金沢八景駅変電所跡(2015年2月28日)
京浜急行の金沢八景駅は、前身の湘南電鉄が昭和5年4月に浦賀と、湘南逗子まで開通したときの主要な駅です。おっ、戦前の建物か。でも、今年(2015年)9月には、新しい駅にリニュアルするそうです。(看板が出ていました)
今回のお目当ては、そのホーム沿いに建つ第1号変電所です。以前、caccoから「これ、面白そうよ」と見せられた、新聞の記事に載っていたものです。しかし、caccoは全然覚えていないと言います。横浜市の歴史遺産に登録しようと言う話じゃなかったかな。
実は、この変電所をうろ覚えの記憶で、京急田浦駅だと思い込んでいました。田浦に行って探しましたが、古い変電所はありましたが、何だか記憶の中の新聞記事の外観と違います。この失敗談は、本稿の後半で残念記として載せておきます。
瀬戸神社
駅に向かう途中にあります 2015年2月28日
さて、本命の変電所は「瀬戸変電所」と呼ばれるもので、今はもうその役割は果たし廃屋のようです。新しい変電所は横浜市立大学の正門の方に移動しました。
この廃屋は京浜鉄道施設(株)の所有になっておりますが、とは言え、ここで何か仕事されている訳でもなさそうです。
と言う訳で2015年2月28日にこの遺構を見に行くことにしました。金沢八景のダイエイに車を止めて、駅前にお昼を食べに行きます。ダイエイの駐車場は有料駐車場と考えると、お買い物をすれば、ほとんどただの駐車場です。駐車場の屋上に行くと八景の海が見渡せる展望台が設置されています。ただ、残念なことに駅の方は壁が高くて見ることが出来ません。
駅前は昭和の雰囲気の漂うレトロな街並みですが、ところどころ、空き地が目立ちので近々、再開発が実施されるのかも。
「三本コーヒー」はいかにもの古さを持った喫茶店だ。狭くて急な階段を上ると、天井の低いお店に入ります。土曜日でしたが、意外にお客さんは多く、4人もの女性店員さんが忙しく立ち働いていました。私は「生姜焼き定食」、caccoは「ハンバーグ定食」。私のお皿が来た時点で、そちらの方が良かったと言い出すcacco。隣のお客さんのチキンステーキにも、涎を垂らすありさまです。
お腹を満たした喫茶店 2015年2月28日
三本喫茶店狭くて急な階段 2015年2月28日
三本喫茶店 店員さんが4人もいます 2015年2月28日
三本喫茶店 下がっている照明はレトロです 2015年2月28日
お腹を満たしたら、入場券を買ってホームに入ります。エレベータがホーム階にたどり着いた時点から、変電所が見えます。大喜びのうさお。周りの人の目もはばからず、写真の撮りまくりです。
手前側の送電線の鉄塔が、オブジェの様に残っています。そして、壁に残っている、高圧線の導入碍子。東宝映画の「電送人間第1号」を思い出しちゃいました。
おっ、ちょいと中途半端所に入口がある。扉を開けたら、軌道におっこちゃうね。
裏手に回ると、崖地に防空壕の跡が残っており、物置に使っていた。いや風情があるなあ。
瀬戸変電所のある金沢八景駅
2015年2月28日
瀬戸変電所
2015年2月28日
瀬戸変電所 2015年2月28日
瀬戸変電所 受電設備 2015年2月28日
瀬戸変電所 変なところの出口 2015年2月28日
瀬戸変電所の鉄塔(今は使われていない) 2015年2月28日
瀬戸変電所 防空壕 2015年2月28日
瀬戸変電所 西側面 2015年2月28日
瀬戸変電所 明り取りの窓 2015年2月28日
caccoが入線してきた電車の車掌さんを撮っていました。京浜急行にも女性の車掌さんが居るんだ。若くて丸顔のかわいい娘でした。少し、カメラを意識していたようだな。
京浜急行の女性の車掌さん
2015年2月28日
駅を出て西に向かうと、線路に交差する地下横断歩道があります。通り抜けると結構なお宅が並んでいます。caccoはこの板羽目のお宅がお気に入りのようです。線路沿いに変電所の威容が迫力を持って見えて来ます。
金沢八景駅の近所 鈴屋 2015年2月28日
賀沢八景駅の地下歩道 2015年2月28日
左側の家がcaccoのお気に入り 2015年2月28日
瀬戸変電所西面 2015年2月28日
良いですね、この白亜の建物が。本当は東側もここと同じように見えればよいのだが、崖が迫っており見通すことは不可能なのだ。
妻側の羽目にあるこの明り取りが何か懐かしい感じがします。門には立ち入り禁止の看板が貼られています。鉄道施設に無断で立ち入ると、犯罪ですよ。
瀬戸変電所 立ち入り禁止の看板 2015年2月28日
もう少し見える所は無いかと、周りを探してみると西側に小山があり、お寺さんと墓地がありました。「泥牛庵」と銘があり座禅に開放しているようです。金沢区役所発刊『金沢の寺社』によると、「でいぎゅうあん」と読むらしいが、円覚寺の末寺で、円覚寺伝宗庵の南山士雲によって創建されたと云われています。
この庵があるところは、金沢藩(金沢北条氏)の見晴台で御茶山と呼ばれていたそうです。そんなに高い丘ではないのですが、階段が急で息が切れます。その代わりに、確かに見晴らしは良く絶景です。ここから変電所を見ると、なかなかのものです。
泥牛庵外観 2015年2月28日
泥牛庵の山門 2015年2月28日
泥牛庵からの瀬戸変電所 2015年2月28日
泥牛庵からの瀬戸変電所 2015年2月28日
ついでに東側の今の変電所も見に行ってみます。横浜市大の前の大きな踏切を渡ると、つい、昔の東急車両製造の工場への引き込み線に目が行ってしまいます。踏切を渡りきったところから、急激に曲がって道路を横断し、市立金沢高校の前を通って工場に入っていきます。東急車両製造はJR東日本に買われ、総合車両製造になりました。
横浜市大前の踏切 2015年2月28日
車両工場へ続く鉄路 2015年2月28日
車両工場へ続く鉄路 うさおは太っている 2015年2月28日
車両工場へ続く鉄路 3線軌条が道路を跨ぎます 2015年2月28日
車両工場へ続く鉄路 2015年2月28日
横浜市立金沢高等学校 場所柄、鉄オタが沢山いそうだ 2015年2月28日
この渡り線も迫力があります。ついでですが、今の瀬戸変電所はこんなに特徴のない普通の外観をしています。
今の瀬戸変電所 2015年2月28日
車両基地にあるエバの発射台 2015年2月28日
さて、この引込線で気が付くことは、線路が3本あることです。3線軌条とも言いますね。線路の幅のことを軌間(ゲージ)と言いますが、一般的に在来線は1067mmで狭軌と呼ばれる軌間で、新幹線は1435mmで標準軌と呼びます。京浜急行は標準軌です。多分、東急車両製造から新型車両を出す際に、狭軌用車両、標準軌用車両を出すためのものです。
この工場で造られた標準軌の車両は、そのまま、京浜急行の線を用いて搬送されます。在来線用の狭軌の車両は、京急逗子線の神武寺駅まで搬送され、そこから東日本の線を用います。
この神武寺駅は北側が米軍の池子住宅地区と米海軍補助施設があり、北側からは一般人は改札を出ることが出来ません。以前は日本軍、米軍の弾薬庫でした。夏には、何とかフェスタで日本人に開放されるそうなので、行ってみたいです。
池子側の3線軌条 2015年2月28日
車両工場側の3線軌条 2015年2月28日
金沢八景駅からの3線軌条 2015年2月28日
さて、思い込みは誰しもあるもの、うさおも京急田浦駅が行きたい場所だと、勇んで出かけました。田浦は、以前にも軍事施設が色々あったり、鉄道廃線、トンネルがあったりと出かけたところです。
駅前のコインパーキングに車を止めます。
船越町のレストラン「らんぶる」にお昼を食べに入りました。私たちは着くとすぐに食べる処を探し回っているようです。私はステーキ、caccoはパスタ、何だか20年代の昭和に逆戻したかのようなメニューでした。
京急田浦駅の前の国道16号
2014年11月24日
京急田浦駅のレストラン らんぶる 2014年11月24日
レストラン らんぶる のある仲通り商店街 2014年11月24日
「仲通り商店街」をしばらく散策し、とりあえず駅に向かってみます。歩道橋から船越小学校の崖を見ると、防空壕を掘り損ねた様な跡が。何だろう。
京急田浦駅前の船越小学校 2014年11月24日
崖に地にある何かの跡 2014年11月24日
ホームに降り立ってみましたが、それらしい変電所ありません(ええ、場所を間違えていますからね)。それでも遠方から、変電所らしきものを撮影、心に「違うな、これは」と言う言葉が巡り始めました。
京急田浦駅
2014年11月24日
京急田浦駅の変電所 確かに古そうだが昭和初期の匂いはしない 2014年11月24日
「わかった。京急田浦じゃあなくて、JRの田浦なんだ!」とうさおは思いつきます。更に坂道を転げ落ちるのも知らず、意気揚々とJR田浦駅に向かいます。
この駅には軍用線の煉瓦トンネルが残っていることでも有名ですので、期待が高まります。駅前のロータリーに車を止め、あたりにコインパーキングないため、cacco特派員にホームに向かってもらいました。
しばらく後に、「変電所、無かったよ!」との報告がもたらされたのは言うまでもない。
JR田浦駅 おかしいと首を傾げるうさお 2014年11月24日
JR田浦駅の煉瓦トンネル 変電所は無い 2014年11月24日
JR田浦駅 あっ、保線の人だ 2014年11月24日
JR田浦駅 2014年11月24日
JR田浦駅の鬱金の桜 まだ咲いていないので色は判らない 2014年11月24日