鶴ヶ峰界隈  (2015年12月09日)

 鶴ヶ峰は、叔母の見舞いによく通り過ぎていた処、前から道路の脇に碑が建っているのが気になっており、お参りしてみたいと思っていました。
 早速、旭区役所の前に行ってみます。「鶴ヶ峰駅入口」の交差点で周囲を見渡します。 あさひくの碑も立派なものがありますので、由来はと思っちゃいますが、保土ヶ谷区が分かれて旭区が出来たので、そんなに古くは無いでしょう。


鶴ヶ峰界隈 あさひの碑 (2015年12月09日)

 通りがかりによく見ていた「畠山重忠公の碑」が建っています。
 鎌倉幕府の功臣重忠は、出来過ぎるがゆえに周囲に多くの敵を作りました。うさおのようですね。将軍実朝に稲毛重成が重忠謀反を訴え、将軍は重忠討伐を命じました。これも妬心からだと言われています。
 倅重保は鎌倉で謀殺され、重忠には鎌倉に至急参上せよとの、偽の命令書を受け百数十騎で武蔵国二俣川に差し掛かると、数万騎の兵が待ち伏せており大軍を相手に奮戦するも、形勢理が無く、愛甲季隆の矢で討ち死にしました。
 
 碑には吾妻鏡畠山重忠公終焉の地とあり、板書きには「鎌倉時代の武将・畠山重忠公は、元久2年6月にこの地で戦死しました。この碑は、重忠公没後750年を迎えた昭和30年に、地元・鶴ヶ峰と埼玉県川本村(現・深谷市)の有志により建立されたものです。」とあります。


鶴ヶ峰界隈 吾妻鏡畠山重忠公終焉の地 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 吾妻鏡畠山重忠公終焉の地 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 吾妻鏡畠山重忠公終焉の地 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 畠山重忠公の碑 (2015年12月09日)

 「さかさ矢竹」とは、横浜市地域史跡「畠山重忠古戦場跡」の脇に一把の笹群が有り、その由来は「鎌倉武士の鏡畠山重忠公は、この地で僅かの軍勢で、北条勢の大群と戦って敗れた。公は戦死の直前に「わが心正しかればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」と、矢箆二筋を地に突きさした。やがてこの矢が自然に根付き年々二本ずつ生えて茂り続けて「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったと伝えられる。(後略)」だそうで、昭和四〇年までは土手一面に繁茂していたらしいが、その後絶滅しました.今は、ここに移植されたものしか残っていないらしい。


鶴ヶ峰界隈 さかさ矢竹 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 さかさ矢竹 (2015年12月09日)

 続いて、旭区役所の裏に回って、首塚を見に行くことにしました。しかし、行く手には和食専門店「ほまれ」が立ちはだかっていた。お昼だし食べていくことにしました。
「特製ばらちらし」をいただきました。


鶴ヶ峰界隈 和食専門店「ほまれ」 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 和食専門店「ほまれ」 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 和食専門店「ほまれ」 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 和食専門店「ほまれ」の名刺 (2015年12月09日)

 お店の真ん前が、首塚です。板書きには、「畠山重忠公は鎌倉時代の武将で源頼朝の忠臣として幕府の創設にも力を尽くし、智・仁・勇を兼ね備えた武将として名声をはせていました。しかし幕府の実権を巡る争いに巻き込まれ、旭区の二俣川付近で戦死しました。ここは、重忠公の首が祭られたところといわれています。現在は西向きに建っていますが、以前は南を向いていたそうです。」と書かれており、小さなお社のような佇まいです。


鶴ヶ峰界隈 首塚 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 首塚 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 首塚 (2015年12月09日)

 首塚の斜め前に、「鎧の渡し」と「首洗い井戸」の碑があります。「首洗い井戸」とは、板書きには「(前略)ここには地毛忠公の首を洗い清めたと言われる井戸がありました。以前は帷子川の河原に直径一メートルほどの穴があり、水がわいていたと言いますが、川の流れが変わって失われてしまいました。」とありました。水がわいていたんだ、何だか水源が無くなって残念な気がします。二俣川・鶴ヶ峰の古戦場の板書きに、鎧の渡しとは鎌倉街道が帷子川を渡る場所だったようで、以前は川幅も広く、武士がここを渡るときに頭の上に鎧を載せて渡ったと伝えられています。


鶴ヶ峰界隈 「鎧の渡し」と「首洗い井戸」 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 「首洗い井戸」 (2015年12月09日)

 かつての帷子川の所を辿ってみます。今は暗渠になって居て、地上は遊歩道です。鎧の渡し緑道です。


鶴ヶ峰界隈 鎧の渡し緑道 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧の渡し緑道 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧の渡し緑道 (2015年12月09日)

 鎧橋まで来ました。板書きには次のようなことが書かれていました。「鶴ヶ峰公園のこの辺りは、古くは帷子川として流水を湛えたところですが、河川改修により埋め立てられ誕生しました。鎧橋は、明治時代に横浜水道敷設のために造られた水道道と帷子川が交差していたこの場所に架けられました。当初、木で造られていた橋は、時代とともに架け替えられながら長く親しまれてきましたが、平成15年の道路改修工事により外されました。鎧橋と言う名の由来は定かではありませんが、一説には、やや上流の旭区役所付近に「鎧の渡し」と呼ばれた渡し場があったことから名づけられたと言います。」


鶴ヶ峰界隈 鎧橋 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧橋 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧橋 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧橋 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧の渡し緑道 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧の渡し緑道 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鎧の渡し緑道沿いの竹林に囲まれた家 (2015年12月09日)

 この水道道はトロッコ道とも呼ばれています。丸看板には「この水道道は、津久井郡三井村(現・相模原市津久井町)から横浜村の野毛浄水場まで約44qを、1887年にわが国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資器材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。」と説明されています。このトロ小道の看板は、敷設した水道沿いに26か所あり、ここは19番目の川島地区です。


鶴ヶ峰界隈 トロッコ道 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 トロッコ道はここを通っていました (2015年12月09日)

 この鎧の渡し緑道をさらに東に辿っていくと、帷子川を渡る鶴峰橋があり、その先に鶴ヶ峰稲荷大神がありました。

 
鶴ヶ峰界隈 鶴峰橋 (2015年12月09日)

鶴ヶ峰界隈 鶴ヶ峰稲荷大神 (2015年12月09日)