北鎌倉駅を歩く  2016年10月15日


 鎌倉はまだ紅葉の季節でもないので、あまり混んでいないと思い出かけてみました。通学時間に当たったのと、外国の観光客と私たちの同年代の方が多く、円覚寺の門前は賑わっていました。
 駅の西側には、二つの池があり、絵の同好会の方でしょうか、スケッチをされていましたが中々堂に行った絵を描かれていました。駐車場の料金を気にしている私たちは、とてもそんな絵を描いている心の余裕がありません。


北鎌倉駅を歩く 北鎌倉の駅 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 白鷺池 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 偃松橋 2016年10月15日

 とにかく、あの駅裏の随道を見に行きましょう。ご当地では、「緑の洞門」と呼ばれています。2016年8月11日に洞門の上部と入り口側面の崖が崩れた模様で、厳重なバリケードが張り巡らしてあり、通行が出来ません。この先に住まわれている方は、交通が遮断され大変不便な状況を強いられているようです。
 「緑の洞門」はホームから見ると、ほとんどフェンス越に丸見えの状態です。
鎌倉市は以前から「緑の洞門」を開削し、切通にして4メートル道路にしようとしています。理由のひとつは、随道が崩壊する危険があることと、火災時の消火・救急作業に支障が出ることをあげているようです。
 今回の崩落事故は、市の開削工事の引き金に成らないと良いのですが。


北鎌倉駅を歩く 緑の洞門 手前の岩は落下してきたもの 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 緑の洞門 落下した岩 2016年10月15日

 この洞門については、鎌倉市と保存会との間に長きに渡って争議があり、第三者委員会が立ち上げられ、そのなかで早稲田大学理工学術院の小泉淳教授が、崩落の原因についてもともと亀裂の入っている箇所があったこと(この箇所については小泉教授は事前にはつり落としするよう勧告していた)、円覚寺から続いている尾根の樹木を放置したことにより、樹木の根が育ち、危険なので伐採等の処置をする必要があったことを述べておられます。小泉教授とは、仕事の関係でシールドトンネルの変形についてご相談に伺ったことがあります。
 なにかきな臭い話ですが、住民の方から警察に「硝煙捜査依頼書」が出されており、誰かが亀裂に炸薬を仕掛けた恐れがあるとのこと。これについても教授は、既に亀裂は大きくなっており、亀裂を更に拡げるような人為的な行為があったとすれば、(崩壊を引き起こすことは)簡単であると答弁されています。
http://blog.livedoor.jp/kikurotakagi/archives/5260660.html


北鎌倉駅を歩く 緑の洞門 通行止め 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 緑の洞門脇の軍用地下壕の入り口 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 軍用地下壕入り口だろうね! 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 保存会のポスター 2016年10月15日

 円覚寺結界遺構の尾根の一部に今回の洞門は入っています。したがって掘られたのは鎌倉時代の後期であると思われます。
 しかしです。明治から大東亜戦争の時代までに、陸軍がこの洞門裏から尾根の中に縦走的に地下壕を掘ったと言われています。
 1906年(明治39年)から1907年にかけて、陸軍日出生台演習場の輸送路として、この洞門も大規模な改修が行われて、軽車両の通過が可能なように拡幅されたという記録があります。
 明治38年の陸軍測量部図、大正14年の陸軍測量部・参謀本部図が残っているとか、ぜひ見てみたいな。


北鎌倉駅を歩く 円覚寺山門 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 道を尋ねた古布屋さん「和」 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く うすかわ饅頭屋「儀平」 本当は瑞光殿 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 円覚寺に通してくれるか聞いてみた 2016年10月15日

 随道が遮断されてしまったので、どうやって反対側に行こうかと考え、この古布屋(和)さんに聞いてみると、向こうのお宅に行くといえば拝観料を取られずに、円覚寺の中を通れますよとのお話を聞いて、掛け合いに行きましたが折悪しく土曜日で参拝客が多かったせいか、通行は拒否されましたが、駅の反対側から裏路地を通って踏み切りを渡るルートを教えてもらいました。
 これが、実は大正解ですばらしいルートでした。(後述)

 とりあえず駅前に出て、交番前の陸軍省の石碑をパチリ。北鎌倉が帝国海軍の拠点のひとつであることが判ります。四面に、海軍省、第四五号、昭和一六年七月二十日建立、東京要塞第二区地帯標と彫られています。ちなみに、走水浄水場にある海軍省碑は第四区でした。


北鎌倉駅を歩く 北鎌倉駅前 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 海軍省 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 交番脇にある石碑 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 東京要塞第二区地帯標 2016年10月15日

 花屋さんのところの狭い路地を入っていくと、更に狭い路地になります。両側に植物が茂り、いかにも北鎌倉だなあと思わせます。そしてこの踏切を渡ります。


北鎌倉駅を歩く めだかの宿が目印 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く おお狭い路地 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く この小道に名前が付いていた 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く ホームの脇を通って行きます 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く この踏切を渡るよ 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 北鎌倉第一踏切が名前です 2016年10月15日

 反対側から緑の洞門を見ると、このような感じです。確かに道路は狭く、うさおはこの幅で自動車を通過させることは出来ません。


北鎌倉駅を歩く 緑の洞門の東側 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 緑の洞門東側 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く また保存会のポスター 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 雲頂禅庵と慈母観音の碑 2016年10月15日

 K田さんの玄関前に来ます。ここのがけの斜面に、以前は銃眼がありました。今は四角い穴が空いています。更に下のほうに地下壕の入り口が見えていますが、今は崖の崩壊防止に金属ネットが張られているため入れません。(でなくとも、ここはK田さんの敷地内です)
 鎌倉では、急峻な崖地が多かったので、各家々では崖を削って物置だの、お墓や土牢にしていました。これを八倉と呼んでいました。ここもそういう用途があったのかもしれません。でも、崖が迫り出してきていて、大変怖い。


北鎌倉駅を歩く K田さんの崖 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 崖の途中にある穴 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 樹木が覆いかぶさっているが地下壕の入口がある 2016年10月15日

 caccoも若いときに見たことのある中華屋さんの入り口です。お店はとうに無くなってしまいましたが、この随道は残っています。ここも戦時中の陸軍の地下補給路で、途中に尾根を縦断する地下壕の埋め跡が残っています。


北鎌倉駅を歩く この崖の奥に 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 裏山に繋がる随道の入口がある 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 好々亭の文字が岩盤に刻まれている 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 何と恐ろしいことにその脇に髑髏が 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く この赤い門は異質だ 2016年10月15日

何故か、覆われているブロックの上下に、スリット状の開口部が残っています。懐中電灯を持ってこなかったので中は見れないし、カメラは撮れないしでさんざんでしたが、一瞬のカメラのライトの中で天井に電線と碍子の列を見ることが出来ました。


北鎌倉駅を歩く 中は手鑿の跡が見える 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 戦時中の地下壕を埋めた跡がある 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 中の写真が上手く撮れない 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 出口で工事をされていた 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 出口のほうが趣があります 2016年10月15日

 この山は洞門山と言い、随道の入り口には「好々亭ノ門」、「成吉思汗・御会席料理」と書いてあります。お店があれば、ここで食事をしていったのに残念だなあ。


北鎌倉駅を歩く 未だに残る八倉の跡 雨宿りが出来る 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 意味不明な標識 2016年10月15日

 駅前に戻り、喫茶店「門」に入ります。裏のガラス窓いっぱいに白鷺池が見えます。池には石の太鼓橋があり「偃松橋」と言います。お客さんで入ってきた女性が、ここの喫茶店の馴染みと見えて、世間話をしていましたが私たちが旅行者と見て、これからどこに行ったほうが良いか、いろいろ名所を教えてくれます。由比ガ浜辺りから見る江ノ島の夕焼けが絶品ですと勧めてくれました。お店のママが、今日は江ノ島の花火大会だから混雑してだめじゃないかなアドバイス。女性は稲村ガ崎の前のカフェがお勧めでした。つい、稲村ガ崎の銃眼の話をして、「伏龍」の話をしちゃいそうでした。


北鎌倉駅を歩く 「門」と言うお店です 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 店内を撮影させてもらいました 2016年10月15日


西鎌倉駅

 湘南モノレールの西鎌倉の駅に向かいます。近くにコインパーキングが無いので、スズキヤ西鎌倉店の駐車場に入れます。ここの川に崖にある銃眼は、個人宅が邪魔をして良く見えません。山の中にある地下壕をたどると、この銃眼にたどり着くそうですが本当のことは良く判りません。意外に地味な遺構でした。


北鎌倉駅を歩く 西鎌倉の駅 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 崖の四角い穴が銃眼 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 何故、銃眼がこの位置に? 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 下には川が流れていて渓谷のようです 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 湘南モノレールが走ってきた 2016年10月15日

 帰りにJR東日本の大船工場引込線跡を見に行きます。道路が線路に沿って走っていますが、意外に交通量が多いもので車を止めておくのに難儀しました。撮影はcaccoにお任せしましたが、途中、バスに突かれて駐車位置を変えました。車から駐車位置をここに変えたたよと叫んでみましたが、caccoの姿は良く見えませんでした。電話を掛けると傍らのバックから、着信音が鳴ります。あちゃ、携帯を持っていない。連絡が付かない。ちょいとパニックで、一旦Uターンをし、ようやくcaccoを見つけました。意外に落ち着いており、迎えに来ると思っていたよと平気な顔をしていました。
 

北鎌倉駅を歩く 閉鎖された踏切から 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 同位置の違うアングル 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 鉄路が草に埋まっている 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 違う踏切跡でも自然のほうが勝っている 2016年10月15日

北鎌倉駅を歩く 嘗ては列車が沢山通っていたのでしょう 2016年10月15日