補足すべき事項 (用水、池、川)



 師匠に直してもらった俳句はgood(ぐっと)良くなっちゃうので、朝日俳壇にでも出して見ようかなって欲が出てきちゃうよ。何だか入選しちゃいそうな気が沸々としてきちゃうね。
 でも、入選しちゃった場合、著作権はどうなるのかな。元句は私であるが、師匠の手が入っている。これで、またぐっ~うと良くなっちゃっているから、原稿料はどうしたらいいんだろう・・・。師匠に内緒で独り占め?
 だから私が一躍、俳壇の寵児になっちゃてですよ・・・・。いや、師匠にもばれちゃうだろうし、困っちゃったなって、ふと思った。


補足すべき事項 僕も食べたいです 2004年11月07日

 でも、健ちゃんは毎回、褒められているなあ。
 花鳥風月、最近アイドルさんたちのCDで、よく使われているフレーズだね。情景を表す四字熟語かな・・・。それとも四言律詩の1節かもしれんなあって、句を捻ってる時に考えていた。
 日出彦さんの好きな・・・漢詩だよな。
 ふ~ん。それにひきかえ、日本古来の自然の様(花鳥風月)を表す言葉には、二文字のものが多いなあ。そら、やま、うみ、かわ、もり、たに。はる、なつ、あき、ふゆ、とり、いぬ。
 この二音の音感は日本人に合うのかも。これは言葉の由来に強そうな矢澤さん(実はメンバーの中に矢澤姓の方が二名いらっしゃるのですが、どちらも言葉の達人で同じ様な性格を有しておられるような気がします。この場合は両名を指しちゃいます。一挙に斬りって感じですね。)に、お伺いするのが良いかも。
 面白い知見や、薀蓄を披露してくれるかも知れない。


補足すべき事項 むま!

 二文字というのは、短縮文字なのか、日本人はもともと二文字文化なのか?もし、これが文化なら、「はく じん うそ つく。おれ うそ ない。」ってな、会話が主流だったのかも。
 「せみ」とか、「うま」とかは、この言葉以外の訓読みを知らない。でも、朝鮮半島から伝わった言葉だと、高校の現国の時間に教わったような気がする。気がするだけだけど。真偽のほどは判りません。
 「うま」は昔は「むま」と表記したらしいし、「うめ」も「むめ」と発音するらしい。確かに馬は朝鮮半島から伝わった者であろう。それ以前の日本には、馬はいなかったのかなあ、蝉はいたね。そこいらにいる虫だし、ずっと太古の昔からいたと思う・・・。ゴキブリもそうだね。ゴキブリは太古からまったく進化していないのだそうです。

 明治の大道芸人というか、寄席芸人で、添田唖蝉坊奈丸(あぜんぼうなまる)と言う人がいました。演歌師である。1970 年代に高田渡がこの人の曲を好んで歌っていたので、覚えていますが、奈丸はだいぶ過激な思想的闘士でもあったらしい。
 高田渡唄う処の「米は南京、おかずは黄粉、牛や馬でもあるまいし、一所懸命こき使われて、これも時節と諦めた・・・諦めなされよ、諦めなされ、役人何ぞは威張るもの、長いものには巻かれてしまえ・・・」とうろ覚えの「諦め節」の歌詞を口ずさみながら、図書館で「諦め節」を調べたら、唖蝉坊の歌詞とは似て否なるものだった。注1)


補足すべき事項 添田唖蝉坊奈丸

補足すべき事項 高田渡

 ちょいと話は逸れてしまいましたが、「せみ」と「うま」が入っているという三題噺ならぬ二題噺でした。
 で、先ほどの二文字言葉ですが、日本人はこの語感と簡潔さが好きなのかもしれません。昔のサラリーマンは、会社から帰ってくると、「ふろ、めし、ねる!」としか言わなかったそうな。(うさおは違います。「風呂と飯と寝床!」ってしっかり言います)
 最近、昼の景色をじっくり見るのは、ライ隊員と散歩に行くか、トマソン隊をする時しか見ていません。(夜勤が多いってことです)
 この僅かな昼間のお出かけの句は、師匠にまた、お送りしておきます。また、凄い添削をしてもらえたら、ちょいと本格的に朝日俳壇を考えよっと。

 さて今回は、今までのトマソン隊の中で、少し気に掛かったことを復習して見たいと思います。じゃあ、さっきの「二文字言葉」の話は、何だったのかって?いやだなあ、枕ですよ。軽い前振りです。ほら、Tomy Tr.さんがステージで、矢澤さんのねたを振って、こけたってやつです。注2)

 この辺の定期報告を手に入れたい方は、直接Tomy Tr.さんに頼んで下さいね。



 以前水道編で、二ヶ領用水の話と鶴見にある溜め池の話をしました。これの補稿を少ししておきます。うさおは今、矢野口・南多摩間の南武線の高架化の設計に携わっています。現地踏査でこの地に行った時のこと、大丸(おおまる)と呼ばれる用水が通っていることを知りました。その時に用水の脇の看板に「二ヶ領用水と並んで江戸時代の用水」であると書かれていました。

 大丸用水


補足すべき事項 大丸用水 ここで分水されている 2004年11月24日

補足すべき事項 大丸用水 家の下を用水が通っている 2004年11月24日

補足すべき事項 大丸用水 工事現場の用水 2004年11月24日

 おっ!吃驚です。趣味と仕事とが、かち合っちゃいました。大丸用水は稲城市の全域に亘ってあり、多摩川の右岸に取水口があります。以前は八ヶ村用水と言い、江戸時代の初めに作られたと聞きます。多摩川の水を、是政橋の方から延々引いていたので
すね。この用水は竹蛇篭などによる仮堰に依っていたそうで、今でもあったら風情があるんだがなあ。稲城から大丸用水は三沢川と二ヶ領用水に別れます。この用水が農業用水にもなり、横浜市の水道にも用いられました。


二ヶ領用水


補足すべき事項 二ヶ領用水碑文 2004年11月21日

補足すべき事項 二ヶ領用水碑 2004年11月23日

補足すべき事項 二ヶ領用水碑 2004年11月23日

 二ヶ領用水の水が引かれた先は、江戸時代に海岸近くまで来ていたそうです。ここ、鶴見の矢向にも水路跡があります。海が見える所まで水田が作られていたんですね。だから鶴見の辺りで、田んぼに鷺が飛んで来た時に、わあ~鶴だ、鶴だってさわいだんでしょうね。


弁天池

 鶴見には、大池と呼ばれる溜め池が随所にありました。三つ池や二つ池もそうですし、この弁天池もそうです。成願寺池は埋め立てられて、今では見ることも出来ません。
 この弁天池は、昔は大池という名前で親しまれていたようで、このような写真も残されています。周りは埋め立てられて住宅街になってしまいました。小洒落た家が多く、立派な家々ですが、敷地は可能な限り分割され、昔より大分、家の規模は小さくなったようです。


補足すべき事項 昔の弁天池(「わが町の昔と今」より)
補足すべき事項 弁天池  2004年11月07日

補足すべき事項 弁天池  2004年11月07日

補足すべき事項 弁天池  2004年11月07日

補足すべき事項 弁天池  2004年11月07日

補足すべき事項 弁天池  2004年11月07日

 高校の友達のK君はここに住んでいて、学校の帰りに立ち寄ったら池の中に弁天様が祭ってある所で、少し薄気味悪さを感じました。それにもっと鬱蒼たる林が、池を囲んでいたような記憶がありますが、今は少しあっけらかんとしています。
 K君は将棋の駒を逆さにしたような顔で、見様によっては誠道会館の角田師範に似ていました。ともに美術部に所属していました。が、あまり洒落が判るタイプでもなく、ラーメンズのようなお笑いコンビを組もうとは思いませんでした。(もちろん私が、小林賢太郎役です!)


成願寺池

 成願寺さんの裏手に広がる大きな池があったそうで、ここは農業用の潅漑池で、豊岡が農地から商店街になるに従い消えていったものです。古い地図には、池の一部が総持寺の山門近くに残っており、うさおも若かりし時に、お正月のお参りに見かけた記憶があります。この山門前は正月やお盆は夜店が立ち並びます。今年の正月は雪だったせいで、客の出足が悪くさっぱりでしたが。
長い間、鶴見大学の学生寮だと思っていた建物は、帝国ホテルの従業員寮でした。この寮が元は沼みたいな池でした。この成願寺さんの中には、なにやら古を残すような橋の名前の碑が残っていました。これがそうだったのかしらん。仏教的な名前の由来が判りません。由佳ちゃんの出番かも。


補足すべき事項 成願寺池 2004年11月07日

補足すべき事項 成願寺池 2004年11月07日

補足すべき事項 成願寺池 浄心橋 2004年11月07日

補足すべき事項 成願寺池跡か? 2004年11月07日


総持寺

 そう言えば今の地図に残っている池は、それとは無縁のもので総持寺の山地にあり、三松閣の伽藍にある池です。この右手の潜り門の向こう側にあり、Cacco 隊員がずかずかと探訪しましたが、見つけられませんでした。えい、ライ隊員は入れないのか。鼻が良いのに。


補足すべき事項 総持寺三松閣 2004年11月07日

補足すべき事項  総持寺佛殿 2004年11月07日

補足すべき事項  総持寺金鶏門 2004年11月07日

補足すべき事項  総持寺紫雲臺 2004年11月07日

補足すべき事項  総持寺太祖堂 2004年11月07日

 少し前の地図では、その位置を示しているものもあります。どうも総持寺の山門前から「トポス」にかけて、池があったようです。私も昔の記憶では沼のようであり、蓮が咲き三渓園(横浜の本牧にある日本庭園)の池のようでした。総持寺の首切り鐘衝き堂や裕次郎の墓、開かずの踏切などは後日のトマソン隊にて、ご報告をいたします。


補足すべき事項  総持寺 2004年11月07日

補足すべき事項  総持寺 右手の紫雲臺の方向に池があります 2004年11月07日


三つ池

 三つ池は本当に三つの池からなっており、県の指定公園でもあります。馴れないと中で迷子になり、中々会えないこともしばしば。(今は携帯電話があるので便利です)一つ目の池は入ってすぐの野球場の隣にあります。ここには池に突き出た売店が有り、景色を堪能出来ます。
 二つ目の池は多分一番大きな池で、鴨達が良く遊びに来ています。周りには遊戯広場が幾つか点在しており、最も大きな池です。
 三つ目の池は公園のメインゲートにあります。たどり着いた時には、もうあたりは暗くなっていて、あまり良い写真が撮れませんでした。子供たちの好きな大山滑りが近くにあり、人気の有る池です。もちろんここは釣りなど禁止で、管理人がすっ飛んで来ます。


補足すべき事項 三つ池 案内看板 2004年11月20日

補足すべき事項 三つ池  2004年11月20日

補足すべき事項 三つ池 2004年11月20日

補足すべき事項 三つ池 2004年11月20日

補足すべき事項 三つ池 2004年11月20日

補足すべき事項 三つ池 2004年11月20日

 前にも言いましたが、グリコ隊長、健ちゃん、うさおが通った高校が南側の丘の上に建っています。体育の時間のマラソンのコースは、この三つ池公園の尾根伝いのアップダウンの厳しい道で、毎回吐きそうでした。午前の授業だともう胸が一杯で、弁当が喉に通りませんでした。食べましたけど。
 春は桜が奇麗で花見客が集います。私達もよく行ったものです。ライ隊員もまだ子供でした。池の敷地から見ると昔はもっと大きな池では無かったかと思われます。公園の整備やグラウンドの建設などで埋め立てられて行ったのかも知れません。


補足すべき事項 三つ池 テレビ神奈川のアンテナ塔 2004年11月20日

 健ちゃんの家はこの近くで、健ちゃんの記述にありましたように、ここにはTVK(テレビ神奈川)の放送アンテナ塔があります。いつも不思議だったのは、この池は結構高台にあり、鶴見の町とは15m位の高低差があるのに、なぜ池の水が流れ出て枯れないのだろうと思っていました。地下水流や覆水が有り、峠に湧き水が出ることは知っていますが、なかなか頭では理解しにくです。 ここに三ツ池の里という茶屋があり、伜が小さい時によく来た記憶があります。


補足すべき事項 三つ池 今は無き三池の里 2004年11月20日


二つ池

 二つ池は池というより沼って感じです。葦穂や蒲の穂綿で池の表面が覆われていて、この池に何やら大鯰のような主がいて、子供たちをぱっくりってな事が起きても、おかしくありません。暇人や子供たちの格好な釣り場になっていますが、もちろん禁止です。やはり伜が幼い時にエビカニを釣りによく行きました。
 近所の子供たちも連れて行ったのですが、落ちると危ないと注意した矢先に、池に嵌まった子がいて往生しました。(イケちゃ
んって言いましたけど!)本当は、バス釣りに恰好な場所です。
 今も満々と水を湛えていますが、この池も他の池同様、溜め池として人工的に作られたと言われています。ここも谷の底の地形で、池にはヘラブナがいるとも、鯉がいるとも言われていますが釣り上げているのをあまり見たことがありません。


補足すべき事項 二つ池 2004年11月20日

補足すべき事項 二つ池 2004年11月20日


補足すべき事項 二つ池 2004年11月20日

補足すべき事項 二つ池 2004年11月20日

補足すべき事項 二つ池 2004年11月20日


生麦の漁師町


 「入江川」の章や「鶴見線」の章で少し述べましたが、「国道駅」の裏側に、今も昔ながらの風情を残す生麦の町があります。健ちゃんのお父さんの稼業もこの地だったと聞くし、お正月に健ちゃんが持って来てくれる海老や蟹は、生麦市場で仕入れてくれるものです。
 そう言えば、釣り船から見た生麦の浜は貝殻があふれていたなあと言うことで、懐かしく思い行って見ることにしました。


補足すべき事項 生麦の川岸  ここは川です 海ではありません 2004年10月24日
 
 あれ、生麦の鶴見川の川岸は貝殻で白一色だったはずなのに、クレーンが林立しているぞ。ライ隊員と急いで行って見ると川岸の護岸工事が始まっており、平成17年2月には完全に無くなってしまうとのこと。
 残念、こんなに情緒がある所なのに、鴨だって遊んでいるのに、またひとつ江戸時代の文化が消えて行きます。


補足すべき事項 生麦の川岸 2004年10月24日

補足すべき事項 生麦の川岸 2004年10月24日


補足すべき事項 生麦の川岸 2004年10月24日

補足すべき事項 生麦の川岸 天井桟敷か状況劇場の様だ 2004年10月24日


レアルト劇場・ロマンス座

 以前にトマソン隊で「劇場」を紹介した時、鶴見のレアルト劇場の話を書きました。私が鶴見に住んでいた時には、既に無く、ストリップ劇場だったことを書きました。一度劇場の姿を見てみたかったな。
 しかし、こんな写真を見つけました。しかも、ロマンス座の劇場のおまけつきです。二軒並んで建っていたようです。昔は流行の先端、文化の発祥地だったようですが、今はこんなスーパーマーケット「くりしま」になっています。TICA さんは、ここでお買いもの!有名人に多く会えるんだそうです!


補足すべき事項 レアールつくの通り 2004年11月07日

補足すべき事項 レアールつくの通り 2004年11月07日


補足すべき事項  スーパー「クリシマ」ドクター・マシリトみたいだ! 2004年11月07日

補足すべき事項 今は亡きぼてふり地蔵尊 2004年11月07日

補足すべき事項 レアルト劇場(いずれも「わが町の昔と今」より)

補足すべき事項 ロマンス座(いずれも「わが町の昔と今」より)


花月園


補足すべき事項 嘗ての花月園 「わが町の昔と今」より

補足すべき事項 嘗ての花月園 少女歌劇団  「わが町の昔と今」より

補足すべき事項 嘗ての花月園  少年騎馬隊 「わが町の昔と今」より

補足すべき事項 嘗ての花月園 お滑り台 「わが町の昔と今」より

補足すべき事項 花月園商店街 2001年04月28日


補足すべき事項 花月園商店街 2001年04月28日

 花月園の名前は、小さい頃からよく知っていましたが、実は今まで一度も足を踏み入れたことがありませんでした。競輪場に子供が行ってはいけないと教えられていたこともありますが、高校時代にも行ったことはありません。何かやくざな香りがしていました。
 吃驚です。あまり奇麗に整備されていて、賭博の後ろめたい陰湿さはかけらもありませんでした。確かに伜は、良く自転車で遊びに行っていました。この日は休みの日でもあり、フリーマーケットをやっていました。そしてサーキットで、黙々と走る孤独なランナー。哀愁だなあ。


補足すべき事項  花月園 2004年11月07日

補足すべき事項 花月園 2004年11月07日 

補足すべき事項 花月園 2004年11月07日  

補足すべき事項 花月園 2004年11月07日 
 
補足すべき事項 花月園 フリーマーケット 2004年11月07日 

補足すべき事項 花月園 孤独なランナー 2004年11月07日 


蓋 その3

 家の前の蓋が、リニューアルしました。新しいデザインです。この町ではこんなふうに徐々にしか、新しいものに変わりませんが、新興の開発地に行ったら、きっと新しいデザインの蓋ばかりでコレクションが溜まりますね。図柄は、「下り藤」の様でもあり、南洋の木の様でもあります。


補足すべき事項 古い蓋 2002年11月25日

補足すべき事項 新しい蓋 2004年11月07日


横濱の泉

 以前おじいちゃんの項で、石川町付近におじいちゃんが住んでいたと書きました。打越のあたりと聞いています。ここの峠には横濱でも結構有名な湧き水があり、居留区の外人達はここの水を使用したのではと思っています。今は道路脇にぽつねんとあるだけで、通る人も知っているんだか、知らないいだか。潰されないことを祈っています。
 遠景に見える橋は打越橋で陸橋として建てられたのは古く、横濱村居留区ができた頃からと聞いています。この橋にも心霊現
象が起こるらしく、心霊スポットとしても有名だそうです。この泉よりもそのほうが、このあたりではよく知られていたりします。去年このあたりを探訪していたときに見かけた山手聖公会教会が火災で焼け落ちました。資料的に貴重な館でしたが、失うと
きには早いものです。


補足すべき事項 打越の湧水 2004年11月07日

補足すべき事項 打越の湧水 2004年11月07日

補足すべき事項 打越の湧水 2004年11月07日 


廃線マップ

 世の中には「廃線マップ」と称されるものがあります。日本鉄道便覧だったか?の分厚い書物の巻末に付録で、こんなものがあります。最近は地方で鉄道を用いる人が激減したので、ここ数年で廃線になった所が随分あります。長野電鉄の一部支線とくりはら田園鉄道もそうです。うさおが鉄道施設の健全度を調査し、危険箇所の改修、改善を指示しましたら、貧乏でそんなお金は捻出できない、廃線すると鉄道事業者は息巻いていました。
 去年、「くりはら田園鉄道」は廃線になりました。え~・・・。廃線後を辿るのは一種独特のノスタルジィーがあります。


補足すべき事項 廃線マップ

補足すべき事項 廃線マップ


補足すべき事項 新幹線工事監理者

補足すべき事項 在来線工事監理者

 
ちなみにJR などの軌道に立ち入るには、工事管理者の資格が必要です。赤い本が在来線の管理者必携で、青い本が新幹線のものです。


参考文献

注1) 「あきらめぶし」
 地主、金持は我儘者で、役人なんぞは威張る者。こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。お前この世に何しに来たか、税や利息を払うため。こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。
 苦しかろうが又辛かろうが、義務は尽くさにゃならぬもの。権利なんぞを欲しがる事は、出来ぬ者だとあきらめる。たとえ姑が鬼でも蛇でも、嫁は柔順(すなお)にせにゃならぬ。
 どうせ懲役するよなものと、何も言わずにあきらめる。借りたお金は催促されて、貸したお金は取れぬもの。どうせ浮世は斯様(こう)したものと、私ゃ何時でもあきらめる。
 米は南京、お菜(かず)はひじき、牛や馬ではあるまいし。朝から晩までこき使われて、死ぬより増しだとあきらめる。どうせ此の世は弱い者いじめ。貧乏泣かせだ是非もない。
 こんな浮世へ生れて来たが、我身の不運とあきらめる。汗を絞られ油を取られ、血を吸い取られた其の上に、投(ほう)り出されて踏みつけられて、これも不運とあきらめる。
 長い者には巻れて了(しま)え。泣く子と地頭にゃ勝たれない。貧乏は不運で病気は不幸、時よ時節とあきらめる。
 あきらめなされよ、あきらめなされ、あきらめなさるが無事であろ。私ゃ自由の動物だから、あきらめられぬとあきらめる。

注2) 「jazzヴォーカリスト第179、184戦 (参戦記)」
「『暗中模索』を英語で言うと...?」
 2004 年9 月17 日(金)、および、10 月15 日(金)渋谷・SEABIRD、第三金曜日は林バンドの月例ライブ、通称「三金」。「一金」や「二金」に比べて、バンドも客層も平均年齢が若い!
「二金」では若手に属する私も「三金」では突出した最年長だ。それだけに選曲も演奏スタイルも相互にいい刺激になると思う。
この両日は、ゲストプレイヤーが多彩だった。9 月17 日は小鳥の鳴き声の笛を操る謎のオッサンが登場。どうやらこの人、アジア各地を転々としながら時々日本に帰ってきてはSEABIRD に寄るという噂の怪人。その他のゲスト奏者は三金らしく、ピアノもラッパもフルートも、みな若い世代ばかりである。
9 月17 日、この日はちょっと凝った小噺を用意してきた。これは私の友人T 氏から仕入れた英語ネタである。「次の日本語を英語で言い、さらにそれを和訳しなさい…暗中模索」この答えは、「あなたはモサクさんではありませんか?」となる。暗中模索を英語で言うと「Aren't You MOSAKU?」だというヒッカケである。
つまり「日本語に訳し」ではなく「日本語で言うと」というのがミソ。「What Time Is It Now?」をネイティブが言うと「掘った芋、いじんな!」という日本語に聞こえるというのと同じ原理のトンチである。
米国生活を経験した友人T は他にも日本でのツベルクリンは米国で「タバーキュラン」と読むなど、いろんなネタを提供してくれた。しかし、このネタは不発に終わった。まあ、贔屓目に見てもヤヤウケ程度だ。これは当然、話し手である私の話術の未熟によるところが最も大きいのだが、マスターに言わせれば「よく客層を考えてネタを選ばなきゃ」ということだった。つまり、若い人には四文字熟語の「暗中模索」自体に馴染みが少ないということだ。
(後略;写真略)
http://saigottimo.ttcn.intranets.co.jp