猿島(2015年3月28日)

 海堡ファンクラブから猿島見学の案内が来ました。秘密の弾薬庫が見れると言います。これは行くしか無いでしょう。
 朝の9時には家を出て横須賀中央に向かいます。京浜急行の金沢八景駅でもう一度、瀬戸変電所を見て、レトロで良いねえと納得しきり。
 寒いと思って厚着をして行ったら、どんどん気温が上がり3月とは思えない陽気、横須賀の町を歩きながら、暑くてセーターは早々にリュックにしまっちゃいました。
 
 前回の第二海堡巡りの時と同じ三笠桟橋から出ます。波止場の目の前にある喫茶店「ポットラック」にまたお邪魔し、お昼は定番の海軍カレーを食べちゃいました。


猿島 喫茶店 ポットラック (2015年3月28日)

 結構時間があると思い戦艦三笠などを見ていると、海堡ファンクラブの方が私たちを探しておりました。私たちがどうやら受付の最後になった様です。あまり遅くなると所定の船に乗れなくなる可能性があるとか、団体行動を乱してしまいました。失敗、失敗。


猿島 戦艦三笠 (2015年3月28日)

猿島 三笠公園東郷平八郎の像 (2015年3月28日)

猿島 東郷平八郎 日本海海戦の歌碑 (2015年3月28日)

猿島 「皇国の興廃この一戦にあり 各員奮励努力せよ」の碑 (2015年3月28日)

 当日の御案内役は、海堡ファンクラブの仲野正美副会長さんです。15分の船の旅の中でも、夏島の位置はあちらだとか、千代ケ崎と猿島が横須賀市の歴史遺産になったとかの話をして頂きました。
 猿島に上陸しました。ここには何度も足を踏み入れておりますので、様子は何となく分かります。
 当日は土曜日だったせいか、私たち以外にも多くの見学ツアーの方が集まっていました。先導者の顔を覚えていないと別のグループに参加してしまいます。
 

猿島 説明された副会長さん (2015年3月28日)

猿島 フェリーから見た夏島 (2015年3月28日)

猿島 上陸をすると同じような方々が居るのでグループを間違えそう (2015年3月28日)

 上陸して直ぐに、発電所を左に見ながら海側の丘に登ります。その前に軍港碑を横目で見ておきます。明治10年(1877)年9月1日に海軍が港の範囲を、猿島から夏島までとしました。
 さて、脇道は結構な急な坂で、参加者は老人ばかりなので、先達に追いつかず息切れになってしまいます。近くの石に腰を掛けてしまう老婦人もいました。
 うさおも全身汗みずくになりながらも、丘を登り切ります。息は切れっぱなしです。


猿島 ここで観光地図を示しておきます (2015年3月28日)

猿島 軍港碑 (2015年3月28日)

猿島 現在も活躍している発電所 (2015年3月28日)

猿島 頂上の第2砲台跡がある平地に出ました (2015年3月28日)

猿島 草むらの陰にコンクリート構造物が 砲座の跡かもしれません (2015年3月28日)

猿島 地図で見ますと「C2」のあたりです 12.7㎝高角砲座跡と思われます (2015年3月28日)
                                       (海堡ファンクラブの当日の資料より)

 草刈がされた平地に出ます。そこから海側の下り坂を降りていくと、砲台跡が見えてきます。最近横須賀市が整備したとのことで、弾薬の補給の横穴がはっきり見えていました。掘り起こした姿は中々の趣があります。


猿島 地図で言うとC6のあたりですか (2015年3月28日)

猿島 弾薬の補給設備が見て取れます (2015年3月28日)

 さらに進むと見張り台(展望台)があり、猿島の名所の一つです。2000年にGURIKO隊長が遊んでた所です。今は、見学者が入り込まないように柵がしてあります。caccoは入ってましたけどね。


猿島 展望台とも観測所とも呼ばれています (2015年3月28日)

猿島 こちらから見るとこんな感じ (2015年3月28日)

猿島 内部から見るとこんな感じ (2015年3月28日)

 高射砲陣地の円形のコンクリート砲台跡を見て回ります。


猿島 第1砲台 8㎝高角砲座跡 その1 (2015年3月28日)

猿島 第1砲台 8㎝高角砲座跡 その2 藪ひとつ隣にあります (2015年3月28日)

猿島 別の地図も添付しておきます (2015年3月28日)(海堡ファンクラブの当日の資料より)

 島の最南端にオイモノ鼻広場があります。ここで副会長さんは、リュックから大工の差金をやおら取り出し、その上に磁石付の紙押さえを貼り付けていきます。
 三つの海堡と観音崎の位置が、このような雁行形になっていることを教えてくれました。


猿島 オイモノ鼻 (2015年3月28日)

猿島 副会長の差し金と磁石で富津、海堡、観音崎を示す (2015年3月28日)

猿島 説明を受ける海堡ファンクラブ員 (2015年3月28日)

猿島 第1海堡 (2015年3月28日)

猿島 第2海堡 工事中 (2015年3月28日)

猿島 観音崎 (2015年3月28日)

 東端の2つの砲台跡は、今回はオミットしました。目的は「愛のトンネル」と呼ばれる長くて暗いトンネルですものね。
 で、まずは通称三叉路と呼ばれる処の煉瓦構造物を見に行きます。通路にあたる所は何かの格納庫のようですが、以前は中仕切りがあったそうです。地上の砲台に繋がっている伝声管とエレベーターの遺構が残っていました。
 三叉路の煉瓦構造物は第一砲台の関連施設だと言われています。
 三河で造られた煉瓦だと言うことで、刻印が打たれていましたが、よく読めませんでした。「名古屋・・・、瓦・・・」は、かろうじて読めます。東洋組の煉瓦工場から持ってきたものでしょうか。ちなみに、猿島の煉瓦はフランスz積が基本です。金網がしてあると、なんだか牢屋のようですが、戦時中は鉄扉で有ったろうと思います。


猿島 弾薬庫兼塁道、高塁道に出る通路 (2015年3月28日)

猿島 説明をしてくださっている副会長 (2015年3月28日)

猿島 上の砲座とつながっている通気口とも伝声管とも (2015年3月28日)

猿島 皆さんが覗いている処は・・・ (2015年3月28日)

猿島 弾薬のエレベーター 揚弾井でした (2015年3月28日)

猿島 弾薬通路から塁道を望む (2015年3月28日)

猿島 左が掩蔽部で右が隧道 (2015年3月28日)

猿島 掩蔽部 (2015年3月28日)

猿島 そこに使われている煉瓦(名古屋・・・の刻印があります) (2015年3月28日)

 とにかく、隧道の中に入ります。ほぼ中央付近に本日のメインイベント、弾薬庫跡がありました。鍵が掛かっているので、開けて入ります。壁にはスプレーで落書きが描かれています、管理されていなかった頃には、不良も入り放題だったんでしょうね。
 ここは、島の弾薬庫の元締めみたいなところで、ここから各砲台に分散させて格納したと言われています。
面白いところは、すぐに見終わってしまいます。私たちが出るとそれに合わせたかのように、歳の人たちが中に入ろうとしました。もちろん、拒否されて外に出されましたが、不満げな様子です。そりゃそうだよね、うさおがその立場でも、そう思うもの。


猿島 隧道の中 (2015年3月28日)

猿島 弾薬庫の入り口 普段は鍵が掛かっています (2015年3月28日)

猿島 壁に落書きが・・・ お前は「あいだみつお」か? (2015年3月28日)

猿島 弾薬庫奥室に入ります (2015年3月28日)

猿島 揚弾井と点灯窓(右) (2015年3月28日)

猿島 前室 (2015年3月28日)

猿島 出口 一部煉瓦が見えています (2015年3月28日)

猿島 弾薬庫の立体図 (2015年3月28日)

 切通しの処では、コスプレのお姐さんたちが居ました。カメラを向けると、まだ着替えていないので撮らないで?と言われました。着替えたら、バンバンとって欲しいのかな。ちょいと、このお姐さんの気持ちが判りそうで判らない。
 あとは切通しの処の弾薬庫、高塁道などを見て帰路につきます。帰りの船に乗る前に解散です。今度は千代ケ崎砲台に行きたいな。
 

猿島 暗い所から出てほっとしている (2015年3月28日)

猿島 コスプレのおねえさんたち 写真に撮られるのを嫌がっている (2015年3月28日)

猿島 トイレがあったところ (2015年3月28日)

猿島 弾薬庫と高塁道 (2015年3月28日)

猿島 切り通し (2015年3月28日)

猿島 発電所の煙突の折れたもの (2015年3月28日)

猿島 レストハウス (2015年3月28日)