駒沢給水塔 見学会  2016年10月1日


 駒沢給水塔風景遺産保存会から、都民の日に駒沢給水塔の塔頂の装飾燈が点灯されるので、「駒沢給水塔ガイド付き周辺ツア‐」を行いますよと案内が来ました。
 桜新町駅北口に行くと、もう保存会の方と見学者が集まっています。このツアーは電話またはメールで知った方に分かれるようで、電話組の私たちは新庄さんと黒田さんがガイドさんです。
 この前、マンションでお会いした中村さんは、メール組のガイドさんです。


駒沢給水塔 平面図(駒沢給水塔ガイド付き周辺ツアー 当日レジメより)  2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 桜新町駅北口 三々囂々 人が集まっています 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 おお、保存会の幟もちゃんとある 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 当日のレジメと案内旗 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 さあ、出発です 2016年10月1日

 当日は曇り空で、気温も低いこともあり、歩きまわるには最適な日でした。見学コースは、2016年7月28日
(076 給水塔のその後)の時に新庄さんに紹介された処なので大体土地勘はあります。
 でも、前回は暑くて気息奄々なところもあったので、今回はその時の補足的に写真を撮ることにしました。

 桜新町から路地に入るとそこが水道道です。見学に参加のご婦人方が、面白い形をした青柿を見つけ、珍しいと騒いでいます。caccoもそうですねと写真を撮っていましたので後で見せて貰うと、なるほど、蔕(へた)の形に果肉が盛り上がっています。柿の実はみんなこんな風に育つのでしょうか。


駒沢給水塔見学会 柿の蔕 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 柿の蔕拡大図 2016年10月1日

 給水所の通用門に着きます。ここに保存会の趣旨看板が建っています。

「世田谷区に残された渋谷町水道の歴史遺産
 明治末期から大正初期にかけての東京市(当時)周辺は、人口の増加につれて安全な飲料水の確保が必要となり、上水道布設事業が相次いだ。特に人口増加の著しい豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)では早くから具体化が進み、東京市の水道事業推進の重鎮であった中島鋭治博士に依頼して町営上水道布投の計画に着手、大正六年には実地調査を基に、取水地に多摩川河畔の砧村(現鎌田)を、中経の給水場に駒沢を選び、計画を取りまとめて認可を申請、大正九年に内務大臣、翌十年には大蔵大臣の認可を得、ここに世田谷を横断する大規模な水道工事が、国家事業並みの扱いで大正十年五月に着工となった。
 中島博士の計画は、砧村に浄水場を設けて清潔な水を作り、ポンプの力で駒沢給水場に設置した給水塔に押し上げた後、自然重力で渋谷町へ送水するという斬新な仕組みであった。工事は順調に進み関東大震災を挟んで大正十三年三月に全工事が完了した。
 ここ給水場には、西欧の中世風の趣きを持ち、独特な意匠を施した二基の巨大塔が姿を現した。塔屋には王冠を連想させる装飾電球が付けられ、軽やかな特徴あるとラス橋で両塔が結ばれている。この独特な設計は二度のヨーロッパ出張で得た中島博士の卓越した土木建築デザイン感覚によるものである。同時期砧浄水場(現鎌田)には.緩速ろ過池の横、青い西洋瓦葺き屋根の上に、愛らしい四角錐の小塔を載せたユニークな送水ポンプ室が竣工している。なお昭和二年、ここ給水場には渋谷町上水道布設記念碑も造られた。
 その後、関東大震災後の渋谷町の人口急増により、昭和六~七年にかけて取水場所の作り変えや、ろ過池の増設など大規模な拡張工事が行われた。その際砧の浄水場には取水ポンプ室、駒沢の給水場には送水ポンプ室が新たに建造されたが、いつれも優れたデザイン性に富み、昭和の名建造物と言われている。昭和七年十月、周辺郡部が東京市に併合されるのに伴い、渋谷町水道も東京市水道局に移管されて、その名は消えた。
 戦後、東京都の水道局となってから、水道技術革新により浄水懐は高度浄水施設への転換と、給水場の地下埋設や大型化が進み、大正・昭和初期の水道の姿を留めるものが極めて少なくなりつつある現在、数少ない例外ともいえるのが、駒沢給水塔を頂点とした多摩川河畔と駒沢の、渋谷町水道遺産の数々ではなかろうか。豊かな線の樹林の中に聳え立つ双塔の偉容は、人々に近代水道文明の歴史存語りかけているように思えてならない。
 平成十四年、都水道局は老朽化の激しい布設記念碑の大掛りな補修作業と併せ、塔屋の装飾電球復元やトラス橋の全面塗装替えでイメージを一新した。殊に塔屋の夜間点灯は復元後今日まで、世田谷区民に貴重な近代化遺産をアピールする格好の風物詩となっている。
 中島博士生誕百五十年にあたる今年、駒沢給水塔風景資産保存会と世田谷区は相携え、この地に残る世界的に貴重な近代化遺産を永く後世に残せるよう、都水道局の理解と協力のもとに、思いを込めてこの銘板を作成した。
  平成二十年十二月  駒沢給水塔風景資産保存会・世田谷区」


 この看板から趣旨を写し取ろうと思っていました。結構、力技の大変な作業です。それなので、当日渡されたレジメは大変有難かったです。これを読みますと、この駒沢給水塔がいかに世田谷の歴史を担っていたかがよくわかります。


駒沢給水塔見学会 通用門看板 2016年7月28日

 通用門の近くのマンションの入り口が辺りが、ベストポジションですよと新庄さんが教えてくれます。双塔と第2ポンプ場がひとつのフレームに納まります。


駒沢給水塔見学会 通用門から 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 第2ポンプ室 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 双塔と第2ポンプ室 2016年10月1日

 正門に回ります。通用門から正門にかけての石垣は、双塔が出来た当時のものだそうです。おおー。
 皆さん楽しそうです。


駒沢給水塔見学会 竣工当時からの石垣 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 正門前 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 正門 皆さん楽しそう 2016年10月1日

 例の双塔がよく見えるマンションに向かいます。住宅地の中なので、騒がないように病院の駐車場で説明です。こんな資料がありますと新庄さんが見せてくれます。


駒沢給水塔見学会 見学ツアーは住宅街の中を進む 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 給水管の写真 2016年10月1日

 塔の中にこのような水道管が、初めから設えてあってそこから水が噴水のように溢れ、塔内を満たしていくのだとか、そうだったのか。

 マンションの3階に上がり、屋上のバルコニーにも入ることが出来ました。目を凝らしてみると、なにやらコンクリートの構築物が見えます。おお、トーチカのようだ。これは塔の地下室に行くための階段室だとのことでした。配置図には「弁室」とありますので、ここから地下の弁室に行くのでしょう。


駒沢給水塔見学会 コンクリートの構造物 弁室への入口か 2016年10月1日

 そして、逸見の浄水場でも見かけたような調整弁(大正四年)があります。何やら電源線か水道線のようなものが取り付けられていて、概観は逸見の浄水場のものとそっくりです。大正時代のものの匂いがしますので古そうだな。大変興味があります。中に入れるようなときが来たら、まず年代を調べたいものです。


駒沢給水塔見学会 調整弁か 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 調整弁か このレバーとふたが似ている 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 逸見浄水場の調整弁 似ているなあ 2016年6月1日

 ここから見ると、今日も迫力満点の双塔の景色を見ることが出来ます。


駒沢給水塔見学会 威風堂々の双塔 2016年10月1日

 塔の下部を見てみると、以外に面白いものが見えてきます。墻柱の下の台座に、施工当時からあったと思われる四角い穴を埋めた跡があります。また、鋼板の蓋があり、脇に白い手摺が残っています。これはレジメによると阻水弁の入り口なのだとか。


駒沢給水塔見学会 墻柱の下部 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 面白そうなのはここ 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 阻水弁の鉄蓋と取手 2016年10月1日

 ここもベストショットポジションですよと、東側の三井のパークシティ弦巻の駐車場に着きます。双塔がよく見えます。近づくとベンチュリーメーター室が見えます。塀に遮られてよく見えません。ちょっと失礼して、歩道のコンクリートブロック(車止め?椅子?)に乗って、撮影すると見事に全景が入ります。やったー。団地の自治会さんから、展示コナーを借りていらっしゃる保存会の方の目が怖かったけど、ご迷惑をお掛けしましたが撮影できて満足です。(これがいけないんですよね、反省しています)


駒沢給水塔見学会 双塔がこんなに良く見えます 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 ベンチュリーメーター室 こんな外観をしていました 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 昔の姿はこんなだったかと熱心な見学者 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 わーい、グッズを売っている! 2016年10月1日

caccoが保存会のグッズ売り場で、双塔の工事写真を購入していました。なんと購入者には、ここに住んでいた狸たちの写真をおまけに配っていました。イヤー、可愛いなあ。
江波杏子さん宅に現れたのは、こいつらだな。


駒沢給水塔見学会 ここを塒にしていた狸たち 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 昼間なのに堂々とお散歩の狸たち 2016年10月1日

 今日は「滾々不盡」の文字がこの前よりも、はっきり見えます。


駒沢給水塔見学会 「滾々不盡」の碑文 2016年10月1日

 双塔の竣工時の絵葉書がこれです。保存会が所有しています。貴重なものです。
 構築物は、時代の趨勢によって、撤去、破壊されることは多々あります。横浜市の新市庁舎(121 横浜新市庁舎遺構発掘)の下に埋まった、数々の遺構はこの新市庁舎が撤去されるまでは陽の目を見ないでしょう。いや、新市庁舎そのものが次の遺構になるのかな。
 兎も角、この資料を残っていることが大事なことなんですね。その解説文にはこうあります。

「 この絵はがきは東京府豊多摩郡渋谷町(現在の渋谷区)が、大正13年3月、駒沢給水塔を含む大規模な水道施設工事を竣功させた際に、記念として発行されたものの複製です。モノクロ写真を着色しての印刷、絵はがきの下辺に右書きされた旧漢字使用の説明文など、いがにも大正期の古さを感じます。

 多摩川河畔にあります。駒沢給水塔に入る水の取水所です。右側の建物群がポンプ室や事務室。左側には濾過の際に使う砂を洗浄する洗砂室が見えます。いずれも大正12年に建造されたもので、すべて現存しています。前景は水を漉して飲料水にするために作られた濾過池です。



駒沢給水塔見学会 渋谷町水道砧村浄水場全景 2016年10月1日

  誕生直後の給水塔の姿。左が2号塔で大正12年3月完成。右が1号塔で同年11月に完成。その間9月1日に関東大農災が発生しましたが損傷は無く、寧ろ塔の堅牢さの証明となりました。2塔は平成24年の秋に土木学会より『選奨土木遺産』に認定され、永久保存が決定しました。


駒沢給水塔見学会 渋谷町水道配水塔 2016年10月1日

 澁谷町水道は多摩川の水を駒沢で中継し、渋谷まで自然流下で送水するという画期的な方法を採りました。高い水圧を得るために、水面の標高を稼ぐ手段として建造されたのが駒沢給水塔です。画面では、肖防団員が持つ消火栓ホースのノズルから勢いよく噴き上る水の様子を示しています。」

著作権の問題がありますので、数枚だけ展示しておきます。


駒沢給水塔見学会 鉄管据え付け工事 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 給水塔の内部 中央が中島鋭治博士 2016年10月1日
 
 その以後、弦巻区民センターで装飾球(グローブ球)を見に行きます。昔の直径53cmのガラス球で紫色の塗料が塗られているけれど、現在、塔に飾られているのは、ポリカーボネート製で赤色なんだそうです。


駒沢給水塔見学会 弦巻区民センター 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 装飾球の展示 2016年10月1日

 今日は6時から、グローブ球が点灯されます。だいぶ遠方からの写真なので、ぼやけていますが、確かに紫ではなく赤っぽかったです。狸たちも見ているかな。


駒沢給水塔見学会 5時55分ではまだ点燈されていません 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 午後6時、点燈されました 2016年10月1日

駒沢給水塔見学会 通用門から 2016年10月1日