旧鶴見臨港鉄道跡と八丁畷の煉瓦壁 (2009年8月1日)


旧鶴見臨港鉄道跡

 鶴見には鶴見線と言う鉄道愛好家には堪らない鉄道があります。今はJR東日本の持ち物となっていますが、戦前は鶴見臨港鉄道の持ち物でした。
 戦時中には軍需物質の搬送のために接収されたと聞きます。戦後になっても鶴見線は臨海の工業にとっても、米軍にとっても用途のある鉄道であったため、民間に移管するのは、いささかの障害が在って、そのままになったのでしょう。
 鶴見線は更に延伸する予定だったようで、当時の森永製菓の工場に直結するはずでした。今でも地図の上で見るとそれが明らかで、家の向きが違います。駅ビル・ミナールから始まって、JR線に沿って東京方面に向かいます。敷地境に赤破線で示しました。丁度、単線の鉄道軌道が収まる程度の敷地です。


旧鶴見臨港鉄道跡 googleの地図による鉄道用地跡 (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 駅から白い細長いマンションに向かって跡が (2009年8月1日)

 鶴見臨港鉄道の会社はそのまま存続して、鶴見西口のミナールと言う駅ビルとして残っています。


旧鶴見臨港鉄道跡 ミナールの看板 (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 鶴見臨港鉄道株式会社の定礎 (2009年8月1日)

 うさおの高校の同級生が、この軌道敷内の場所で焼き鳥屋をやっています。昨年はそこで同期会をしました。仕事をしている彼は少し面映そうでした。
 店は古く、おふくろさんの時代から焼き鳥屋さんで、彼はそれを継いだとのこと。この辺りでは旨いと評判の店なのだとか。


旧鶴見臨港鉄道跡 鶴見駅西口とミナールのビル(左手前) (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 鶴見駅から鉄道用地跡を望む(右手の建物群) (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 正面の建物が東亜建設工業の寮棟(軌道位置)です (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 違う角度から東海道線、寮棟を望む (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 この交差点を渡ると斜めの壁の建物があります (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 このあたりを通っていたのかな (2009年8月1日)

 「三角」と言う三叉路の近くに、東海道線の線路に沿って一段と高くそびえる建物が、、東亜建設工業の寮棟のビルで、この土地が浅野総一郎の所縁のものだそうです。
 とにかく、住宅がどんなふうに建ているのか見に行ってみましょう。ここまでは鶴見の駅からほぼ直線で、ここから約60度ほど北に曲がっていくことになります。
 JR線のアンダーパスを脇に見ながら、鶴見川の川岸に沿う様な形で進んでいきます。
 うさおの指し示すビルの外形が極端に変形して、三角形の形になっています。多分敷地一杯に立てたのでしょう。敷地の形がそっくり現れています。


旧鶴見臨港鉄道跡 鉄道用地幅に一杯に建てると周りとそぐわない (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 お隣との間に微妙な隙間があります (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 これもそうです (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 道路とも微妙に角度があるようです (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 ここはずいぶん角度が付いています (2009年8月1日)

 これらの軌道の予定地は、何らかの都合で一般の人に売られたのでしょうね。
 ほとんどが住宅になっていますが、敷地の形に合わせて建てているので、お隣の建物と向きが違います。 周囲の家の向きが道路に対して、平行ないしは直角になっているのと較べて、丁度60度くらい微妙に家の振り角が異なります。ねっ微妙ですよね。


旧鶴見臨港鉄道跡 鶴見パールハイムにたどり着きました (2009年8月1日)

 この辺りは今は「読んどく会員」のガミちゃんの家の近く。Caccoはガミちゃんに遭うんじゃないかときょろきょろ、周囲を見渡していました。遭ったらお家にご招待されて、冷たいものでも振舞われちゃったかなあ。うさおは西瓜も大好きだよ。てな事を言いながら闊歩していたら、何やらいわくのありそうな祠が。前に廻って見ると、延命地蔵尊でした。


旧鶴見臨港鉄道跡 延命地蔵尊の祠 (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 延命地蔵尊 (2009年8月1日)

旧鶴見臨港鉄道跡 その由来、縁起 (2009年8月1日)

 この地蔵尊には碑文がありますが、あまり意味が判らない。同一の内容を三回説明しており、『地蔵菩薩に延命の徳あれば名付け参らせし御仏にして延命菩薩法の本尊として金剛菩薩なり  経に曰く「毎日晨朝入諸定遊化六道衆生抜於苦与於楽」・・・』要は河村禅玲なる方が鉄道工事に際し建立したものを、戦火を浴びた後、上矢久氏が建て直したものだとか。


八丁畷の煉瓦塀

 八丁畷駅から国道15号線に向かっていき、旧東海道線沿いに、何故か煉瓦塀が残されています。
 八丁畷の煉瓦と言うと、京急線の八丁畷駅から川崎駅に向かう処に、京急線と交差するように、川崎新線への短絡線跡が残されており、そこが煉瓦の橋台です。
 そこじゃあないんですよ。国道15号線からは駐車場の陰になって見難いですが、立派な煉瓦塀が残っています。ここの地主さんが残しているのか、とにかくも今にも無くなってしまいそうな遺構です。(平成27年8月時点ではまだ残っています)


八丁畷の煉瓦壁 下部はイギリス積、壁はアメリカ積か (2009年8月1日)

八丁畷の煉瓦壁 後ろにはブロック塀が支えている (2009年8月1日)

八丁畷の煉瓦壁 控え壁で保たせている感じ (2009年8月1日)

八丁畷の煉瓦壁 結構、上の方は崩れています (2009年8月1日)

八丁畷の煉瓦壁 駐車した車がぶつからないか心配です (2009年8月1日)

 何か由来があったと思いますが、忘れました。これ、得意ですね。うさおは・・・。