夏島(2012年10月20日)

 観艦式では足が痺れるほど、大変疲れましたが、それにもめげず次の週には念願の夏島に行ってきました。
 夏島や ああ、夏島や 夏島や。失礼いたしました。古典的なギャグをかませてしまいました。


夏島 地図 (2012年10月20日)見にくいですが○番号が見学箇所です

 さて、メンバーは私たちとグリコ隊長です。体力の無い私たちは、観艦式の時は疲れて、足が縺れる、腰は痛い、ふくらはぎパンパンでした。
 夏島は追浜の日産自動車の工場の中にありまして、高々標高50m位の山ですけど、ああ、登っただけで気息奄々、死ぬかと思いました。グリコ隊長もね。


夏島 追浜駅 (2012年10月20日)

 う〜ん、メタボ体重を減らさなくっちゃなあ。追浜駅でボランティアの方と合流しまた。私達はこの方が先達になってくれました。
 この相原さんが、また元気なんだわ、後をついていくのに大汗をかきました。
 いつもの通り、貝山まではバスで行きます。こっちですよ〜相原さんは元気、私たちは夏島に着くまでにもう息が切れている。


夏島 先達さん (2012年10月20日)

 途中にあった碑文は、「烏帽子巌の碑」。此処が昔、海だった時に烏帽子岩があったってもんです。
 ふ〜ん、湘南か?ここは!
 周囲200m、標高15mの岩と言おうか、島と言おうか微妙なもので、海軍の飛行場建設時に消滅したとか。
 しかもここから更に150mも離れた場所だって。ここに碑を作る意味が無いじゃないか。


夏島 烏帽子巌の碑 (2012年10月20日)

夏島 烏帽子巌の碑 (2012年10月20日)

夏島 5〜6人に分かれて (2012年10月20日)

夏島 フェンスの中に (2012年10月20日)

夏島 入っていきます (2012年10月20日)

夏島 さあ!出発 (2012年10月20日)

 早速、夏島に入り込みます。すぐに埋め立てられた防空壕が現われました。なんで潰しちゃうんだよ~、危険でも良いから入らせてください。


夏島 ちょいとワクワク (2012年10月20日)

夏島 最初の入口 (2012年10月20日)

夏島 塞がれた入口 (2012年10月20日)

@このコンクリートで埋められたものは、掩体壕だそうです。あの、飛行機を隠すやつね。(丸番は地図の位置を示す)
 この先に一般人の入れない処に、もっと大きな掩体壕らしきものがあると言います。入ってみたいね。
 相原さんは入ったことがありそうな口ぶりだった、うさおもこのボランティアさんになりたいなあ。
 これが登る前の私達、皆さんの顔に不安がよぎる。


夏島 掩体壕跡 (2012年10月20日)

夏島 さあ!この山を登るんですよ え〜! (2012年10月20日)

 以前に野島公園の山(大きな掩体壕があった処ね)に登った時も、心臓がバクバクして寒い時期だったけど、汗はだらだら出るは、頭に血は昇るは、足は上がらないわと言う、死ぬような思い出が湧きあがってくる。
 こうして見ると、相原さんってお歳の割に背が高く、がっちりしている。
 ところで、初っ端からこの階段を登って行くんだって、気が萎えるなあ、うさおじゃ無理なんじゃね!
 案の定、この中段に辿り着いたときには、高血圧のうさおは死にそうでした。あれ、Caccoとグリコ隊長もぜいぜいしています。ふふん、鍛えてないねえ・・・。
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夏島の山  (2012年10月20日)

夏島 普段は閉鎖されている (2012年10月20日)

夏島 足元は険しい (2012年10月20日)

A途中に島の反対に通じると思われる地下壕が出てきました。先ほどの地平のところにあるのが第1層で、ここが第2層目です。
 私達、元気そうに見えますが、実は倒れそうです。この先もう一段登らなければならないのですが、とっても自信がありません。


夏島 地下壕の地図 (2012年10月20日)

夏島 ここがそうですが、入れてさせてくれません (2012年10月20日)

夏島 地下壕の入り口 (2012年10月20日)

夏島 地下壕の予想図 (2012年10月20日)

Bここにも防空壕があるんですよと相原さん。このあたりは山の頂上付近だし、坂道も傾斜が楽になっているので、ひ弱なうさおも大丈夫。
 防空壕は、大人が屈んで入れるくらいの大きさで、中は広いのかもしれないが、うさおはお腹がつかえて出入りは困難だね。
 夏島は明治時代に陸軍が買収し、伊藤博文の別荘が建てられたり、大日本帝国憲法の草稿が作られた所です。大正時代には埋立てられ、今のように陸続きの地形になりました。


夏島 石段は一部壊れています (2012年10月20日)

夏島 ここが2層目の入り口 (2012年10月20日)

夏島 地下壕の入り口はコンクリートで固められています (2012年10月20日)

Cもともとは貝塚として有名だったようで未だに多くの貝が山頂に散らばっておりました。
「夏島」という地名は、雪が降っても島には積もらないことに由来すると言われています。
 大正時代には、横須賀海軍航空隊の基地として使われ、滑走路もあり、大東亜戦争の時に地下壕や無線基地が作られたようです。
今では日産自動車追浜工場が隣にあり、かつての滑走路は試験車両のテストコースとなりました。


夏島 なんでもない山道ですが (2012年10月20日)

夏島 このあたりが貝塚 (2012年10月20日)

夏島 出土されたもの (2012年10月20日)

夏島 まだ貝が散らばっています (2012年10月20日)

Dこのコンクリートの構造物は、地下のトーチカの空気抜きと明り採りだ。
実際にはこのスリットの上に屋根が掛けられ、雨水が入らないように工夫されていたとか。これは何でしょうと言うのは、相原さんの質問。これもグリコ隊長が正解。うさおは空気抜き、それもありますがってことで不正解。贔屓してんじゃないの?


夏島 これは通信棟跡といわれる(電探か?) (2012年10月20日)

夏島 このスリットです (2012年10月20日)

夏島 ボルトのところに屋根があり草で隠されていました (2012年10月20日)

夏島 こんな屋根だったと説明されました (2012年10月20日)

Fここは榴弾砲砲台跡です。階段は観測所に上がるもので、前頁のグリコ隊長が居るのはその砲台跡、実は目の前は崖が崩落して断崖絶壁になっています。相変わらず、危険なところが好きなグリコ隊長です。危険なところはCaccoも負けていません。この階段下も本当に足場が悪く、うさおは滑り落ちたが、いいアングルなのでパチリ。
 相原さんはここが貴重な貝塚であることを強調しておりましたが、紙面の都合で割愛させていただきます。戦争遺跡を見に来たんだものね。


夏島 何かの設備があったのか、草の中にボルトが並んでいます (2012年10月20日)

夏島 ボルトが林立しています (2012年10月20日)

夏島 榴弾砲観測所 (2012年10月20日)

夏島 砲台跡か (2012年10月20日)

夏島 煉瓦造の観測所地下設備 (2012年10月20日)

夏島 崩落しているので危ないです (2012年10月20日)

夏島 砲台図 (2012年10月20日)

夏島 観測所から見下ろすと (2012年10月20日)

夏島 観測所から見上げると (2012年10月20日)

Gここが煉瓦アンド安山岩の通路で、電燈所につながっている所。昔はもうちょいと深かったようだ。
 この通路に使われている煉瓦には、桜の花びらの刻印が打たれている。お分かりになるだろうか。
 この先にあった電燈所は、崖が崩落したこともあって跡形もありません。
 Caccoが恐る恐る覗いているが見て取れるでしょう。
一説には終戦の際に、米軍が来てこれらの施設に爆薬を仕掛けて使えなくしたとの話もありますが、定かではありません。
 海軍が使っていた飛行場は、近所の方の畑に換わり、食糧事情の良くないときに夏島は活躍したそうだ。日産の時代には、夏島の周りにバリケードが張られ、一般人は入れなくなったそうだ。


夏島 煉瓦通路 (2012年10月20日)

夏島 煉瓦通路 (2012年10月20日)

夏島 電燈所跡 この先は断崖絶壁 (2012年10月20日)

夏島 桜の刻印 巣鴨拘置所内で作られたので拘置所煉瓦と言われています (2012年10月20日)

Eまた元の開けた処に戻ると、そこに地下壕があります。
 ここは弾薬庫に使われていた所で、Dで説明した通気口は半円形に繋がれた地下道の上に出ています。
 って「通気口」じゃん、相原さん。贔屓だ!
 平地に土塁を盛ったものかと思っておりましたが、どうやら開削で掘り、その後臼砲の設置を行ったようです。
 まあ、入り口はこんな感じです。煉瓦アーチと安山岩の作りになっています。煉瓦フランス積だとか何だかで、口を挟みたがっているメンバーが沢山いました。「そうそう」なんて相槌を打ちながら、それは何ですかって聞いてくる人が居ないか、目で探していましたっけ。
 中はこんな感じで、猿島や富津の弾薬庫とほぼ同じくらいの大きさです。
Caccoが見上げている所が、例の明かり採りの部分。こんな感じです、下の棒は弾丸を運び込むためのもの。


夏島 臼砲弾薬庫 (2012年10月20日)

夏島 通気口か? (2012年10月20日)

夏島 弾薬庫 (2012年10月20日)

夏島 弾薬庫 (2012年10月20日)

夏島 室内の奥は明り取りのスリットがある (2012年10月20日)

夏島 壁上のスリットが見える (2012年10月20日)

夏島 室内から 窓に顔が見えるが霊ではなく、次のメンバーが来た (2012年10月20日)

夏島 この煉瓦は何積だと検証中 (2012年10月20日)

夏島 この棒は揚重機の代わりに使われました (2012年10月20日)

Hこれがうさおが見てみたかった監視塔と呼ばれている鉄塔。電波塔かと思ったがどうやら違うらしい。夏島は海軍航空隊の滑走路を守るための要塞として作られたとのこと、当時しての最新兵器、「電探」も備えていたのではと推理するうさお。
 以前、夷隅半島のK君に案内してもらった大東岬にも、レーダー(電探)基地の施設跡がありました。
航空機早期警戒用レーダー 2号1型電波探信儀などが終戦直前に開発され、特に3号2型は60台製造され日本各地に設置されました。
 鉄塔の近くに、観測所付属室(主観測室)の地下壕があります。ほとんどは埋没していますが、内部は綺麗に残っています。
 まあ、一時期、レーダーで人を殺すことは出来ないかと真剣に考えられていた時代があったようで、それなりに危険性も知られていたと思います。
なので、この鉄塔に電探がすえつけられ、傍に人も居たとは思われないので、目視での監視塔だったのでしょうね。
 そうすると、歩哨は恰好の標的でしょう。今だと高性能爆弾とか、ミサイルの一発で夏島が消えちゃいそう。


夏島 監視塔(電探塔ではないのか) (2012年10月20日)

夏島 観測所付属室 (2012年10月20日)

夏島 観測所付属室 (2012年10月20日)

夏島 監視鉄塔 (2012年10月20日)

Iこのあたりは、探照灯があった処、何か基礎らしきものや,境界石があります。
 境界石には、「海軍」の文字が刻まれています。
 別の側面には、「測点」の文字があります。本来地表に出てこないところまで露わになっています。
 土丹層の強固な地盤(トンネルが三層にも掘れる山ですからね)なので、不等沈下による石の浮き上がりは考えられません。後から建て直したか、あたりを掘ったかです。
この水の溜まった処に井戸があり、洗い場か風呂でもあったのでしょうか。
 この山でキャンプみたいに暮らしてみるのも面白そうだけど、食糧や弾薬などの重いものは、手運びだったら辛いなあ。


夏島 境界石 (2012年10月20日)

夏島 境界石 (2012年10月20日)

夏島 不自然なコンクリート塊(基礎?) (2012年10月20日)

夏島 洗い場か? (2012年10月20日)

夏島 何かの壕の跡 (2012年10月20日)

 明治憲法草案起草地の碑がこれです。明治18年に伊藤博文が初代内閣総理大臣となり、井上毅や伊東巳代治、金子堅太郎らが,夏島の伊藤の別荘で、明治天皇の勅命を受けて、大日本国憲法(夏島草案)をまとめました。それも、メンバーが横浜で書類カバンを盗まれたため,夏島に移って作業したんだって。
 この碑は大正15年に建立され,日産自動車の工場が出来た時にここに移設されました。


夏島 明治憲法草案起草地の碑 (2012年10月20日)

夏島 明治憲法草案起草地の碑 (2012年10月20日)