あの遺構のその後1  2016年5月1日


 かつて存在した遺構は今どうなっているのか?時たま同じところを廃墟巡りをしていると、そのものがなくなったり、様変わりしているのに気づきます。

 これは変わったのではなく、その変貌に気が付かなかったのです。

 新子安の運河近辺の井戸が沢山あります。
 2000年、2002年にも、この地域には井戸が多く点在していました。昔ながらの手漕ぎの井戸ポンプです。人力で水が汲めることから、災害時の時に役立つと考えた方がいたんでしょうね。3か所ほど探し出すことに成功しました。
 ヘボン博士が生活していた浦島町のお寺さんにも井戸があり、将軍様にもお手前を点てたと記録があります。今回は新たに見つかったものを追加します。


あの遺構のその後1 浄瀧寺の井戸 2001年1月7日

あの遺構のその後1 宗興寺の「神奈川の大井戸」 2001年1月7日

あの遺構のその後1 子安の手漕ぎポンプ 2000年2月9日

あの遺構のその後1 防災用の井戸その1 2016年5月1日

あの遺構のその後1 防災用の井戸その2 2016年5月1日

あの遺構のその後1 防災用の井戸その3 2016年5月1日

 新子安の埋め立て地につながる橋がありました。2007年の時には、煉瓦アーチの橋脚でした。よく見ると、この当時から鉄骨で支えており、何だか無くなっちゃいそうだなと思っていました。
 見事に無くなっちゃいました。がっかり。


あの遺構のその後1 新浦島橋煉瓦アーチ橋脚 2007年3月3日

あの遺構のその後1 新浦島橋煉瓦アーチ橋脚 2007年3月3日

あの遺構のその後1 新浦島橋橋脚 鉄骨仮受桁です 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新浦島橋の床 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新浦島橋を遠くから見ると ああ、壊されている 2016年5月1日

あの遺構のその後1 沈船 2016年5月1日

 同じく新子安の、運河にあった船舶の修理場のインクライン(傾斜鉄路)です。これも無くなちゃうと言う感じでしたが、まだ残存していました。しかし、上屋の小屋はさっぱりと無くなっていますね。


あの遺構のその後1 船の修理ドック 2003年3月3日

あの遺構のその後1 船の修理ドック 2003年3月3日

あの遺構のその後1 船の修理ドック 2003年3月3日

あの遺構のその後1 船の修理ドック 2003年3月3日

あの遺構のその後1 船の修理ドック 2016年5月1日

 江ヶ崎に陸橋がありました。caccoの父がこの近くの看護施設に入院していたので、よく見に行きました。
 2002年、2003年、2004年、2007年の時の姿これらです。
 今は、何と横浜港の新山下にある埋立地に、道路橋として働いていました。ご苦労様です。


あの遺構のその後1 江ヶ崎陸橋 2002年10月13日

あの遺構のその後1 江ヶ崎陸橋 2003年4月27日

あの遺構のその後1 江ヶ崎陸橋 2003年4月27日

あの遺構のその後1 江ヶ崎陸橋 2004年8月7日

あの遺構のその後1 新山下の江ヶ崎陸橋 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新山下の護岸 何だか穴だらけです 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新山下の江ヶ崎陸橋 桁座 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新山下の江ヶ崎陸橋 桁座 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新山下の江ヶ崎陸橋 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新山下の江ヶ崎陸橋 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新山下の江ヶ崎陸橋 2016年5月1日

あの遺構のその後1 新山下の江ヶ崎陸橋 2016年5月1日