日吉地下壕編

 「グリコ編集長」が聞き込んできた、大東亜戦争の遺跡「日吉耐弾式竪穴坑(地下壕)」です。



 第5回戦争遺跡保存全国シンポジュウム 神奈川県川崎市大会現地実行委員会資料によれば、日吉台にある慶応義塾大学の敷地内に地下壕を建設し、連合艦隊司令部(海軍総隊司令部)地下壕として用いていたようです。詳しい顛末やらは「グリコ編集長」が別に章を改めて行うでしょうから、ここでは「ご近所トマソン隊」が印象記を述べるに留めます。この見学会は第5回戦争遺跡保存全国シンポジュウムの一環として、慶應義塾大学に主催者側が頼み込んで実現したもの。極々限られた人しか見学できませんでした。さて残念なことに、また「ライ隊員」はこの行事に参加できませんでした。キャンパスの中には犬の散歩はお断りとありますが、「ライ隊員」は犬に似ているけど、犬じゃないしなあ。山崎先生みたいなものですし。
さて、資料によりますと、海軍施設本部第一部長を最高指揮官として東京地方施設事務所が作業隊を編成、資材調達は芝浦補給部によって行われ、大規模で機密度の高い超特急工事であったそうで、機密保持の為に東京憲兵隊があたったとあります。地下壕は延べ2600米に及び、箕輪地区大聖院裏の地下壕を含めると5000米に達し、終戦直後、米軍はこの竪穴坑を見て「茸型の出入り口を持った迷路の地下大要塞と表現したそうです。
 この地下壕には、長官室・作戦室・電信室・暗号室・バッテリー室・倉庫など連合艦隊中枢の施設がありました。電力は慶応義塾第1校舎内の変電設備から配線され、なんとあの当時なのに蛍光灯を使っていました。


日吉地下壕見学会(2001年8月4日撮影)

テニスコート脇の地下壕入口















換気孔です

 実際に日吉の丘に立って見ますとなだらかな丘陵で、この辺りも太古の時代は海が迫っている地域だったことが判ります。坑口の付近を見ますと、関東ロームなどの表層土の下に上総層群、または三浦層群の土丹と呼ばれる洪積層の土の中に隧道があります。地表面に弥生式住居の跡が残っているので、地質状況がおぼろげに判りますが地図にあるように、縦横に巡らした隧道群は地震の多い日本では、いささか恐いものを感じました。
 40数年たった今では、コンクリートの劣化は生じていますが、大変程度のよい状態です。なんってたって銀座線の隧道の方が古いですからね。夏でしたが、温度は15℃くらい、湿度は80%くらいでしょうか?
う~ん、住むにはやっぱりね。水は滴り落ちてくるしね。今回は少し硬かったなあ、反省しつつ次回は廃駅でもやりたいなあ。