蹴上インクライン  2016年11月23日


 京都市水道局の門を出ると、同乗のメンバーが待っていてくれましたので、ご挨拶をして別れました。彼らはこの後、一緒に見て廻られるのか、揃って蹴上インクラインを下っていかれました。

 第一、第二疎水の水が発電所導水管のほうに流れて行きます。疎水の水はインクラインのところで、右側の暗渠に飲み込まれて、発電のための水路に流れ込み、その落差によって蹴上発電所にて電力に変換されます。あいにく、その蹴上発電所の導水管の箇所は現在工事中で、上からの俯瞰は撮れませんでした。更にそこから分岐して、南禅寺の水路閣に流れて行きます。


琵琶湖疏水 西宮大神宮の燈籠 2016年11月23日

琵琶湖疏水 西宮大神宮の参道 2016年11月23日

琵琶湖疏水 蹴上インクライン 2016年11月23日

琵琶湖疏水 船を載せた台車 2016年11月23日

琵琶湖疏水 左手に台車の駆動装置が見える 2016年11月23日

琵琶湖疏水 蹴上インクライン 2016年11月23日

琵琶湖疏水 蹴上インクライン 2016年11月23日

 分岐の水路前は見晴台になっており、田辺朔郎の像が建っています。その前には琵琶湖疏水工事殉難者碑があり、インクラインの近くには、導水管の実物が展示されています。導水管の下方には、疎水工事のときの電気技術者の殉職者の碑もありました。
 当時は、土木機器も未発達でほぼ、人力で行うため危険な箇所も人が潜り込み、命を落とされたのでしょうね。最近の博多のNATMトンネル崩落事故は、都市部の真っ只中であったにも拘らず、一人の犠牲者が出なかったのはそれだけ、土木技術が進んだからと言えます。


琵琶湖疏水 疎水合流トンネル北口 近くには行けません 2016年11月23日

琵琶湖疏水 田邊朔郎の扁額 藉水利資人口 2016年11月23日

琵琶湖疏水 合流壕 2016年11月23日

琵琶湖疏水 紅葉真っ盛り 2016年11月23日

琵琶湖疏水 蹴上のインクライン見晴台 2016年11月23日

琵琶湖疏水 発電所の鋼管が飾られている 2016年11月23日

琵琶湖疏水 麓のほうの発電所鋼管 2016年11月23日

琵琶湖疏水 田邊朔郎の像 2016年11月23日

琵琶湖疏水 田邊朔郎自費建立の殉職者の碑 一身殉事萬戸霑恩 2016年11月23日

琵琶湖疏水 殉職者之碑 京都市電気局 2016年11月23日

琵琶湖疏水 公園内の池 何かの遺構を用いているのかな 2016年11月23日

 インクラインには、その当時の線路や台車、運搬船が産業遺産として保存されています。船を高低差36メートルを上り下りさせたのです。あの当時、この高さを閘門式水路では至難の業だったと思います。


琵琶湖疏水 千石船を乗せた台車 2016年11月23日

琵琶湖疏水 運転の仕組み 2016年11月23日

琵琶湖疏水 蹴上インクライン 2016年11月23日

 「ねじりまんぽ」に行ってみました。ものすごい人出です。おおっ、外人さんがえらく多いな。日本人だと思った観光客が、中国語やハングル語を喋っているので、日本人はどの位いるのだろう。


琵琶湖疏水 ねじりまんぽ北口  2016年11月23日

琵琶湖疏水 ねじりまんぽ南口 2016年11月23日

 「ねじりまんぽ」とは、煉瓦斜架拱のことで煉瓦をずらして積むことで、偏土圧が掛かったときでもトンネルが横断方向にせん断破壊しないように工夫されたものです。写真のように渦を巻くように煉瓦積まれています。この技術すごいなあ。全国でも、この「ねじりまんぽ」は29例を数えるのみで、今でも、このような技術を持った職人さんがいるのかなあ。

琵琶湖疏水 天井の煉瓦が見事に捻じれている  2016年11月23日

琵琶湖疏水 足元の小さな拱 2016年11月23日

 扁額は、三条側が「雄観奇想」、反対側は剥げ落ちているが「陽気発處」で、共に北垣国道の揮毫だそうです。字が難しくて読めません。


琵琶湖疏水 南口の「雄観奇想の扁額 2016年11月23日

琵琶湖疏水 北口の陽気発處の扁額 剥げていて読めない 2016年11月23日

 インクラインに沿って下っていくと、左手の道路の先に京都市の蹴上発電所が見えてきます。このときに、発電所はどこにあるのかなときょろきょろしましたが、蹴上発電所は道路より低い位置にあったので、見逃してしまいました。残念です、春にまた行くことがあったら、今度こそ見逃さないぞ。


琵琶湖疏水 インクラインの終端 夷川につながる濠 2016年11月23日

琵琶湖疏水 ここの溜りの先にも良さそうな建物が 2016年11月23日

琵琶湖疏水 1980年頃 この溜りの先が哲学の道につながります

琵琶湖疏水 1980年頃 この先は銀閣寺に至ります

 とりあえず目指すところは、琵琶湖疏水記念館、ここに過去の遺物がたくさんあるはず。あれ、何か小奇麗な洋館が建っている。中に入ってみても、小部屋に北垣国道や田辺朔郎の書や、図面が展示されている。これだけ?
 これもまた残念なことに、下階に下りる階段がありそれを降りなかったのが敗因です。疎水の遺構はそこにありました。


琵琶湖疏水 疎水記念館外観 2016年11月23日

琵琶湖疏水 インクラインの終端に記念館はあります 2016年11月23日

琵琶湖疏水 この下階に面白いものがあったはず 2016年11月23日

琵琶湖疏水 修復されて綺麗すぎる外観 2016年11月23日

今回は残念が続きます。ここだけではなく、水路閣でも東寺でも、残念が続きます。(南禅寺の項、東寺の項を参照のこと)永観堂にも行きましたが、見学する時間がなく諦めました。
 永観堂から南禅寺に戻る道の端に小川のような、疎水が残っていました。


琵琶湖疏水 煉瓦造りの側溝で雰囲気が良い 2016年11月23日

琵琶湖疏水 結構な水量があります 2016年11月23日

琵琶湖疏水 辺りはとっぷり暮れて 2016年11月23日

琵琶湖疏水 でも、この人の流れ、引きも切らずです 2016年11月23日


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