平沼駅 2016年6月11日、2016年4月20日、2001年9月22日
京浜急行平沼駅は、1931年(昭和6年)に建設され、1944年(昭和19年)11月に廃駅になりました。僅か、13年の短い寿命の駅でした。1945年(昭和20年)5月29日に横浜大空襲を受け、駅施設が炎焼し鉄骨しか残らない状態でした。しかし、老朽化により崩れる恐れが出たため、1999年(平成11年)には撤去されてしまいました。
戸部駅から400m、横浜駅から700mで、この距離感では駅は必要なかったかもしれません。昔の、路面電車の駅間の距離感が残っていたではと思います。
のまで架線柱の代用となっていた状態であったことと戦禍を後世に伝えるために現在の線 駅は道路跨ぐ形の高架橋の上(橋上駅)にありました。高架橋は本線が通っているため、未だに駅が残されています。ラッキー。
平沼駅 1958年 京浜急行電鉄蔵
平沼駅 1958年 京浜急行電鉄蔵
平沼駅の屋根架構が撤去された後に、ふと思いついてどうなっているのかを見に行きました。勿論、電車の中からです。跡形もありませんでした。ホームは相対式でした。
平沼駅 何往復もしてシャッターチャンスを狙いましたが・・・ 2001年9月22日
平沼駅 ホーム上のコンクリート被覆は荒れ放題です 2001年9月22日
平沼駅 少し見難いですが、階段が見えます 2001年9月22日
平沼駅 こんな感じでした 2001年9月22日
平沼駅 15年前もあまり変わらないなあ 2001年9月22日
それから、15年後、たまたま相模鉄道平沼橋駅に降りることがあり、平沼駅に行ってみました。今でも遺構が残っていますが、何やら工事中です。
危ない、早く見とかないと無くなっちゃう。
高架橋のハンチ部は、アールが付いており、昭和初期のロマンが匂ってきます。
防護塀の僅かな隙間から覗き見したものと、よそのお宅に勝手に入っちゃって撮ったものです。ごめんね。
平沼駅 せっかくの橋台が隠れてしまっている 2016年4月20日
平沼駅 橋台がアーチで形造られている 2016年4月20日
平沼駅 この張り出しが駅部です 2016年4月20日
平沼駅 こんな風な駅でした 2016年6月11日
平沼駅 少し拡大してみます 2016年6月11日
平沼駅 階段室付近も拡大してみます 2016年6月11日
平沼駅 階段室の丸い柱は当時のものか 2016年4月20日
平沼駅 ホームから軌道に降りる階段です 2016年4月20日
平沼駅 手前側の階段室 2016年4月20日
平沼駅 表側に回ってみます 2016年4月20日
平沼駅 階段が見えますがフェンスが邪魔だなあ 2016年4月20日
平沼駅 駅部の真下から 2016年4月20日
平沼駅 フェンスの隙間から見た駅の階段部分 2016年6月11日
平沼駅 窓かな 2016年4月20日
平沼駅 確かに窓だ 2016年4月20日
平沼駅 階段に残る柱の遺構 2016年6月7日
平沼駅 ホームに残る階段の丸い柱(手摺りの高さ) 2016年6月7日
平沼駅 こちら側も良く見えない 2016年4月20日
平沼駅 先程の階段が見える 2016年6月11日
平沼駅 構内にはまだこんな感じで残っています 2016年6月11日
この駅近辺の鉄橋も橋台も、時代があっていいですね。耐震補強をした高架橋のブレースさえ、レトロに見えます。
平沼駅 鋼板桁にリベット打ち、ラチスの構造、レトロだ 2016年4月20日
平沼駅 耐震補強が昭和浪漫に見える 2016年4月20日
近くのお蕎麦屋さん「角平」で、この店発祥の「つけ盛」を食べました。私はえび天、caccoは野菜天です。なんと、お店の前は行列が出来ており、こんな辺鄙な住宅街でと思っちゃいました。
おそばは、それは美味しかったですよ。
平沼駅 お蕎麦屋さん「角平」、お店の前は行列です 2016年6月11日
平沼駅 お店の左手に座敷があり、店の構えに似ず大人数が入れます 2016年6月11日
平沼駅 これが元祖つけ盛 皆さんは大盛りを頼んでいました 2016年6月11日