浅川地下壕(2015年1月17日)

 
浅川地下壕は、八王子の高尾山のすぐ近所に存在します。この地図で言うと、高乗寺の手前にある民家の庭に坑口があり、そこから侵入します。


浅川地下壕周辺地図(google

では、顛末記を述べましょう。
 ひ弱な私たちは車で高尾駅まで移動しました。駅前ロータリーにある駐車場に停めると、最近、料金が変わったらしく12時間1,100円に値上がっていました。高尾の駅周辺は、田舎の駅を想像していましたが、都会化の波が押し寄せているようです。
 その証拠に駅前には、結構小洒落たお店が出来てきており、若い人が行き交っていました。

 とりあえずお食事です。少し年季の入った高尾パークハイツ2階のグルメシティの「喫茶・パスタハウス アスカ」でパスタを食べました。二人で2,000円に満たなかったのですが、駐車券を2枚(2,000円分)も呉れました。


京王線高尾駅前 この階段を登るとコインロッカーがあります


この喫茶店でお食事

喫茶店「アスカ」

駅前のドトールは集合場所のコインロッカーが一望できるところです。ここで陣取って居れば、参加者が集まればすぐ判ります。あれ、時間が迫ってきたのに集まっている人が見えないぞ。集合時間に行ってみるとドトールでは隠れて見えない位置に、もう10人近くの方が集まっていました。
 「中田です」引率の方が自己紹介します。この方はどうやら、都立館高校の先生らしい。生徒さんを使って地下壕の寸法を計測したとのことです。生徒さんは大喜びで課外授業に参加したそうです。


参集された方々 日本テレビの方もロケハンで来られていました

 地下壕は高尾駅(地下壕が掘られた当時は浅川駅だそうです)の南西に、初沢川に沿った小山の山中に掘られています。規模的にはかなり大きなもので、三か所存在します。
 浅川地下壕は、当初、陸軍の軍需品備蓄倉庫でしたが、大東亜戦争の末期では零式戦闘機で有名な中島飛行機の地下工場に利用され、実際に戦闘機のエンジンが製造されました。
 中田さんの説明によると、地下壕はイ地区、ロ地区、ハ地区の3ブロックが造られました。しかし、このあたりの住宅開発の影響や、地下壕の老朽化などから、今ではイ地区だけが内部を公開されています。その他の地下壕は残っているのですが、住宅や施設の直下にあることから、市は崩壊しないように埋め戻したそうです。


浅川地下壕の地下道地図

 高尾駅から南に向かって歩いていくと、浅川小学校の先に「みころも霊堂」(霊園?)があります。山の中腹に大きな黄色い仏舎利塔のようなものが立っています。巨大な茸のようです。
霊園の駐車場の右手の平地に、地下壕労働者(主に朝鮮半島から強制連行され人たちです)の飯場が置かれていたそうです。


みころも霊堂 ここと浅川小学校の間に飯場がありました。

 右手方向に更に進むと浅川中学校があります。ここのテニスコートに入ります。敷地全体が一段と高くなっているのは、地下壕から掘り出された「ズリ」で埋められたからです。


初沢川に沿って歩きます

浅川中学校のテニスコート ここは掘り出されたズリで埋め立てられたもの

紫色のヤッケが中田さん このテニスコートの前のお宅にロ地区の入り口がある

 初沢川に沿って登っていくと、山側に浅川金刀比羅宮の看板が立っています。これが中田さんが保存すべきだと訴えているロ地区の地下壕があるところです。先ほど埋め戻したところはここになります。
左側の山はハ地区の地下壕で、擁壁の切欠部に入口があるそうです。
 高乗寺のお寺さんに着きました。このお寺さんの敷地の半分くらいがイ地区の地下壕なのでした。地下壕の入口は民家の庭先にありますので、皆さん「お邪魔します」と声を掛けて侵入します。ご近所迷惑になるので、月一回の見学会に制限しているのだそうです。


一般家屋の庭に地下壕の入り口があります

 さて、この地下壕は、以前はきのこ栽培業者が使っていたそうです。地下ですから夏冬関係なく、年間を通して16℃位を保っています。冬場の外の空気は乾燥しているのですが、中に入ると「もあっ」とした湿気があり、カメラのレンズが曇ってしまいました。急に画像がぼんやりになってしまったので、何かと思いましたが細かい水滴が着いたのでした。また、少し歩き出すと湿度が高いため、すぐじわっと汗をかき始めます。うさおが太っているからだけではないと思います。





 入ってすぐ位のところに、きのこ栽培の洞窟がありますが、その奥は鉄格子で塞がれています。地下鉄サリン事件の後に、警察が入れなくしたとのことです。
 この奥にはマス目状の地下壕があり、中島飛行機の地下工場として工作機械が据え付けられていたそうです。見たかったなあ。





 足場はあまりよくありませんが、ズリが敷いてあるため、まあまあ歩き易くなっています。
 次のところは東大の地震計が置いてあるところです。ケーブルに触っちゃいけませんよと注意が飛びます。


地震計が光ケーブルに繋がれています


 地下壕は見たところ花崗岩の硬い岩盤のようです。地下壕の中程に岩盤に穴が穿たれているところがあります。中田さんがこれは何のために開けられたのでしょうと質問をします。硬岩なので削岩機による発破を仕掛ける穴だと思いましたが、何も言いませんでした。後であれは切羽のダイナマイトを仕掛ける穴だと判っていたと言うと、判っていたのならその時に言えば良かったのにと言われてしまいました。何だか負け惜しみの返事をしてしまったようで、そうじゃないんだと悔やむことしきり。
 ゼネコンにいましたので、八幡平の道路トンネルの現場や、宮が瀬ダムの現場にも行っていますので、この手の土木工事早く知っています。
 切羽の面は結構、剥離層が見えており衝撃を与えると剥落しそうです。


ここに穴がね!と、中田さん

削孔跡には竹の棒が刺してありました

 さて、当時はダイナマイトを使用する危険な工事を、突貫工事で行ったそうです。施工会社は佐藤工業で土木が主流の会社です。地下壕の断面の大きさは、幅4㍍、高さ3㍍だそうで、高低差は無く平坦に掘っていました。普通は水処理の関係から、高低差を付けるのですが、工場として用いていたので、搬入出に力点を置いたのかもしれません。
 労働力としては、約2,000人の朝鮮人が動員され、一年程度で10キロ㍍を掘り進みました。終戦になり、佐藤工業は朝鮮人に旅費や食い物を持たせて解散しましたが、他の地域では帰国する金をよこせと暴動も起きたとか。
 戦時中に中島飛行機武蔵野製作所が空爆されたため、浅川に疎開させ、飛行機発動機の製造を継続させました。この頃になると、数千人の学生動員も行われています。終戦間際であったため、製造された発動機は10台だったそうです。

 地震計の脇にまっすぐ伸びた地下壕がありました。掘削したズリを運び出すためのトロッコが敷設されており、ある周期をもった不陸があり、それがレールの枕木の跡なのだそうです。レールの締結金物として、亀釘、犬釘が使われていました。中田さんはこの釘の違いについても、蘊蓄を傾けます。鉄道総研の若槻修さんは、現在使われている犬釘と称するものは亀釘であり、混乱するので犬釘と呼んでいるそうです。


ズリだし用のトンネル?

これは枕木の跡か? 松や団栗の木は水に触れているといつまでも腐りません

 出口に近いところに鉄骨造のフレームが組まれています。ここにはズリで埋まっていましたが、大量のダイナマイトが埋められていたそうです。TV番組の「うっちゃんナンチャン」の番組で、これを見つけてしまい急遽防護措置をとられた名残なのだそうです。
その時の私もダイナマイトに触ったのですよと中田さんは語り、お土産に持っていれば良かったと述べましたが、「もちろん、そんなことはしませんけど」と否定しておりました。


ボケててすいません

ダイナマイトが埋まっていたところ

熱弁する中田さん
 

 外に出ると、外気は冷たく鼻水が出ます。日本テレビのクルーも同行していましたので、caccoは「何の番組なのか、知りたい!」とそこを離れるのが名残惜しそうでした。


もうすぐ出口です

質問をするうさお

説明する中田さん

 この日はカメラは調子悪いわ、ストロボはうまく動かないわ、風が寒いわで散々でした。でも、帰りの夕食は、叙々苑に寄って焼肉を食べちゃいました。美味しかったです。