東伏見邦英伯爵別邸編
5月は私の誕生月、何となく心がうきうきして、旧東伏見邦英伯爵別邸(横浜市磯子区磯子台 旧牛久保※)を見に行きました。2011年(平成23年)5月15日限りの公開でした。
東伏見邦英伯爵は昭和天皇の義理の弟君であり、病弱な伯爵のために、療養のための別邸が建てられました。1937年(昭和12年)ですのでおおよそ70年も前の話です。東伏見宮家を継承するため、臣籍降下をして皇族から華族になりました。昔の華族と言えば貴族階級です。貴族の爵位は「公候伯子男」(こうこうはくしだん)と覚えればよいと教えられました。つまり、えらい順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順となります。ピアニストとしても活躍し、青蓮院門跡の門主となり、博士号も取得しています。才人ですね。
さて、磯子の駅を降り山側を見上げると、半円形にそびえていた磯子プリンスホテルが無くなっています。その別邸は、ホテルに包まれて建っていました。
※なお、この別邸のある地域の古地図に興味のある方は、横浜市が提供しているhttp://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/map/044.html で見ることが出来ます。
航空写真(2011年5月当時のgoogleより参照、中央の黄色い屋根が別邸)
5月とは言え結構暑い日で、この磯子の急坂を汗だくになりがら登りました。もうすでに、参集されている方々が居て、坂の途中から100人以上の列をなしていました。期待感は盛り上がります。ようやくたどり着くとその外観が見えて来ます。
別邸外観(2011年5月15日撮影:洋館とも日本家屋とも見えます)
大広間(2011年5月15日撮影:基調色は白、赤、象牙色です)
建物中央の階段(2011年5月15日撮影:大理石の内装にレトロな装飾)
建物の設計・施工は竹中工務店です。竹中工務店はスーパーゼネコンとして有名ですが、建築設計事務所としても有名で多くの実績があります。
この屋敷は紆余変遷の後、1954年(昭和29年)にプリンスホテルが買い取り、ホテルの施設の一部となり、「貴賓館」として保全されました。しかし、2006年(平成18年)6月にプリンスホテルが閉館し、今は眺望の素晴らしい大きなマンション群になっています。
磯子プリンスホテルはすでに解体され、丘の上に別邸だけが建っていましたので、阻害するものが無く伯爵が住まわれていた当時の景色を見ることが出来ます。
さて、建物の中に入った感じとしては、横浜市長公邸と似た雰囲気があり、昭和ロマンの重厚感があります。特に大広間は屏風ヶ浦を見渡せ解放感に溢れています。
階段頭上の天井(2011年5月15日撮影:幾何学的な文様と鋭角的な照明)
建物の細部に色々な装飾が施されており、特に目についたのは天井の照明や欄間の硝子の文様です。花鳥風月というか、四季の文様というか、同じデザインが無く写真ではあまりよく見えませんが、昆虫の文様などガレのようです。(言いすぎでした。)
照明のガラス文様1(2011年5月15日撮影:蜻蛉(かげろう)だろうか)
照明のガラス文様2(2011年5月15日撮影:コスモスにススキかも知れない)
照明のガラス文様3(2011年5月15日撮影:鳥のようです)
照明のガラス文様4(2011年5月15日撮影:千鳥か鴎ですね)
照明のガラス文様5(2011年5月15日撮影:草木文様は分かりますが何でしょう)
照明のガラス文様6(2011年5月15日撮影:鶴かな)
廊下(2011年5月15日撮影:背の高い天井と緋色の絨毯(じゅうたん)は共通)
屏風ヶ浦の眺望(2011年5月15日撮影:根岸の海が見えます)
大広間の天井の八芒星?の照明
敷地内に什器蔵(じゅうきくら)があり、しかし、その造りはとても物置のものではなく、重要文化財の様でした。※什器蔵(じゅうきくら)(2011年5月15日撮影:物置という代物では無い重厚さがあります)
邸を後にすると、途中におかしな暗渠がありました。当時のものか戦時中の防空壕跡ではないでしょうか。