千代ケ崎砲塔砲台跡 2018年11月11日
この日は快晴で絶好の見学日和でした。東京湾海堡ファンクラブの呼びかけで、千代ケ崎砲台の見学を行うというものでした。特に右翼観測所跡、砲塔砲台跡も見学できるそうです。
日露戦争に勝利したとはいえ、ロシアからの報復を恐れた日本は、明治40年に「帝国国防方針」を制定し、ここ千代ケ崎にも砲塔砲台を設置したと聞いています。へえ~、何か凄そうだなあ。
バスでは東京湾海堡ファンクラブの高橋さんとご一緒になり、千代ケ崎の山道を登ることになります。前回も延々と続く山道に気息奄々となりながら辿り着いたっけ。
前と同様にgooglemapで確認しておきますと、今回掘り出された第三砲座が、下の地図の一番上の位置の所です。
民地に入って南の山の上に、右翼観測所跡があり、東の方に砲塔砲台跡があります。
千代ケ崎砲台跡 千代ケ崎砲台上空写真 googleより 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 地図 日本の要塞より 2018年11月11日
「日本の要塞」によると、①~④までが千代ケ崎砲塔砲台です。⑦は千代ケ崎砲台で、⑥は野砲です。野砲に囲まれたところに、右翼観測所があります。「日本の要塞」は大変すばらしい文献です。各家に一冊は欲しいところですね。
東京湾海堡ファンクラブの副会長の仲野さんが、「横須賀市文化財調査報告書 第51集 跡東京湾要塞跡 猿島砲台跡 千代ケ崎砲台跡」を教えてくれました。拝借して斜め読みしますと、大変詳しい記述があり、写真満載の美麗本です。まだ手に入れていませんが、増版されたそうですので、横須賀市に買いに行きたいと思います。この本の地図には、詳細な位置が載っています。
東京湾要塞跡 猿島砲台跡 千代ケ崎砲台跡より
登りきると、石垣(ブラフ積)が見えてきます。11月11日は防衛大学校の開校記念祭の日です。陸、海、空の航空機による祝賀飛行が行われており、この日も頭上には、ヘリやF-2戦闘機の編隊が飛行していました。
TBSの取材班が来ており、私たちのグループとともに行動することとなりました。
千代ケ崎砲台跡 砲台の入り口 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 フランス積のブラフ壁 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 高橋局長さんと仲野副会長さん 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 井戸の処の門標 2018年11月11日
この門標の前には煉瓦井戸があります。煉瓦の表面には、監獄煉瓦として知られている小菅集治監の桜花の刻印があります。今回ははっきりとしたものを、二個も撮影出来ました。ラッキー。
千代ケ崎砲台跡 井戸を開けていたので見せて貰うことに 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 ここに桜花の刻印が 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 ここにもくっきりと 2018年11月11日
当日は横須賀市の野内秀明氏が、本施設の案内をされていました。TBSの撮影クルーも野内さんを中心に移動しています。皆さん、カメラアングルに写るように、野内さんの後ろに回ります。砲台の基本的なところは、前回の項に示していますので省略します。
千代ケ崎砲台跡 野内秀明氏 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 TVクルーの人が何かしている 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 榴弾砲の模型を撮影していた 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 空にはヘリの編隊が 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 高塁道の上に隧道があります 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 煉瓦アーチのしっかりしたものだ 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 ここが雨水の集結の処です 2018年11月11日
前項で書きましたが、貯水と排水システムは、塁道の傾斜を利用して雨水を集水し、雨水管を敷設して貯水所に送り、ろ過して生活用水を確保していました。高度なインフラを作っていましたね。
千代ケ崎砲台跡 貯水所 雨水の掛かる処には焼き過ぎ煉瓦 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 この地下に貯水しています 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 暗くて何も見えない 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 煉瓦壁は綺麗な赤レンガです 2018年11月11日
人気が少なくなったので、撮影しておきましょう。
千代ケ崎砲台跡 塁道を望む 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 塁道に昇る階段 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 露天空間から隧道を見る 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 隧道から露天空間を見る 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 棲息部 2018年11月11日
ここで野内さんが、小ネタ?を紹介してくれました。千代ケ崎砲台は基本オランダ積であること、尺の決まった終端壁の調整に、75部煉瓦などを用いて収めていたこと、煉瓦には小菅集治監の桜花の刻印があることなどを紹介してくれました。
うさおは、窓枠の煉瓦の水勾配に何か不自然さを感じて質問をすると、「少し傾斜を付けて積んであるのに、小口が斜めにならず垂直のままの加工がされている」との返事が。あっ、本当だ。職人さんが表面をうまく整えたのか、すごいぞ!
千代ケ崎砲台跡 野内さん、カメラ目線かな 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 この端部を調整している 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 このスリットに 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 小菅集治監の桜花の刻印 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 野内さんの後ろの開口部に 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 確かに斜め積なのに垂直だ 2018年11月11日
また人がいなくなったので、撮影開始です。
千代ケ崎砲台跡 遠くまで見通せる 2018年11月11日
砲座に入ってみます。あれっ、前とあんまり変わらないね。(当たり前です)
でも今度は階段がはっきり判ります。でも急だなあ。うさおに昇り降りは無理かもしれないね。
千代ケ崎砲台跡 砲座が草で隠れている 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 急な階段、真っ逆様だ 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 意外と円周が大きい 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 榴弾砲なので敵は見えなくとも良い 2018年11月11日
掩蔽部から露天空間を見てみます。他の見学者はいません。
千代ケ崎砲台跡 掩蔽部から 2018年11月11日
ここは前回、砲台の方から眺めていて、行ってみたいなあと思っていました。念願が叶いました。大好きな煉瓦アーチだぞ~ん。観測所は三軒家砲台より綺麗に残っています。円卓?の周りの石柱は観測機器を据えるための土台です。
しかも、畑の至る所に隠れ隧道があります。
千代ケ崎砲台跡 第1砲座の隧道から外へ 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 この農道を通って 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 観測所入口に辿り着きます 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 綺麗な煉瓦アーチですね 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 上の観測所と伝声管で繋がっている 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 上に昇ってみましょう 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 二連の観測壕があります 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 こんな感じの観測壕です 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 富津でも同じものを見ました 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 当時の防弾仕様 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 腰を屈めて銃弾を避けます 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 ここでキャンプも出来そう 2018年11月11日
観測所から見ると、砲台の窪みがよく見えます。地図に載っていない換気口や、連絡隧道が至る所にあります。が、ここは今回の見学には入っていません。残念だなあ。
千代ケ崎砲台跡 砲台の窪みが並んでいる 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 地下の施設の換気口? 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 この穴は? 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 煉瓦壁があり地下施設の入り口か? 2018年11月11日
大正12年のワシントン軍縮条約を受けて、戦艦を減らしたことにより艦載砲が余ってしまいましたって、ざっくりですね。ロシアからの報復も視野に入れながら、大正14年に千代ケ崎砲塔砲台は完成しました。この砲台を見るためには、民地の八朔やブルーベリーの畑の中に入らねばなりませんでした。勝手に入ると、不法侵入で警察に通報されてしまいます。
横須賀市の調査した千代ケ崎の地図(前出)では、海岸の台地に千代ケ崎台場があり、その上の小山に千代ケ崎砲塔砲台が、更にその上の山に千代ケ崎砲台ありました。幕末から大正まで時代は過ぎていきますが、ここが重要な防衛ポイントであったことは確かです。
千代ケ崎砲塔砲台跡 山を下るとコンクリート構造物が 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 おおっ、それっぽいなあ 2018年11月11日
この坂の下を海岸まで歩いていくと、途中に煉瓦兵舎があったそうです。まあ、それは次回に行ってみましょう。(体力的に行けるかどうかは不明ですが)
千代ケ崎砲塔砲台跡 この坂を下りると海岸に出ます 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 2018年11月11日
「日本の要塞」では、このコンクリート構造物には、副機関室、畜力機室、機関冷却用水槽あったと書かれています。当時の軍艦の加農砲は、水圧を利用して駆動していたため、畜力機(コンプレッサー)が必要だったんですね。勉強になるなあ。
千代ケ崎砲塔砲台模式図 日本の要塞より
使われていた砲:45口径30糎加農連装砲 前ド級戦艦「鹿島」から持ってきたもの。
※前ド級戦艦とは、イギリスの巨砲戦艦「dreadnought」が衝撃的強さであったため、これ以降の戦艦の形式をこの名前で呼ぶようにした。1905年以前のものを「pre-dreadnought」と称するので、それを和訳したもの。戦前は「ド」を「弩」と表した。
千代ケ崎砲塔砲台跡 辿り着いたぞ 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 工場という雰囲気です 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 ここには何があったのか 2018年11月11日
大阪市大の坂上茂樹さん論文に面白いものを見つけました。砲塔砲台で用いられている水圧駆動と関係するかもしれません。
日本海軍は石油資源を節約するため主力艦の大形砲熕関係装置(口径 36cm 以上)においては油の代りに水を用いました。蒸気機関によって水圧を発生させて駆動しましたが、やはり水に粘性が必要なようで、論文中に「問題は砲熕関係水圧装置である。海軍工機學校『高等科掌機練習生教程 機關術教科書 全』1912 年 11 月 1 日、百四十三頁には「水ハ軟石礆一瓩ヲ沸騰水ニ溶解シ鑛油九立ト共ニ淸水五千瓩ニ混入シタルモノ」とある。」と記載され、乳化剤を混入したようです。それで力を増加させたんですね。
※日本海軍艦艇における水圧伝動装置について 坂上茂樹
On the Hydraulic Transmission Systems in Japanese Naval Vessels
大阪市立大学大学院経済学研究科 Discussion Paper No.99, 2017 年 6 月 20 日
千代ケ崎砲塔砲台跡 小倉庫の内部 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 この横穴と砲塔は繋がっていた 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 開削コンクリートアーチ構造 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 翼壁 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 副動力機室? 2018年11月11日
この構造物の上のほうに行ってみます。畑作業をされているようですが、大きな擂り鉢状の穴があり、その底に砲塔砲台とつながっていた穴が見えます。落ちたら這い上がれないなあ、体力がなくて。
千代ケ崎砲塔砲台跡 のどかな田園風景 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 ぼっこり空いた穴の底に 2018年11月11日
千代ケ崎砲塔砲台跡 砲塔砲台の設置穴が見えています 2018年11月11日
満足して元の千代ケ崎砲台に戻ってきました。もう一度、ねじりまんぽを確認しておきましょう。
千代ケ崎砲台跡 牢獄のような入口 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 ねじりまんぽは健在でした 2018年11月11日
第三砲台は最近掘り出されたもので、東京湾海堡ファンクラブもお手伝いに行ったそうです。砲座を支える基礎石が現れており、等間隔に穿孔した跡が残っています。野内さんの説明がよく聞こえなかったので間違いかもしれませんが、榴弾砲を固定するアンカーがあったのではと、勝手に思っています。やっぱりちゃんと聞いておかなくっちゃね。
左翼観測所の煉瓦の残骸にも多くの刻印が発見できるのだとか、もう疲れちゃったので熱心に見なかったなあ。
千代ケ崎砲台跡 石の配置が良く分る 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 この階段ですよ 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 鬼門ですよ!滑るよね 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 左翼観測所の残骸のようです 2018年11月11日
東京湾海保ファンクラブの小坂会長さんです。有志の皆さんとヨットハーバーでお昼を食べました。さすがヨットを持っている人はリッチだなあ。意外に船をお持ちの方が多くて吃驚、お金持ちって多いなあ。
千代ケ崎砲台跡 小坂会長さん 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 ヨットハーバー 2018年11月11日
千代ケ崎砲台跡 お昼を食べましょう 2018年11月11日
仲野副会長さんが、後でメールで送って頂いた軍事煉瓦のリサイクル写真です。青葉小学校は、現在では坂本小学校と合併されて、桜小学校となっています。コンクリートブロックと思えばよろしいのですが、何だか文化遺産をもったいない気がします。