横浜市新庁舎の遺構 2015年12月19日

 横浜市の広報に、「埋蔵文化財発掘調査」のご案内がありました。目ざとくcaccoのレーダーにキャッチされ、LINEの発送があり詳細が送られてきました。
 横浜市の新市庁舎建設予定地の試掘を行っていたら、色々な建物の基礎が現れてきたようです。


新庁舎の遺構  昔の地図(当日の資料から) 2015年12月19日

 この計画地には、江戸時代後期から明治時代にかけて埋め立てが行われた土地だそうです。当初横浜市では、「灯台局や横浜貿易新報、住居の一部だという可能性がある」が、「その重要性については一概に評価できず、みんなが知っていたり、横浜の歴史の分岐に大きくかかわったとか、ここにしかないという建築物でない。また、関東大震災の被害もあり、基礎部分だけで建物部分が残っているわけではない」との見解でした。ですので、今回の見学会以降、南側のエリアの試掘が行われますが、見学会の予定はなく、すぐ埋め戻してしまうと言うことでした。

 試掘調査結果と埋蔵文化財発掘調査の結果は、2015年5月26日に出されていますが、12月に入って見学が行われる運びになったそうで、市民には半年近く広報されなかったんだね。一部の教育委員会の方は情報が回っているようです。良いなあ、うらやましいなあ。

 さて、その広報横浜市のトップページ組織管理課新市庁舎整備に関する検討について埋蔵文化財発掘調査を参照のこと:いつサイトが消されるのか判りませんので、その一部を掲載しておきます) の内容ですが・・・

「2.発掘調査の内容
(ア)発掘準備等の工事
 発掘調査に先立ち、新市庁舎整備予定地のほぼ全面(約13,500平方メートル)に渡って表層部の舗装材や工作物等の撤去工事、仮囲いや交通整理員の配置などによる安全対策、発掘調査後の瓦礫などの処分の埋戻し・整地などの工事を行います。
(イ)発掘調査
 埋蔵文化財の発掘調査を行います。敷地内で確認された埋蔵文化財の周辺を順次掘り下げ、遺構顕出・測量図化・写真による記録等の精査を行います。
3.スケジュール
 平成27年7月 発掘調査開始
 平成28年2月 発掘調査完了(予定)
4.調査の様子
 現地の様子

発掘状況等



 横浜銀行集会所と思われる煉瓦積建物基礎。基礎が希薄な部分は関東大震災の影響で70cmほど隆起している様子がうかがえます。



横浜銀行集会所の裏手の路地に設置されていたと思われる雨水枡。右手が横浜銀行集会所の煉瓦積基礎です。



横浜銀行集会所の横手側の基礎。一部が嵌め殺しに改変されている様子が分かります。右側に雨樋を支える金具があります。



横浜銀行集会所付近から出土した練歯磨き粉の容器(蓋)です。



煉瓦建物基礎よりも前に構築されたと思われる石組みです。どのように積まれているのかを確認しています。
杭を打ち込んで木の板が渡されている遺構。大岡川に近いことから桟橋や川に降りるための階段のような性格をもつものの可能性が考えられます。
    (略)
 これらの遺構の取り扱いについては、教育委員会生涯学習文化財課と協議のうえ決定します。出土品の詳細については、現在調査中です。」

と報告されています。
 これらのものはその後、すぐ埋めているとのことですから、どの程度残っているのかが不安でしたね。 
 建物はコンクリートと煉瓦等を組み合わせた構造で、大震災で総て倒壊したと言います。
 私の親父は関東大震災の時には、高校生だったそうで、学校から帰る途中で罹災し、近くの樹木に抱きつき難を避けたと聞いています。今の白楽あたりから日本大通りまで、歩いて帰ったのだそうですが、何しろ、殆どの建物は倒壊しており、道路も定かではなく、距離にして5㎞程度の道のりを1日掛けたと聞いています。やはり目標物が無いと、方向が判らないし、火事が発生して行く先は遮られているし、大変だったと思います。その当時住んでいた日本大通りの家は倒壊し、祖父は新たな地割れを避けるために、地面に戸板を並べ家族をそこに居させ安全を図ったそうです。


新庁舎の遺構 この仮囲いの所が、新庁舎予定地です 2015年12月19日

新庁舎の遺構 あっ、もう結構集まっている 2015年12月19日

新庁舎の遺構 会場案内のサイン 2015年12月19日

新庁舎の遺構 会場に入るとすぐに出土品が並べられている 2015年12月19日


新庁舎の遺構 出土品 2015年12月19日

新庁舎の遺構 輸入食器 オールド・ノリタケもありました 2015年12月19日

新庁舎の遺構 模倣が悲しいけどジェラール瓦 2015年12月19日

新庁舎の遺構 煉瓦群 2015年12月19日


 興味があったのは、これらの煉瓦です。刻印が打たれていますが、各々違う文様です。 建物が造られた時期が異なるのと、民間と官制の建物の違いかも知れません。
 桜印は監獄煉瓦(小菅集治監製)です。夏島などにあったものと同様で、今の小菅刑務所で造られたものでしょう。


新庁舎の遺構 桜花紋 監獄煉瓦か? 2015年12月19日

 放射状のものは横濱煉化製造會社のものでしょう。


新庁舎の遺構 放射紋 横濱煉化製造會社か? 2015年12月19日

 このマークは上敷免で、日本煉瓦製造のものでしょう。以前に深谷の備前濠に廃線跡を探しに行った時のあの会社ですね。


新庁舎の遺構 右から「上敷免製」と彫られている 2015年12月19日

 この七の字の入った刻印は以前にも見たことがあります。何だったかなあ。


新庁舎の遺構 七の字の刻印 2015年12月19日

 「山片に天」と読めます。これも判んないなあ。「山片14」は愛岐トンネルに用いられていますが、それと関係するのかな。「天」だとすると東洋組西尾分局士族就産所天工社のものかもしれない。


新庁舎の遺構  山片天? 2015年12月19日

 三角の枠、これも判りません。


新庁舎の遺構 扇形か? 2015年12月19日

 横浜市ふるさと歴史財団の専門家が今日の説明者です。この方パッキンなので、最初は工事の方が説明かと驚きましたが、歴史的な知識や造詣は深いものがあり、純然たる研究者さんのようにお見かけしました。
 まずは、この地域の名称の定義を話されました。この場所は「横浜」の名称の元となった東西に張り出した砂州の先端で、江戸時代には「洲干島」と言われ、近くに「洲干島弁天社」がありました。為にこの遺跡を「洲干島遺跡」と名付けられたそうです。


新庁舎の遺構 横浜市ふるさと歴史財団の専門家の先生 2015年12月19日

新庁舎の遺構 掘削俯瞰写真(当日の資料より)  2015年12月19日

 Aが旧護岸跡、Bは横濱貿易新報社跡、Cは横浜銀行集会所、Dは集会所裏の下水排水、E,は松杭の出現箇所、Fは木組みが出現した個所、Gは本町小学校跡です。

 最も古い遺構は、江戸時代の護岸で、大岡川の旧護岸跡です。。


新庁舎の遺構 大岡川護岸跡 2015年12月19日

新庁舎の遺構 大岡川護岸跡 2015年12月19日

 この護岸の近くに、明治元年に燈明台掛(燈台局)が神奈川府に発足し、全国の灯台を製造していた「燈台寮」が造られました。その煉瓦積みの基礎が残っています。灯台寮にある円形の構造物は用途が不明だそうです。


新庁舎の遺構 燈台寮の基礎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 燈台寮の基礎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 燈台寮の基礎 2015年12月19日

 そして、三渓園の創設者である原三渓の原合名会社のアパートがありました。
 更には、横浜商業高校の前身である横浜商業学校(後の本町小学校)の遺構があります。大分埋められちゃったので、位置関係がはっきり判りません。


新庁舎の遺構 原合名会社のアパート、本町小学校跡 2015年12月19日

新庁舎の遺構 原合名会社のアパート、本町小学校跡 2015年12月19日

新庁舎の遺構 原合名会社のアパート、本町小学校跡 2015年12月19日

新庁舎の遺構 原合名会社のアパート、本町小学校跡 2015年12月19日


新庁舎の遺構 原合名会社のアパート、本町小学校跡 2015年12月19日

 神奈川新聞社の前身・横浜貿易新報社の跡です。貿易新報も鉄筋コンクリートを用い、掘り出された遺構のなかには、傾いた壁もありました。これは地震で倒れた壁やゆがんだ床がそのままの状態で地中に埋まっていたのだそうです


新庁舎の遺構 横浜貿易新報社新館跡 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜貿易新報社新館跡 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜貿易新報社新館跡 2015年12月19日


 横浜銀行集会所は鉄筋コンクリート建築として、遠藤於莵(横浜正金銀行(1904年)現在の神奈川県立歴史博物館、帝蚕倉庫事務所などを設計)が手がけ、一部に鉄筋コンクリート造で、アールヌーボー様式を取り入れていました。地下室への入り口に、焼き締めの煉瓦が用いられています。コンクリートがない所の地面は盛り上がった形跡があり、関東大震災の時の液状化か、地盤が緩んで盤膨れの影響とみられます。


新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日


新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日

新庁舎の遺構 横浜銀行集会所 2015年12月19日


  今後発掘されるであろう遺構は、見学会を行わないということなので、兎も角にもこれが最後のチャンスだそうです。隣のビルから上からの俯瞰を撮ってきました。2週間くらいの日にちが経っていますが、横濱貿易新報社跡、本町小学校跡は埋めています。左下に新たなコンクリートの基礎が現れていました。どのくらい、遺構は残るのでしょうね。


新庁舎の遺構 上からの俯瞰 2016年1月6日

 2017年にも上からの俯瞰を撮っているので、掲示しておきます。同じ1月6日です。


新庁舎の遺構 上からの俯瞰 フェンス、現場事務所が変わった 2017年1月6日

 最後に、横浜市庁舎の変遷をお見せします。これはこの作業場の外壁に描かれていたものです。


新庁舎の遺構 初代市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 初代市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 二代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 二代目市庁舎 2015年12月19日


新庁舎の遺構 三代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 三代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 四代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 四代目市庁舎 2015年12月19日


新庁舎の遺構 五代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 五代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 六代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 六代目市庁舎 2015年12月19日


新庁舎の遺構 七代目市庁舎 2015年12月19日

新庁舎の遺構 七代目市庁舎 2015年12月19日