博物館動物園駅 2015年12月15日



博物館動物園駅 海側 2015年12月15日

博物館動物園駅 山側 2015年12月15日
博物館動物園駅 山側 2015年12月15日

博物館動物園駅 海側 2015年12月15日

 鉄道ジャーナルだかの資料では、ペンギン(与野正樹氏)、きっぷうりば(山下和久氏)の写真が載っており、当時を彷彿とさせます。


博物館動物園駅 ペンギンの絵 鉄道ジャーナルか?

博物館動物園駅 切符売り場 鉄道ジャーナルか?

博物館動物園駅 切符売り場拡大 2015年12月15日

 大東亜戦争の真っ盛りに、この京成線の上野の隧道内に国鉄の車両を押し込め、そこを運輸省の事務所にしようという事が行われたようです。博物館動物園駅から寛永寺坂駅にかけては、軌道はR=120で右に左に急曲線が続くので、京成線より図体の大きな国鉄の車両を入れるのは大変だった思われます。軌間も異なるので三線軌条にしたとも言われています。その当時を記した以下の文献があります。

1)日本国有鉄道「日本国有鉄道百年史」(1969〜1972年)第11巻第865頁
 「また空襲が開始されてからは,京成電鉄の上野・日暮週間の営業を休止し、この区間の地下鉄道部分の線を国鉄の軌間に改築、国鉄線の日暮里付近から引込線を敷設して車両を引き入れ、ここに執務設備を設けて運輸省などの戦災時における仮事務所を準備した例もあった。」
2)「毎日新聞」「地下鉄」F(1973年1月19日)
 「終戦間近な二十年四月、この地下鉄(日暮里−上野間)は国に接収されて泣く泣く日暮里始発とした。国鉄が空襲で車両を焼かれたため、日暮里駅から側線を引込み、軌間が異なるため第三レールまで敷いて毎夜、山手と京浜東北の国電を寝かせた。
 B6型のSLも1、2等寝台車を引いて疎開し煙がトンネルにこもった。終戦後,地下線は京成に戻ったが、博物館動物園駅は荒れ果てて廃墟のよう。壁が痛々しいくらいすすけているのは,かつてのSL運転のためか。」


博物館動物園駅 方向を示す看板 2015年12月15日

博物館動物園駅 「出口」と駅名 2015年12月15日

博物館動物園駅 当時の時刻表 2015年12月15日

博物館動物園駅 悪戯書き 2015年12月15日

 上野の京成線には山岳トンネルもあります。丁度、上野大仏の下あたりでしょうかね。コンクリートブロックで積み上げられたアーチトンネルです。



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