花立砲台 2016年4月16日
第11回大津歴史ウオーク「花立砲台(防大校内から走水神社へ)に行ってきました。主催は、大津観光協会歴史ウオークの方々で、当日は100名近い方々が参加しましたので、案内な方も5班に分け、2名案内が付くと言う大所帯です。
コースは以下の通りです。
西友馬堀店前~高尾~陸軍重砲兵学校跡~浄林寺~馬頭観音堂~大津層~防衛大学校校内・花立砲台跡~森のロッジ(WC)~走水展望広場~三軒家砲台跡~走水ボードウォーク~走水南町の山車~走水神社(WC)(12:30頃解、散7Km)
花立砲台 見学地図 2016年4月16日
7㎞か、以前に走水低砲台に見学に行った時も、横須賀美術館に車を止めて徒歩でその位歩いた経験から、お茶の子さいさいと思っておりました。これが大間違い、団体行動で工程が決められていると、途中の休みが自由に取れない、歩く速度も決められるために結構疲れがどっと出ました。
見学者の方は、私たちと追っつ勝っつの年齢の方ばかりで、若い人が散見される程度でした。
とりあえず、私達は5班で案内には、大津観光協会歴史ウオークの物部さんと関口さんが附いてくれます。
さあ、西友ストア前から出発です。
花立砲台 馬堀海岸駅 2016年4月16日
花立砲台 西友ストアーに集まる大津観光協会のガイドの方 2016年4月16日
花立砲台 100人近くの人が集まった 2016年4月16日
花立砲台 防衛大学の建物が山の上に見える 2016年4月16日
高尾(説明文は当日の配布資料から:以下同様)
1954年地番整理まで高尾と呼ばれていた。2004年古墳時代の末期から奈良時代(7~8世紀)頃の横穴墳墓8基が発見された。江戸吉原の廓で名を上げた三浦屋の花魁、八代目高尾太夫は馬堀高尾の出身という。
高速道路の工事で崖の斜面を削っていたら、この遺構が現れたようです。地下の横穴の中に墳墓がある珍しいもので、横穴は幾つかに分岐をして存在したようです。
花立砲台 高尾の記念碑 2016年4月16日
花立砲台 地下墳墓の掘削状況 2016年4月16日
花立砲台 碑がある位置 2016年4月16日
陸軍重砲兵学校跡 「重砲兵発祥の地」碑
馬堀小学校・馬堀中学校・馬堀自然教育園には終戦まで旧陸軍の重砲兵学校が置かれていた(明治30年(1897)設置)。馬堀自然教育園には弾薬庫もあった。終戦後一時期、浦賀が引揚港となり旧兵舎は陸軍の馬堀援護所として復員手続きを行った。
馬堀自然教育園には、地下壕や弾薬庫が手付かずで残っていますよと、物部さんは教えてくれます。今度はここにぜひ来なくちゃ。
結構、100人の人間が移動すとなると、待ち時間が多くなり、この時点でcaccoはもう日蔭で腰掛けていました。
来る途中に、caccoが予てから行きたかった喫茶店「リバーストーン」を見つけて喜んでいました。
花立砲台 喫茶店リバーストーン 2016年4月16日
花立砲台 重砲兵学校碑 2016年4月16日
花立砲台 何か地下につながる入口では 2016年4月16日
花立砲台 学校の跡地の碑があるところ 2016年4月16日
花立砲台 重砲兵発祥地の碑 2016年4月16日
花立砲台 昭和天皇 行幸の碑 2016年4月16日
花立砲台 当時の写真 2016年4月16日
浄林寺
七重山宝樹院・浄土宗 本尊:阿弥陀如来三尊創建:永正2年(1505)三浦薬師第5番札所・三浦地蔵尊第29番札所。三浦観音第20番札所であり馬譲観音菩薩が本堂に祀られている。境内にムクロジの名木(果肉を石鹸の代用とし種子は羽根つきの玉に使われた)。坂上の馬頭観音堂には馬堀の地名の由来となった名馬「池月」の像や「蹄の井jがある。
落語に無学の八さんと知ったかぶりの隠居が、どこからか聞き込んできた茶の湯を点てて見たいと、四苦八苦する噺があります。(道楽をしたことが無い大店の隠居と小僧の貞吉の場合もあります)茶が泡立つのは知っていますが、抹茶を用いるのを知らないため、泡立つものとして、ムクロンジュ(江戸っ子はそう発音をした)の実を擂り潰して飲みお腹を毀します。その無患子の木ですね。
同行のご婦人はどれがその木だろうかと探していました。多分これですよ。
花立砲台 浄林寺 2016年4月16日
花立砲台 浄林寺 本堂 2016年4月16日
花立砲台 浄林寺 無患子の木 2016年4月16日
花立砲台 浄林寺碑文 2016年4月16日
馬頭観音堂
「蹄の井」跡、名馬「池月」の像。平安末期、上総国から浦賀水道を泳いで渡った暴れ馬が蹄で土手を掘ったところ清水が湧き出した。そこを「蹄の井」と呼び馬堀の地名の由来となった。喉を潤した荒馬は見事な優駿となり「美女鹿毛」と呼ばれ、衣笠城主三浦義澄から将軍源頼朝に献上され「池月(生唼)」と命名された。宇治川の合戦では「池月」の佐々木高綱と「磨墨(するすみ)」の梶原景季との先陣争いが有名。
その土手から湧き出る清水が、観音堂に階の中段にありました。caccoが興味津々で見ていると、物部さんが柄杓で水を汲み、その冷たさを皆さんに実感してもらっていました。お堂を遠方から撮りたかったのですが、どうしても信心深い方が最後まで拝んでいらっしゃたので、仕方なくその方も入れて撮っておきました。
花立砲台 馬頭観音堂の碑 2016年4月16日
花立砲台 湯殿山供養塔 2016年4月16日
花立砲台 蹄の井跡 2016年4月16日
花立砲台 崖の清水 2016年4月16日
花立砲台 馬頭観音堂 2016年4月16日
花立砲台 清水の冷たさを感じる 2016年4月16日
花立砲台 馬の像 2016年4月16日
大津層
大津層は逗子層の上に乗り貝化石を含んだ砂泥の層。逗子層は傾いているが大津層は水平に近く不整合である。このような地層は海底でつくられるもので、何回かの地殻変動により海底が隆起したことを示す。
これがそうですと、指示されたのですが興味が無いのとあまりよく見えなかったので写真はありません。それよりも、標高85mの坂を延々登って来て息が上がってそれどころでは無かったです。
花立砲台 85mの標高の坂 2016年4月16日
花立砲台跡 防衛大学校校内
昭和期に完成した戦争遺構。正式は陸軍重砲兵学校花立台演習砲台。要塞砲実射教育用の演習砲台施設。昭和10年6月14日45式15cmカノン砲が4門設置。明治期につくられた花立保塁砲台(※)の東側部分に建設され、現在は防衛大学校の演習場。観測所は旧保塁砲台の掩蔽部上に建てられた。※正式には花立台保塁砲台。わが国最初の洋式保塁砲台。明治27年12月竣工。28cm榴弾砲8門・12cm速射カノン砲4門
これが見たくて参加しました。しかし、考えていたところと違います。ここだと思っていたのは、防衛大学校の走水海上訓練場の岬にある砲台跡です。何かありますよね。後で走水ボードウォークに行くので、そのついでにこの砲台跡も行くのかと聞いてみましたが、そうではなさそうです。この砲台跡の情報は大津観光協会歴史ウオークの面々も掴んでいないようです。
花立砲台 花立砲台全体の航空写真 googleより 2016年4月16日
花立砲台 観測所と練習砲台 googleより 2016年4月16日
花立砲台 防衛大学の岬にある謎の砲台 googleより 2016年4月16日
さて、花立砲台跡は防大の匍匐の訓練場として用いているため、防大としては今後の見学会にも難色を示しているそうです。でも、地域の子供連れのお父さんは堂々と自衛官の目の前を十て、敷地内に入っていきました。
防大の学生さんたちがラグビー、野球をしているグラウンドの脇を通って、砲台跡の方に向かいます。
途中に古ぼけた消火栓が建っていました。いいもの見っけ。
観測所がちらちら見えていますが、皆さん相模湾なんかを眺めています。早く砲台に行きましょうよ。
花立砲台 防衛大学入口、中央の女性は自衛隊の案内者 2016年4月16日
花立砲台 防衛大学校入口 2016年4月16日
花立砲台 山の中を辿って行く 2016年4月16日
花立砲台 野球場に出ます 2016年4月16日
花立砲台 そこには年季の入った消火栓が 2016年4月16日
これが観測所です。威風堂々。
観測所の麓に、地下壕の様なものがあります。これが、旧保塁砲台の掩蔽部のものなのでしょう。掩蔽部は無筋のコンクリートに、規則正しく煉瓦が埋め込まれています。はてな、明治の時代なら、煉瓦アーチで構築されたはずですが、後からコンクリートで固めた時に出土された煉瓦を勿体ないので使ったのかな。
花立砲台 観測所 2016年4月16日
花立砲台 観測所 知られざる軍都東京より
花立砲台 女性自衛官と防大広報の方 2016年4月16日
花立砲台 観測所 2016年4月16日
花立砲台 旧堡塁砲台の掩蔽部 2016年4月16日 この後この婦人は立ち入るなと怒られた
花立砲台 掩蔽部の中に埋まっている煉瓦 2016年4月16日
花立砲台 観測所 2016年4月16日
花立砲台 観測所 知られざる軍都東京より
花立砲台 観測所 内部 知られざる軍都東京より
花立砲台 観測所のコンクリートの剥落箇所 鉄筋腐食による 2016年4月16日
花立砲台 うさお 2016年4月16日
花立砲台 観測所から砲台跡を見る 2016年4月16日
これが練習用砲台、一基しかありません。見学者がなかなか退かないので、ずっと待っていました。物部さんがカノン砲とはこんなものだと見せてくれた写真ですが、ちらっとしか見せてくれず、持っている手を振ってしゃべられるので写真が撮りにくかったです。
花立砲台 練習用砲台 2016年4月16日
花立砲台 練習用砲台 2016年4月16日
花立砲台 練習用砲台 2016年4月16日
花立砲台 練習用砲台 2016年4月16日
花立砲台 皆さん、さっさと帰っていく 待ってください 2016年4月16日
カノン砲とはこのような砲です。遊就館で撮影したものですが、手前が榴弾砲、後ろの砲身の長いものがカノン砲です。
花立砲台 カノン砲(奥)と榴弾砲(手前) 遊就館 砲身の長さの差かな 2015年11月1日
途中見学者の方が、草むらに集まっています。見ると、珍しい種類の野草なのだそうで、こちらの一般種と比べると確かにまっ黄色です。(草名は判りません)
花立砲台 面白い植物が見つかった場所 2016年4月16日
花立砲台 これが謎の植物 まっ黄色 2016年4月16日
花立砲台 普通の種類か?蓮華草? 2016年4月16日
三軒家砲台跡
明治27年起工、明治29年竣工、昭和8~9年除籍(廃止)。6門の砲座(27cm口径のカノン砲が4門、12cm口径の速射カノン砲が2門)が設置され、第三海堡と第二海堡間の海面を射撃し敵艦の航通を途絶、かつ走水及び第三海堡の水雷を掩護することを任務としていた。現在も地下庫など原形に近い形で残され、見張所、井戸、便所等もあった。観音崎の砲台群では最も保存状態の良い砲台。
三軒家に向かう途中で、物部さんに三軒家の便所の上に、遺構があるのですよねと問いかけると、そこに行きますよとの話。やった~。あれっ、ここだっけ?確かに便所の脇を通って土手を上ると、そこに観測所の跡がありました。
花立砲台 便所の脇の階段を上る 2016年4月16日
花立砲台 結構急な階段 2016年4月16日
花立砲台 登りきると観測所が見える 2016年4月16日
花立砲台 三軒家の看板 2016年4月16日
花立砲台 旧門扉跡と地下貯蔵庫の鉄扉(2箇所ある) 2016年4月16日
ここは以前、走水低砲台を見に行った時に、GURIKO隊長に連れて行って貰った所です。見学者の人が、ここの煉瓦はイギリス積でと説明をしていました。ガイドさんたちの方が、よく御存じでとたじたじでした。
花立砲台 三軒家砲台跡 2016年4月16日
ここと先ほどの観測所が繋がっているのだそうです。
花立砲台 この切通しが先程の観測所に繋がっている 2016年4月16日
便所のあったところの坂の上に貯蔵庫があります。その貯蔵庫の上に観測所があるので見に行きたいと言うと、ガイドさんたちから通行停めになって居るから駄目だと言われました。う~む。
花立砲台 ここを上ると観測所があるはず 2016年4月16日
花立砲台 三軒家砲台跡の概要図 2016年4月16日
走水ボードウォーク
、
観音崎京急ホテルを一周するように造られた長さ約600m程の木製遊歩道。浦賀水道を行き交う世界各国の船を眺められる。使用木材はブラジル原産の広葉樹イペ。繊維の密度が高く、重硬で水に沈み、耐久・耐水・耐火性に優れ虫食いにも強い。
岬の砲台跡に行けないと判って、足取りがずんと重くなりました。
ガイドの物部さんから、ここが国道16号と県道の境ですよと示されても、そうなのって感じ、砲台跡を見に行けなかったからね。
花立砲台 横須賀美術館の前の道路から降りる 2016年4月16日
花立砲台 ホードウォーク 2016年4月16日
花立砲台 ここから道路の管轄が変わるんだよ 2016年4月16日
走水南町の山車 横須賀市指定市民文化遺産
天保年間の作。山鉾形式、総欅づくり。高さ4.6m、幅3.7m。彫刻には武州金沢の後藤忠造の刻銘。山車は7月中旬土・日の本祭り(隔年)のとき牽かれるほか、4月~10月の第2日曜日に公開。後藤忠造(蔵)橘重武は、名工後藤利兵衛橘義光の弟子で、武州金沢須崎(現横浜市金沢区洲崎)の住人。本名永井忠蔵で藤沢市高谷生まれ。
おお、山車が表に出ている。確かに総欅造りです。防大生が隊列をなして海上訓練場に向かっていきます。おお、女性防大生もいるぞ。化粧っけは無いけど、溌剌としてしていたぞ。これからカッター(短艇)の訓練をしに行くんですね。
日本武尊が載っている写真が残っています。
花立砲台 特別に山車を引き出しています 2016年4月16日
花立砲台 日本武尊が載っている山車の写真 2016年4月16日
花立砲台 口の中の毬がくるくる回る 細工が細かい 2016年4月16日
花立砲台 山車の由来 2016年4月16日
花立砲台 通り掛かった防大生たち 2016年4月16日
走水神社
祭神:日本武尊 弟橘媛命。景行天皇の御代(110年頃)東征中の日本武尊は、古東海道をたどり走水から上総へ渡ろうとしたが暴風雨に阻まれ立ち往生、同行の弟橘媛が自ら入水して海神の怒りを鎮め、航海の安全を図った伝説から創建された古社。境内には①弟橘媛の歌碑(明治42年(1909)10月)②舵の碑③包丁塚④針の碑⑤機械水雷等がある。
ここまで来たら、日ごろの鍛錬が足りないから足は棒のようで、ガイドさんに今日はここで勘弁してねと頼み込みました。前にも行ったし。
花立砲台 走水神社 疲労困憊 1万5千歩も歩いた 2016年4月16日
早速、「味見食堂」に入ります。caccoはアナゴ丼でうさおはアジフライ定食です。うまうま。お店のお客さんから、どこからですかと尋ねられましたが、caccoは横浜から花立砲台を見に来たんですよと土地の人に話すように詳しく説明していました。でも、そのお客さんは、今回の見学者のメンバーの中にいた方だったと思います、その方は鼻白んだように黙られてしまいました。
花立砲台 食事処 2016年4月16日
花立砲台 アナゴ丼 大盛だ 2016年4月16日
花立砲台 アジフライ定食 2016年4月16日
花立砲台 背後に横須賀美術館で行われるマルコの宣伝が・・・ 2016年4月16日