れるようです。とは言え、幅僅か50cm程度の突堤の上だけで、島の内部に足を踏み入れてはいけないとのことでした。う~ん、微妙。


軍艦島 釣り人 2017年7月16日

 軍艦島が世界遺産になっても、遺産の対象は坑道なので、事務所、集合住宅の補強には、何の補助金も廻ってきません。壊れるに任せる状態です。
 このままですと、長崎市は2020年以降の軍艦島上陸を許さない方針だと言われています。
 韓国の人がこの島の爆破に来なくても、後数年後にはコンクリート構造物は全て崩壊し、元の端島だけが残るかも知れない。
 横島のように、坑道に水が入って海中に没するかもしれません。

 帰りがけに、無人島の中ノ島を見ると,色々な人工物が端島同様、玄界灘の荒海に洗われて崩壊し、その遺構がわずかに残っています。


中ノ島 2017年7月16日

中ノ島の石垣、煉瓦遺構 2017年7月16日

中ノ島の煉瓦遺構 2017年7月16日

中ノ島の護岸、煉瓦遺構 2017年7月16日

中の島 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2016年7月6日

中の島 濱本先生の許諾を得て掲示しています 2016年7月6日

 国立米子工業高等専門学校建築学科 玉井研究室のサイトに行くと、島の建物の詳細な用途を示してあります。これは役に立ちますね。黄色に塗った棟は、住宅以外の用途に使われた建屋、一般の住居には個別の風呂はなく、共同浴場がありました。幹部宅には風呂が付いていたそうですが、この島では水は貴重品です。
 一部の棟屋では、1階、地下階に購買所があり、デパ地下のはしりだと言われています。

 http://brtc.at.webry.info/theme/fdf96b69cc.html より転載。勝手に使ってすいません。

軍艦島の建物の一覧
 建物名 建設年  構造・階数  建物用途 
 1号棟  1936(S11)  木造1F  神社
 2号棟  1950(S25)  RC造3F  職員住宅
 3号棟  1959(S34)  RC造4F  職員住宅
 5号棟  1950(S25)  木造2F  鉱長社宅
 6号棟  1936(S11)  木造2F  職員合宿
 7号棟  1953(S28)  木造2F  職員クラブハウス
 8号棟  1919(T8)  RC+木造3F  共同浴場1F+職員社宅
 12号棟  1925(T14)以前  木造3F  職員社宅
 13号棟  1967(S42)  RC造4F  公営住宅(教職員用)
 14号棟  1941(S16)  RC造5F  職員社宅(中央住宅)
 16号棟  1918(T7)  RC造9F  鉱員社宅(日給社宅)
 17号棟  1918(T7)  RC造9F  鉱員社宅(日給社宅)
 18号棟  1918(T7)  RC造9F  鉱員社宅(日給社宅)
 19号棟  1918(T7)  RC造9F  鉱員社宅(日給社宅)
 20号棟  1918(T7)  RC造9F  鉱員社宅(日給社宅)
 21号棟  1954(S29)  RC造5F  鉱員社宅+警察派出所
 22号棟  1953(S28)  RC造5F  役場1F+公営住宅(公務員)
 23号棟  1921(T10)  木造2F  社宅1F+寺院2F(泉福寺)
 25号棟  1931(S6)  RC造5F  宿泊所2F+職員社宅
 26号棟  1966(S41)  プレハブ2F  下請作業員飯場(旧船頭小屋)
 30号棟  1916(T5)  RC造7F  旧鉱員社宅(下請飯場)
 31号棟  1957(S32)  RC造6F  鉱員社宅+共同浴場+郵便局
 39号棟  1964(S39)  RC造3F  公民館
 48号棟  1955(S30)  RC造5F  鉱員社宅
 50号棟  1927(S2)  鉄骨造2F  映画館(昭和館)
 51号棟  1961(S36)  RC造8F  鉱員社宅
 56号棟  1939(S14)  RC造3F  職員社宅
 57号棟  1939(S14)  RC造4F  地下ピロティ商店+鉱員社宅
 59号棟  1953(S28)  RC造5F  鉱員社宅+地下購買所
 60号棟  1953(S28)  RC造5F  鉱員社宅+地下購買所
 61号棟  1953(S28)  RC造5F  鉱員社宅+地下共同浴場
 65号棟  1945(S20)  RC造9F  鉱員社宅、屋上幼稚園
 66号棟  1940(S15)  RC造4F  鉱員合宿(啓明寮)
 67号棟  1950(S25)  RC造4F  鉱員合宿
 68号棟  1958(S33)  RC造2F  隔離病棟
 69号棟  1958(S33)  RC造4F  端島病院
 70号棟  1958(S33)  RC造7F  端島小学校
 71号棟  1970(S45)  RC造2F  体育館






















































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