府中平和の森公園(2015年1月3日)
仕事で南多摩駅の近辺を散策することがあり、かつての日本陸軍の弾薬補給基地が戦後米軍に接収され、米軍のゴルフ場、レクリエーションの場になっています。この丘の頂上付近に弾薬庫がいまだに残っているらしいのですが、まだ米軍が統治しているため見ることは出来ません。
中が見れる見学会はないものかと探していたら、別なものを探してしまいました。府中平和の森の中にある米軍の府中基地跡と米軍属のための住居です。ここも旧帝国陸軍燃料廠でしたが、戦後は府中米軍基地となりました。
http://ameblo.jp/6blogs/entry-11911270755.htmlを参照すると以下の通りです。
1939年に旧帝国陸軍燃料廠として建設され、日中戦争中は航空燃料や自動車燃料の備蓄基地として使われました。燃料の関連研究もここで行われていたようです。戦後は米軍の管理下に置かれ、極東第五空軍司令部と在日米軍司令部が設置されています。
現在は航空自衛隊府中基地が隣接されていますが、滑走路は無く指揮系統の一元化し航空自衛隊航空総隊司令部として機能しています。国内の航空自衛隊戦闘部隊を指揮する部署です。
1965年の東京オリンピックの時に代々木に在った米軍関係者住宅を移設しました。廃墟はこの住宅群です。1973年に米軍府中基地は通信施設を除き返還されました。この時から廃墟化が進行しています。
この時に残された通信施設は、生涯学習センター北側で稼動していましたが、現在も人の出入りはあるようです。
府中平和の森公園
さて実際に見て回りましょう。府中航空自衛隊基地の周りを巡ると、そこには戦前から稼働している給水塔が聳えています。同じものが、米軍通信施設の中にも存在する筈です。
府中航空自衛隊基地の正門
基地内の給水塔
入り口の門は見つかりました。しかし、当然、入ることはできません。周囲の道路に沿って巡っていくと、巨大な通信塔が見えて来ます。その麓に先ほどの給水塔によく似た給水塔がありますが、木々の枝に隠されてよく見えません。
通信基地入口 彼方の鉄塔が件の鉄塔 林の左に給水塔が見える
更に巡ってみると、防護柵の中に朽ち果てた日本家屋がありました。何に使われているのかよく判りません。
朽ち果てた日本家屋
この施設に接するように、宅地開発がおこなわれており、民家が迫っています。あるお宅の駐車場の前が給水塔の絶好の撮影ポイントです。ここでは私も入れて記念撮影です。その家のご主人が不審そうな顔で私たちを見ていますが無視します。
鉄塔の手前に給水塔が見える
周囲の道を回り切ったところで視界が急に開け、待望の米軍属宿舎跡が現れてきます。「廃墟だ!廃墟だ!」と大喜びの私たち。
丘の上の建物が米軍属の住居跡
もちろん立ち入り禁止です
このあたりからもパラボラアンテナが見えます
団地の中に入ります。居住者以外の方の立ち入りはお断りの看板がありましたが、これも無視します。冬場と言うこともあって、絡まっている蔦の葉が落ち、建物の外観が良く見えます。鉄条網が私たちの侵入を阻止します。中を見学させて呉れたって良いじゃないと言う気持ちが沸々と湧きあがってきます。でも、我慢ですね。
蔦が枯れていて建物が見えるようになって居ます
窓ガラスが破れていて荒れ放題の部屋の中が見えます。中には子供の落書き「Happy」があるとか。
団地の境界とは、そんなに離れていない
団地の住人の冷たい目を振り切って、迂回して行くと結構広い駐車場に行き着きます。時刻は2時ですが、陽は既に傾いてとても眩しいです。しかし、そのお蔭で巨大なパラボラアンテナは綺麗なシルエットとなり、通信塔もその威容をくっきりと見ることが出来ます。
地球防衛軍の様なパラボナアンテナ
何だか、パラボナのデザイン画のようです。
私たちが写真を撮っていると、後から自転車の3人連れが訪れ、同じように写真を撮っています。中年のおじさん、おばさん、若い女性です。中でもおじさんが一番物知りらしく、ここが通信施設跡のベストポイントであることを滔々と述べていました。
住宅街を移動して別のポジションに行きました。パラボラが大きく見えゴジラの映画のようです。それと米軍族住宅の廃墟が間近に見える地点です。ご近所の民家の庭先に入り込むような感じですが、気にせず撮影していると後からあの自転車3人組が到着しました。
何だか周りに人がいると落ち着きません。私たちは逃げるようにこの場を立ち去りました。さっきの人たちだよねって話していると、3人組はすいすいと私たちを追い越して行きました。
民家の庭から見るアンテナ
民家の庭から見るアンテナ
米軍属住宅がこんな近くに
この後、消火栓跡を外から見える範囲で探すことになるのですが判りません。ああ、あの3人組の人たちと親しくなり、教えてもらえば良かったと後悔しきりでした。あの人たちは絶対廃墟マニアだと思います。
消火栓は見つかりません
公園の最終コーナーを回ると、建屋557棟が見えてきます。硝子は破れ扉も無く、まさに廃墟していました。
建屋557棟
建屋557棟
武蔵野の森公園
武蔵野の森公園は調布飛行場の北側にあります。あのユーミンの曲でおなじみの「中央フリーウェイ、調布基地を追い越し、山に向かっていけば・・・」の、調布基地のことです。
(内閣府~住みやすいまちづくりへの参加と戦争遺跡を守る語り部~黒崎氏編)によると、調布飛行場周辺に掩体壕が60 基以上あったそうです。掩体壕は、空襲から飛行機を隠すために、昭和 19 年に本土決戦に備えて造られました。しかし、宅地開発や都市計画で今では2基しか残っていないとのこと。また、府中市は平成7年に平和都市宣言20 周年を記念して白糸台掩体壕を文化財として保存することにしました。
これを見に行きます。先ほどの府中平和の森公園から、2.5キロ㍍ほど離れています。公園に着くと目的の掩体壕は、中央の池の向こうで結構離れています。少し、歩くのに嫌気がさしますが、我慢して歩きます。あれ、公園のなかに幹線道路が通っていますが、どうやらそれを超えたところにあるようです。
武蔵野の森公園
武蔵野の森公園
すぐのところにある掩体壕は「掩体壕大沢2号」と称されているものでした。この地図はかつての掩体壕の位置を記したもので、ここの掩体壕の説明と共に飾ってありました。さらに奥に進んでいくと、もう一つの掩体壕が見えてきます。塞がれた開口部に当時の戦闘機が描かれています。脇にはブロンズ製の「飛燕」の戦闘機のミニチュアが飾られています。大変綺麗に管理されています。
大沢2号掩体壕
大沢2号掩体壕
調布基地の掩体壕の位置
大沢1号掩体壕 戦闘機「飛燕」が書いてあります
飛燕のブロンズ像
次いで白糸台の掩体壕を見に行きます。国道20号と西武多摩川線とが、交差する南側の住宅街にあります。これはすぐに見つかりました。
白糸台掩体壕
白糸台掩体壕
もう一つの掩体壕を探しに行きました。この近くの朝日町の多摩製作所の庭にある筈です。あれ、判らないなあ、工場?工場と・・・。近所に白糸台小学校があるところに出ました。この辺りですが、道が細くて到底トマソン4号では、図体がデカくて通り抜けれません。
諦めて帰っちゃいましたが、その迷って入り込んだ鉄工場が多摩製作所だったのです。残念。
後日、その掩体壕の近くまで、行きましたが、やはり車を止められず、こんな写真しか撮れませんでした。
朝日町の掩体壕の地図 赤丸の中の矢印の処
朝日町の掩体壕 (2015年9月19日)正面が鉄工場で庭に掩体壕があります。
朝日町の掩体壕 (2015年9月19日) 掩体壕の黒い尻尾が見えます
帰りは味の素スタジアムにあるレストランでお食事をして帰りました。ここでの店員さんが、すごいガラガラ声でした。見事にcaccoはこの店員さんからA型インフルエンザをうつされて、1月13日までの一週間寝込むことになりました。
味の素スタジアム
味の素スタジアム
また後日、この近くに寄ることがあったので、東調布飛行場の門柱も見て来ました。先程の掩体壕大沢2号の前の道路を、調布飛行場に向かうことろにあります。興味のない人は通り越しちゃいますね。
門の所の看板には
「 調布飛行場は、昭和14年(1939年)、当時の東京府が三鷹村・調布町・多摩村にまたがる広大な畑や山林を半ば強制的に買い上げ、多くの農家を移転させて建設に着手した。
この門柱は、東京調布飛行場竣工時、正門として左右に設置され、戦時中は、「東部第百八部隊」等と厚い大きな板に墨書きされた表札が掛けられていた。
昭和16年(1941年)4月30日に竣工式が行われ、公共用飛行場として「東京調布飛行場」として開設された。
同年12月の開戦とその後の戦争の激化により、陸軍による拡張が繰り返され、関連施設を含めると六十万坪を上回る規模となった。
本土空襲に飛来する米国機の迎撃や特別攻撃隊の訓練施設として、帝都防空の最重要拠点となった。
昭和20年(1945年)の終戦と同時に米軍飛行部隊による進駐があり、アジア極東地域米軍基地で消費される野菜類を水と化学肥料だけで栽培する「調布水耕農場」が建設され、露地栽培を含めて野菜の一大生産基地となった。
くの生命が失われた悲惨な戦争を記憶にとどめる生き証人としてこの門柱を保存し、平和への道標となることを願うものです。
平成15年(2003年)3月 三鷹市」
東部第百八部隊門柱 2015年10月18日
東部第百八部隊門柱 2015年10月18日
東部第百八部隊門柱 2015年10月18日
東部第百八部隊門柱 2015年10月18日
東部第百八部隊門柱 2015年10月18日
その帰りに調布飛行場の中にある「プロペラカフェ」にも行ってきました。
プロペラカフェはその名の通り、調布飛行場の中にあるカフェで、格納庫と併設されたカフェです。カフェに入ろうとすると、取り付け道路は飛行場のもので、関係者以外の立ち入りが禁止です。怒られはしないかと、おずおず車を乗り入れます。
ちゃんとプロペラカフェは存在し、5台ほどの駐車場もありました。
こんな判りにくい場所にありながら、飛行機ファンの方々でしょうか、老若男女(中には赤ちゃんが)のファンが入れ代わり立ち代わり、訪れていました。
大変、人気が高いです。近所に市の運動場があり、そこを利用した人たちも来ていたようです。大学の同好会のでしょうか、男女合わせて10人くらいが入っていきました。
私たちは、コーヒーとコーヒーゼリーでした。coco'sのお昼が重かったせいで、名物の版バーガーを食べられませんでした。
プロペラカフェ 2015年10月18日 ナビには位置が出て来るのに探せないお店
プロペラカフェ 2015年10月18日 マークはウサギの耳が半分無いようなやつ
プロペラカフェ 2015年10月18日 お店の名刺
プロペラカフェ 2015年10月18日 飛行場とはフェンス一枚の近さ
プロペラカフェ 2015年10月18日 結構地味な外観
プロペラカフェ 2015年10月18日 店内の様子
プロペラカフェ 2015年10月18日 窓の向こうは滑走路
プロペラカフェ 2015年10月18日 店の一方の壁はガラス張りで格納庫の中が見える
プロペラカフェ 2015年10月18日 模型の飛行機がずらい
プロペラカフェ 2015年10月18日 格納庫の中
プロペラカフェ 2015年10月18日 かわいい小型機
プロペラカフェ 2015年10月18日 これは子供用に機長服