学生寮の風呂場編(2012年2月8日)
日吉の地下壕に続く道沿いに建つ学生寮(寄宿舎)を、日を改めて見学してきました。こちらはまさに建て直しが進んでいるもので、今後はもう見ることも出来ないと思います。
学生寮の建物は谷口吉郎氏が30歳の時に設計したものだと言います。1937年(昭和12年)に建てられたものだと資料には書いてありました。
全体写真はありませんが、学生寮は日吉の丘の上に3棟並んでいます。建物の間はゆとりを持って建てられており、どの棟屋も日差しが十分に入ってきます。見学させてもらった学生寮は最近リニューアルしたところで、住みやすそうな雰囲気の中にレトロな個所が随所に残っていました。
反面、他の棟は老朽化が進行しており、ベニア板の貼られた開口部や千切れたカーテンが痛々しく感じられました。もちろん学生さんは住んでいません。躯体の老朽化はコンクリートの表面にも現れていて、爆裂(鉄筋の腐食により体積が膨張してコンクリート押し上げる現象)が随所に生じていました。
慶応大学の銀杏並木
林の中に学生寮が見えます
学生寮3号棟だったかな
こちらはリニューアル棟
倒木が何本かありました
学生寮北棟(2012年2月8日撮影:草蒸した中の学生寮。)
お目当ては、南寮の西側に建っている浴場棟です。建った当時は周辺に高い建物もなく、日吉の丘陵が一望のもとに見えたものと思います。その当時の学生さんはこれほど奢られた風呂場で何を語りあったのでしょう。設計も結構モダンですし(やはり谷口吉郎氏が設計したもの)、とても戦前のものとは思えません。
学生寮のお風呂場
学生寮のお風呂場
学生寮のお風呂場を上から
学生寮の浴場(2012年2月8日撮影:周りに竹林を配し趣が深い。)
特に廃墟としての圧巻は、このボイラー室だと思われます。切り立ったドライエリアの窪みの中にある外壁は、当時の要塞の中にある弾薬庫のようです。
ボイラー室、一階分半地下になって居た
ボイラー室
ボイラー
ボイラー室(2012年2月8日撮影:浴室の下階に位置している。)
戦時中には、この日吉の慶応義塾の学舎全体が海軍連合艦隊司令部に占拠されています。これは慶応義塾100年史に記述されています。当時は旗艦内おかれた司令部で指揮を執っていましたが、無線や通信の発達により、海上よりも陸上に司令部があることが攻撃され難く、戦況的に有利と考えられたのだと思います。この学生寮も立派な戦争遺跡だったのです。
作 戦室、幕僚事務室、通信指揮室、暗号室、受信室等は先ほどの地下壕に設け、無線、有線の通信施設を設けられました。学生寮は士官のための宿舎になりました。
戦後、この浴場は進駐軍に接収され、バーラウンジだとか、ダンスホールとして使用されたとか聞いています。その当時の写真があれば見てみたいものです。
浴室中には入れさせてもらいましたが、残念なことに室内の写真は全て禁止でした。
構築物には設計者たちの著作権があり、学生たちには個人情報がありますので、仕方のないことではありますが、浴室はぜひ撮りたかった。天井の頂部に明り取りがあり、ほぼ壁の半分を占めるがガラス張りの窓があり、そこから夜景が見えるなんてロマンチックだったに違いありません。谷口吉郎氏の面目躍如たりというところでしょうか。